活かす 奈良県の文化財保護について

建造物修理 建造物修理

文化財建造物の保存修理工事の流れ

文化財はそのままの状態を維持することができれば理想的ですが、建造物の場合は屋外にあることが多いため、
部材の取り替えを伴う定期的な修理が必要となります。

建物を使用する際の安全を考えると傷みの少ない部材でも交換したいところですが、
文化財としては、できる限り古い部材を残すことが必要です。

保存修理工事は一般的に次のような流れで進められ、破損状況に応じて、200年・300年後を見据えて行われる「根本修理」や、定期的に行われる小規模な「維持修理」などに分類されます。

ここでは、當麻寺西塔の保存修理事業を例に、
文化財建造物の保存修理工事とはどのようなものかを、ご紹介いたします。

※指で左右に動かすと全て表示されます。

當麻寺とは

  • 国宝 當麻寺本堂
  • 国宝 當麻寺東塔

當麻寺は、奈良県葛城市當麻にある寺院です。
推古20年(612年)に聖徳太子の弟である麻呂子親王が建てた万法蔵院を、
天武10年(681年)に當麻国見が現在の場所に移して創建しました。

天平時代に中将姫が極楽浄⼟を願う思いによって織り上げたと伝わる「當麻曼荼羅」は
昭和36年(1961年)に国宝に指定されました。現在、室町時代にそれを転写したものが本堂内に祀られています。

また、中将姫が当麻曼荼羅を織り上げた後、
阿弥陀二十五菩薩により西方極楽浄土へ迎えられたという伝説にちなんで、練供養会式が毎年執り行われます。

建造物では、「東塔」「西塔」「本堂(曼荼羅堂)」が国宝に指定されており、
古代の東西両塔が残っている全国唯一の寺としても知られています。

約100年ぶりの保存修理工事

  • 西塔を覆う素屋根
  • 素屋根の内部

国宝 當麻寺西塔は、明治30年(1897年)に文化財に指定された平安時代の三重塔ですが、
屋根等の劣化が進んでいたため、平成28年(2016年)から4年半をかけて保存修理工事が行われています。

この保存修理工事は、明治44年(1911年)~大正3年(1914年)に行われた解体修理以降、
約100年ぶりの本格的な修理です。

今回は「維持修理」として、傷んだ屋根瓦の葺き替えと、破損が著しい基壇(建造物の土台部分)の修理、
西側斜面の地盤工事を中心に壁や木部の部分的な修理などを行います。

今回の修理では、西塔の屋根が傷んでいることに加えて、西塔周辺の斜面が動いている可能性があったので、
ボーリング調査により地下水の状況を確認したうえで「②修理方針の概要作成」や「③基本設計書の作成」を行いました。また、「⑫周辺環境整備」として、基壇の石が水を吸って脆くならないように地下水の侵入を防ぐ工事や、
斜面の強化、植え込みや塀の復旧などを予定しています。

奈良県教育委員会事務局  文化財保存事務所  当麻寺出張所 山下秀樹氏 に聞く

1万6千枚の瓦と向き合う

瓦葺きの作業風景

西塔の屋根には全部で約1万6千点の瓦が使われていますが、今回の修理では、
その全てに番付(ナンバリング)を行ったうえで、全てを取り外しました。

取り外した瓦は1枚1枚打音検査や目視によって破損状況を確認し、制作年代別に分類を行いました。
西塔の屋根には平安時代以降の全ての時代の瓦があるため、分類には非常に苦労しました。

このようにして、瓦の破損状況や制作年代を把握した結果、
今回は1万6千点のうち約6割の瓦を新しい瓦と取り替えることになりました。

そして、新調した瓦を含めて屋根に瓦を葺いていくのですが、これが非常に難易度の高い作業になります。
たとえば平瓦の谷の深さは焼き狂いによって個体差があり、それを同じ列で葺くためには、
まず全ての平瓦の谷の深さを計測し、軒先に行くほど谷が深くなるように谷の深さによって
葺く順番をあらかじめ決めています。

軒先の方の谷を深くする理由は、平瓦の谷を流れる雨水の勢いを増して流れやすく勢いが増すためです。

そうすることで雨漏りのしにくい屋根になります。
丸瓦によって作られる美しい屋弛みは、丸瓦に沿わせてボール状の鎖や紐を撓めて作った曲線に合っているか
一列ずつ確認して作られます。

また、もともと西塔の屋根の四隅は高さが不揃いであるため、屋根がゆがんで見えない工夫も必要でした。

舎利容器の再発見

発見された舎利容器と納入品

今回の修理中に、西塔の心柱(塔の中央に立つ柱)の頂部から舎利容器が見つかりました。

この舎利容器は大正時代の修理の時にも記録に残されていたものですが、当時は研究が進んでいなかったため、舎利容器の制作年代は不明でした。

しかし、昭和に入って発見された類例品等から、この舎利容器は690年頃に制作されたことが、
今回の調査で明らかとなりました。

明らかになる先人の技術

調査の様子

今回の修理に伴う調査で、さまざまな先人の技術が確認されました。
まず、現代の木造建築では補強金具が不可欠ですが、建立時の西塔では釘や鎹が要所に使用されたのみで、
基本は木組みで構造が成立していました(ただし、大正修理ではボルトによる構造補強が行われています)。

また、部材の組み合わせ箇所に「遊び」があり、
地震が起きた時に動きしろがあることで揺れを吸収する役目を果たしていました。

また、上下2本で継がれた心柱はどのようにして上半分の心柱を立てたのかが謎でしたが、
下半分の心柱に、あらかじめ上半分の心柱を縄でくくりつけていた痕跡があり、
ある程度西塔が組み上がった段階で滑車等を使って上半分を引き上げたのではないかと想像できます。

なお、西塔は大正修理ではじめて解体されたことが今回の調査でわかりました。
建立以来千年以上も解体修理を受けることなく聳えていたことは先人の技術の確かさを示すものです。

次代に伝えるために心がけていること

このような先人の技術の結晶ともいうべき建造物を、
次代に伝えていくために保存修理工事を行うわけですが、保存修理工事にあたっては建造物の構造のみならず、
歴史的背景、修理履歴、立地条件、配置、(仏堂であれば)安置されている仏像などにも目を配るように心がけています。

例えば、仏像と仏堂の様式や規模が適していなければ、以前はどちらかが異なるものであったと推測することができます。仏像が後世にもたらされた、あるいは仏堂が建て替えられたといった例です。

また、修理に伴う調査で創建当初の姿が明らかになることがありますが、
必ずしも「創建当初の姿に戻す」ことが良いとは限りません。

例えば、奈良時代に創建された建物について、
保存修理工事によって何が何でも奈良時代の姿に戻さなければならない、というものではないのです。

建造物は創建当初から幾多の修理を経て現在の形になっており、
その修理の過程も含めて当該建造物の歴史であると考えられます。

したがって、過去の修理で使用された部材等もなるべく使い、その建物の価値を見極め、
最も建物の価値を損なわない修理を行い次代に伝えることを常に心がけています。

(保存修理工事の進捗状況等は取材時点(平成31年1月)の情報に基づいて記述しております。)