活かす 奈良県の文化財保護について

無形文化財の保存について

少子高齢化や都市部への人口流出など、無形民俗文化財(民俗芸能・民俗技術など)を取り巻く環境は年々厳しさを増しつつあります。奈良県もその例外ではなく、県では平成29年度に「奈良県無形民俗文化財保護連絡協議会」を立ち上げ、無形民俗文化財の保護・振興に寄与するための情報交換と相互連絡などを行っています。ここでは、無形民俗文化財のうち民俗芸能について、その保存及び伝承の現状を考察します。

元文部科学省文化審議会専門委員 植木行宣先生 に聞く

民俗芸能に関する保存及び伝承

民俗芸能の現状

民俗芸能は、無形の民俗文化財に分類されるのですが、「民俗」というのは、特定の地域の人たちが携わる文化であることを意味します。したがって、その地域の若者が都市部に流出し高齢化が進めば、民俗芸能は後継者を得られない状態となり、消滅してしまいます。また、民俗芸能というのは、ある地域の人々が習い覚えた技術・技量を行為という形で表現するものですから、その技術・技量を保持する人がいなくなれば、これまた消滅という事態を招きます。実際に近年、そのようにして消滅する民俗芸能が急増しています。
この点、有形文化財の保存であれば、「その物の価値を維持するための保存」が基本となりますので、博物館等に収蔵し、適切に管理すれば、保存は行えます。しかし、民俗芸能は、「人」が表現するものであり、後継者や技術保持者がいなくなれば消滅することから、その保存及び伝承は重要かつ困難な課題となるのです。もちろん、このことは民俗芸能だけでなく、祭りや民俗技術も含んだ無形民俗文化財全般にあてはまることです。

保存及び伝承の基本的視点

それでは、民俗芸能の保存及び伝承にとって必要な視点は何でしょうか。ここでは2つの基本的視点について述べます。
1つ目の視点は「点から面へ」です。これは、民俗芸能を1つの文化財という「点」で見るのではなく、その背景にある地域文化という「面」で捉えるという意味です。民俗芸能は、特定の地域の人たちがその担い手となりますので、地域の人たちの「守ろう」「伝承しよう」という主体的な意思がなければ、保存及び伝承はあり得ません。「文化財に指定されましたので、伝承していってください」というわけにはいかないのです。
2つ目の視点は「活用」です。これは、民俗芸能が地域においてどのように活用されてきたかを把握することが重要だという意味です。元々、民俗芸能は農村、漁村などの中で、「人と人をつなぐ」「人を育てる」「暮らしやすい地域を維持管理する」などの役割をになってきました。例えば、子どもの時に太鼓を習って衆目の前で演じることは、まさに民俗芸能が地域と密着するという体験づくりに活用されていることに他なりません。このように民俗芸能を活用の視点から捉えた結果、その活用方法が地域の人々にとって現代的意義のあるものであれば、「残していこう」「伝えていこう」という方向性、すなわち保存及び伝承につながると考えられます。

保存及び伝承の具体的方法

仮に、民俗芸能の「民俗」の部分をひとまずおいて、無形文化財(代表的なものは能や歌舞伎、文楽など)として捉えるのであれば、特定の地域の人たちが携わる必要はなくなります。したがって、技術・技量の専門集団を育成すれば、保存及び伝承は可能になります。現に、そのようにして保存及び伝承を図っている事例もあります。
しかし、民俗芸能は、「民俗」すなわち特定の地域の人たちが携わることに意味がある場合もありますので、ここではそのような形態として保存及び伝承を図る方法について考えてみたいと思います。
まず、記録をとって資料化することが重要です。民俗芸能を含む民俗文化の保護の基本は資料化にありますので、調査をして報告書を作成し、映像を撮影するなどして記録を作ります。そして、その記録を人々に公開することが望ましいです。誰もが閲覧できることにより、当該地域の人たちだけではなく、他の地域の人たちにとっても取り組みの参考事例として活用していただくことができます。従来は、記録をとったまま放置されてしまうケースも多かったように見受けられますので、活用できる形で保存することが重要です。奈良県五條市大塔町に伝わる「篠原(しのはら)おどり」について、踊を習得している人の映像を撮って、保存会の人たちがそれを見て習った結果、行事を復活させる取り組みを実践しているという事例があります。
次に、民俗芸能の保存及び伝承について地域で取り組むことが重要です。基本的視点の箇所で述べましたように、民俗芸能は地域を離れては存在し得ないものですので、地域が主体性をもって保存及び伝承に取り組まなければなりません。ここでいう「地域」とは、これからの時代は、これまで民俗芸能を伝承してきた地域に限定されるものではなく、新興住宅地なども含まれることになるでしょう。なぜなら、「人と人をつなぐ」といった民俗芸能の機能にかんがみると、民俗芸能は新興住宅地の地域づくりにも十分活用の余地があるからです。地域で取り組むという点については、奈良市都祁吐山(つげはやま)町の「吐山の太鼓踊り」について、地域の小学校の郷土学習として踊りを教えることにより、行事の復活・存続を図っている、という事例があります。

結び

民俗芸能は地域と密接に結びついており、地域が置かれている実情は場所により様々です。したがって、ある地域で民俗芸能の保存及び伝承に成功したからといって、その方法が別の地域にそのまま適用できるとは限りません。地域の人たちが民俗芸能の意義や活用方法をあらためて問い直し、自分たちの問題として保存及び伝承について考えていくことが重要だと思います。

オコナイの行事概要

オコナイとは、新年から春の初めにかけて、村の寺堂や神社で行う、五穀豊穣を祈る祭りです。近畿地方を中心に、西日本各地に広く分布しています。仏教の修正会(旧年の罪や過ちを仏前で懺悔し、新年の平安・豊穣を祈る儀式)が、民間の信仰・習俗を取り込んで独自に発展したものです。行事の中心は、オコナイの中で加持された牛王宝印(ごおうほういん)の護符を参加者に授けることにあり、巨大な鏡餅や掛餅・造花による荘厳(仏像・仏堂を飾ること)、大きな音を出す乱声(らんじょう)、的打ちの結鎮(けいちん)、結界の勧請掛(かんじょうかけ)などを特徴とします。
奈良県では、野迫川村の北今西地区と弓手原地区のオコナイが、昭和49年(1974年)3月に奈良県無形文化財、昭和52年(1977年)5月には奈良県無形民俗文化財に指定されています。
保存事業の概要

奈良県では、「奈良の文化遺産を活かした総合地域活性化事業実行委員会」が平成26・27年度「文化遺産を活かした地域活性化事業」(文化庁補助)として、北今西地区と弓手原地区のオコナイにつき映像撮影をはじめとする詳細な記録保存を行いました。そして、その記録をもとに、平成28年には『野迫川のオコナイ 北今西・弓手原』と題するDVDを製作しました。また、平成29年度「文化遺産総合活用推進事業」(文化庁補助)により、DVDの解説書にあたる『野迫川村のオコナイ解説書-北今西・弓手原-』を作成しました。
このように奈良県では、オコナイの記録保存をはじめ、多くの方々に知っていただくための取り組みを行っています。

北今西 https://youtu.be/dotyH_ms9pk
弓手原 https://youtu.be/ptUYpbJSjYw

尾野昭光氏 中迫喜昭氏 に聞く

北今西のオコナイ

昭和20年代のオコナイ

当時は小学校を卒業した子どもは、オコナイの準備を手伝っていました。16歳から19歳までをヨナというのですが、当時は30~40人ほどのヨナがいて、行事に使うカズラを山へ採りに行ったり、カズラを編んで大きな輪を作ったりしていました。子ども達は毎年行事に参加しているので、カズラの編み方などは誰から教わるというわけでもなく、見よう見まねで覚えていました。
オコナイは、ある程度の参加人数がいることを前提に、年齢によって役割が与えられています。例えば、オコナイの中で、宝印を付けた長い棒を村人の頭上にかざす「宝印カツギ」というのがありますが、これはヤクイリ(20歳になること)した人のうち最も若い人が行うことになっています。当時は多くの若者がいたので、宝印カツギの担い手探しに困るということはなかったですね。

少なくなる担い手

数十年前までは北今西には30数軒の家がありましたが、平成30年時点では6軒に減っており、オコナイの担い手は確実に少なくなっています。しかし、町で就職した人が正月には北今西の実家に戻って来るため、現在のところ20~40代で10人以上が揃い、行事を継続することができています。また、その人達の子どもも一緒に帰省して行事を手伝っており、少しずつですが次世代への承継も行われています。北今西のオコナイは長年、1月4日に行われてきましたが、少しでも帰省してもらいやすいように、4、5年前から1月2日に変更されました。そのような状況ですので、当面の間、行事が途絶えることはないと考えています。

開かれた行事

オコナイは誰でも見ていただくことができます。現に、オコナイが実施されるお堂の近くのホテルに宿泊されている方や、このような行事に関心のある方などが見に来られます。そして、タテモチの競り売りに参加され、お餅を買って帰られる方もいらっしゃいます。しかし、雪深い村なので、来ていただくのは大変です。関心のある方は、DVDや動画などをご覧いただくのもいいかと思います。

野迫川村弓手原地区 区長 に聞く

弓手原のオコナイ

平成27年度を最後に中断

オコナイには昔から参加していましたが、若い人がいないため、40歳近くまで若連中(本来は19歳の若者で構成される)を務めていました。30年ほど前から、「(人が少なくなって)行事を続けていくのは難しいかな」という感じはありました。この行事は、雪の中でサカキを採りに行ったり、とにかく人手がいるのですが、少ない人数で無理をして続けてきました。
平成30年時点で、弓手原には8軒の家があり、常住しているのは10人です。一番若い人が50代で、70代・80代が中心です。その人達の子どもは正月には戻って来ますが、それだけでは人数が足りません。また、別の地区も人数が少なく、そこと組んで行事を続けることもできません。そのような状況ですので、弓手原のオコナイは平成27年度を最後に中断しています。

記録の中に生き続ける

オコナイをきちんと実施するためには、若連中が6人必要など、人数が必要です。残念ながら、弓手原の現状にかんがみると、今後、今までのようなやり方で行事を続けていくことは難しいと思います。しかし、記録として映像等が残っているので、「こんな村にこんな行事があった」ということは後々まで伝えることができます。そして、もし将来、行事が復活することがあれば、このような詳細を記録した映像や報告書が大いに役立つことになるはずです。

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