ブックタイトル祈りの回廊 2016年9月~2017年3月

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祈りの回廊 2016年9月~2017年3月

「あの方」の足跡を訪ねて奈良の禅寺へ片桐石州磨堂」は民家の奥にひっそりとあり、地元の達磨寺の日ひ野の周しゅう圭けい住職。その天川村の「達られる場所が天川村にもあるのですよ」とちと同じく達磨大師と聖徳太子が並んでおて問答した「問答石」も遺されています。「う軸が祀られており、境内には両者が向き合っす。本堂には達磨大師と聖徳太子の像と掛けにお堂が建てられたのが始まりと伝わりま太子が作った達磨大師のお墓のあった場所臨済宗寺院である王寺町・達磨寺は、聖徳4ります。広く敬愛される存在でもあだるま人形が作られるなど、く丸いかたちでおなじみの達磨大師をモチーフに、赤とが伺えますが、日本ではに厳しい修行者であったこいう故事が伝えられ、大変坐禅を組み悟りを開いたとこもり、九年間壁に向かってじこういん慈光院時代を代表する茶人の1人だった片桐石州。石州が父の菩提寺として建立した慈光院は建物、道、庭園など境内全体が一つの茶室として造られ、現存する稀有な空間です。大和郡山市小泉町865 ? 0743-53-3004JR大和小泉駅から近鉄郡山駅行きバスまたは近鉄郡山駅から法隆寺行きバス「片桐西小学校」下車、徒歩約3分MAP P20 c-1柳生一族れて合流できたのだとか。孤雲懐奘は道元のにようやく許され、20名ほどの弟子を引き連に心酔し師事を願い出ます。幾度も訪ねた末は、曹洞宗の開祖・道元との問答の末、その禅派があったそうです。ここに属した孤こ雲うん懐え奘じょう南部の山々)で「日本達磨宗」という禅宗の一職のお話によると、鎌倉時代の多とう武の峯みね(桜井市があります。下北山村・瀧りゅうがんじ巖寺の河かわ村むら松しょう雄ゆう住奈良における曹洞宗の歴史も興味深いものあの世阿弥も参禅したうになりました。りの不思議さに、飢人は達磨大師の化身だと噂されるよは消え、棺の上に衣服がたたんで置いてありました。あますが、数日後に墓を確認してみると埋葬したはずの遺体※と食徳べ太物子、衣が服道をに与伏えせまっしてたい。た飢飢人人はを亡哀くれなにっ思ていし、ま飲いみま物聖されています。紀』に「飢人伝説」※として知られる逸話が記整備した聖徳太子との縁については、『日本書禅の初祖・達磨大師と、仏教信仰の拠点を人々から篤く信仰されている小さなお堂です。ほうとくじ芳徳寺柳生家の菩提寺。裏山には墓所があり、柳生一族が弔われています。柳生藩の資料が展示される資料室や剣道と坐禅を学ぶ正木坂剣禅道場が開かれるなど、柳生の歴史、伝統、志を今に伝えています。奈良市柳生下町445 ? 0742-94-0204近鉄奈良駅から石打・柳生・邑地中村行バス「柳生」下車、徒歩約15分MAP P19 b-2聖徳太子5※においても中国禅宗の慧え能のうが遺した言葉がいことは知られていますが、著書「風ふう姿し花か伝でん」世阿弥の能に禅(特に道元禅)の影響が色濃前が残されていることが近年発見されました。代を務めた寺で、同寺の台帳に世阿弥夫妻の名この補厳寺。世阿弥が帰き依えした竹ちく窓そう智ち厳ごんが第二学び、その直筆の書に名前が残る「ふかん寺」が、て後に能楽を大成させる若き日の世阿弥が禅をの寺院として初めて建立された寺院です。そしまた、田原本町の「補ふ厳がん寺じ」は、大和で曹洞宗宗の礎を築きました。高弟となり、後には曹洞宗の第二祖として曹洞せそんじ世尊寺聖徳太子が建立した49ヶ寺のひとつとされる比曽寺(比蘇寺)。その跡に復興されたのが世尊寺です。境内には聖徳太子十六才孝養像を祀る太子堂や、聖徳太子御手植えと伝えられる桜、芭蕉の句碑も。吉野郡大淀町比曽762 ? 0746-32-5976近鉄六田駅または大和上市駅下車、タクシー約7分または徒歩約40分MAP P22 c-164 天川村の達磨堂民家の奥にひっそりと建つ天川村の達磨堂5 正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)洗面の巻写本曹洞宗開祖・道元禅師の著作。ここに説かれている「朝に顔を洗い歯を磨く」などの今は当たり前な習慣も、ここから仏門を超えて日本に広まったとされています。日常生活も修行として捉える禅宗の教えは、今改めて感銘を受ける内容で、昨今のシンプルなライフスタイルの源でもあるのかもしれません(河村松雄所蔵)6 補厳寺門前います。同時に禅の心と通じる生き方を記した名著です。訓が散りばめられた日本最古の芸術論、演劇論となってるべからず」など、時代を超えて訴えかける名言や人生※弥が阿書弥きが記記ししたたと能さのれ理、「論秘書す。れ父ば・花観な阿り弥。の秘口せ述ずをば、花世な阿世えています。弥参学之地」の碑が建てられ、その歴史を伝どは失われてしまいましたが、門前に「世阿けていたことが如実に表れています。本堂な引用されるなど世阿弥が禅に大きな影響を受3禅の心に触れる旅