ブックタイトル祈りの回廊 2016年9月~2017年3月

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祈りの回廊 2016年9月~2017年3月

別話特別講話17水を司る衣食住の守護神ひぐちとしお廣瀬大社宮司樋口俊夫撮影:脇坂実希砂かけ祭(御田植祭)殿上の儀(神事)2017.2/11(土・祝)11:00 ?庭上の儀(砂かけ)14:00 ?ルぐらい下まで掘って「安定した砂地」ボーリング調査をしたところ、12メートの文化財でもある御本殿の大修理の際、ちこちで陥没し、建物もゆがみます。県り、今も地盤が砂で柔らかいため、あ当社は川の中州、砂地に建つと伝わも砂かけ祭として行われています。行い、廣瀬は水の神として大おおいみのまつり忌祭が、今大社では風鎮めの祀りである風神祭を社としてお祀りを始められました。龍田下が安泰するとして、龍田風神と一対のその後、天武天皇が風水を治めれば天わっています。たと伝わります。境内には今も橘が植高貴な橘がたくさん生え、社が創建されとご神託があり、一夜で陸地に変わり、の代に龍神から「この地の沼から去る」の川が合流する地にあります。崇すじ神ん天皇川、葛城川など、奈良盆地を流れる全て当社は佐保川、初瀬川、飛鳥川、曽我います。社の縁起をお聞かせください。る大おおいみのかみ忌神を廣瀬大社に祀る、と記されて―日本書紀にも天武天皇が水の神であ拝殿所北葛城郡河合町川合99 ? 0745-56-2065行●JR法隆寺駅または近鉄池部(いけべ)駅下車、徒歩約20分●JR法隆寺駅または近鉄池部駅からタクシー約8分http://www.hirosetaisya.com/MAP P20 c-2さる。それが廣瀬の水神信仰です。水にして流し、人々の暮らしを守ってくだザーっと流れてくる水を受けて穏やかな平野に配る、と記されています。山々から廣瀬の神様は受けて、良い水として大和下ってくる水は荒々しい水である。それを令の注釈書『令りょ義うの解ぎげ』にも、山や谷からてお祀りされてきました。平安時代の律ていく場所にお社があり、治水の神としに、洪水が起こらないように、川が集まっん。水が集まる川が安定して流れるよう降らしたり止めたりする神ではありませ廣瀬の神様は水を司る神ですが、雨をりました。くべからざるものであり、水神信仰があ―日本では昔から水が人々の生活に欠ありました。要所であり、明治時代までは船着き場も際、古代から境内地の周辺は水上交通のい伝えが事実であると証されました。実く、深く続く砂地であり、古代からの言に当たると判明。「安定した岩盤」ではなていただきたい。すると当社の特異性がていますが、本当はゆっくりと歩いて来社への参道は車で来られるようになっそう言っていただくとうれしいですね。と清浄な気が感じられるようです。を捧げてきたこのお社に立つと、水の力―奈良の川の合流点にあり、人々が祈りすね。うことにも心を寄せていただきたいでお参りし、篤き心で守り伝えたのだといの親の世代、そのまた親の世代がずっと御代から脈々とお祭りが続けられ、我々残ったものではありません。天武天皇のして崇められてきました。ただ偶然に司って暮らしを守る、衣食住の守護神とこのように廣瀬の神様は古来、水をという、豊かな実りを祈ったものです。ため池に水が溜まれば田植がうまくいく月にお祭りをして、6月までにたっぷり祭を行う時期は農閑期にあたります。2を使って稲を育てます。ちょうど砂かけ良盆地はため池が多く、田んぼはその水大人が必死になって投げたものです。奈今は子ども達が砂をかけますが、昔は神様にお願いする。ら、田植が順調に進みます、とうに雨を降らせていただいたを雨の代わりに投げて、このよる神社の砂、すなわち神様の砂正式名称は「御お田たう植え祭さい」。水を司まった大忌祭の行事の一つで、天武天皇の治世4年から始のでしょう。ような祈りが込められたものなものだそうですが、人々のどの―砂かけ祭は砂を雨に見立てたらと思います。れた方、若い方々にも感じていただけたがちなそのようなことを、ご参拝に来ら謝の念があったのです。今の世では忘れ暮らしには、常に自然への畏敬と深い感て、助け合って生きてきました。人々のたからともらい湯をして、ありがたがっ落として焚いて、隣の家が今日、沸かしなっています。お風呂もそう。昔は枝をが出る。ありがたさが薄れ、感じにくくとなる。でも今は水道の栓をひねれば水りません。雨が降らねば水不足で飢饉それは人工的に起こされたものではあした。雨が降る、風が吹く、雪が降る。その昔、日本人は自然とともにありまいるのです。でいる場所より低いところに祀られて川が集まるところですから、人間が住んなり、平地となって御本殿へ続きます。ように階段は無く、入り口からは下りとお分かりいただけると思います。他社の樋口俊夫1947年奈良県生まれ、1972年皇学館大学文学部国史学科卒業。同年大阪生國魂神社奉職。1975年廣瀬神社禰宜就任、1978年より廣瀬神社宮司。神社本庁参与、神社本庁奈良県教誨師、奈良県神社庁副庁長を現任。8