深める 歴史文献で訪ねる奈良

大和名所図会で見る
今昔
海龍王寺(奈良市)

図会巻之二では「法華寺の東北の方也、(中略)光明皇后の建立、又曰玄昉僧正の草創ともいふ」とされています。
ここは絶大な権力を誇った藤原不比等(光明皇后の父)の邸宅跡であり、本来直線であるはずの東二坊大路は
この海龍王寺を重んじ迂回しています(現代の車道も同様に迂回しています)。
図会の中心にある山門をくぐった目の前にあるのが東金堂で、本堂を挟んで向かい側にあるのが西金堂です。
東金堂は明治時代の廃仏毀釈によって消失し、現在は基壇跡のみが残されています。一方、西金堂は現存しており、
奈良時代の遺構として貴重な建物となっています。

奈良県立図書情報館所蔵 大和名所圖會より
国宝五重小塔

ここが見所

海龍王寺は藤原不比等邸の隅に在ったことから、「隅寺」とも呼ばれています。
光明皇后宮という限られた敷地の中に、大寺の伽藍様式を取り入れなければならず、
大きな五重塔を建てることができなかったので、西金堂の中に五重小塔(国宝)を安置して
大寺の伽藍様式を成立させました。小塔は奈良時代の寺院の中心伽藍と、
平城宮の宮廷仏教とを現在に伝える重要な役割を果たしています。