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太安万侶の墓誌(ぼし)銅製。居住地や死亡日、埋葬日などが4 1文字で刻(きざ)まれている。29.1cm×6.1cm写真提供:奈良県立橿原考古学研究所附属博物館▼※1各天皇の即位から亡くなるまでの皇室の記録をまとめた....

太安万侶の墓誌(ぼし)銅製。居住地や死亡日、埋葬日などが4 1文字で刻(きざ)まれている。29.1cm×6.1cm写真提供:奈良県立橿原考古学研究所附属博物館▼※1各天皇の即位から亡くなるまでの皇室の記録をまとめたもの※2神話や伝承(でんしょう)、歌謡(かよう)、氏族の歴史を修めたものCコラムおおのやすolumn太安皇は「この『帝紀』と『旧辞』はをより確かなものとする狙ねらいがま万をまとめることを命じた天てん武む天て、天皇を中心とした国家体制を集めました。しかし、『古事記』めに伝えていた内容をあらため1)と『旧きゅう辞じ』(※2)という書物れぞれの家いえ筋すじに権けん威いをつけるたるのに、諸しょ氏し族ぞくから『帝てい紀き』(※つまり、それぞれの氏族がそ1200年以上前の文字が今でも読めるなんてすごい!ろ侶じんしん奈良時代の役人。父は、672年の壬申の乱で功績のおおのほんじおおたわらもとちょうおおあった多品治。太(多)氏は、現在の田原本町多出身このせちょうの一族といわれています。1979年、奈良市此瀬町はかまいそうぼしの茶畑から墓がみつかり、埋葬されていた墓誌からへいじょうきょうさきょうしじょうしぼう平城京左京四条四坊(現在の奈良市、近鉄新大宮駅ようろうからJR奈良駅の辺り)に住んでいたことや、養老7年(723年)に亡くなったことがわかっています。もともと『古事記』をまとめ前を持っています。ひと苦労ん。えば、葛かずら城き氏しといった固有の名調整するのも経を使ったにちがいありませ考えのもとにできた集団で、例がらの調整作業にはずいぶん神とは、祖先を同じくするという序文にあります。を太くするかなど、全体をみな族ぞくの由ゆ来らいがのっています。氏族伝える必要がある」と話したとに近づけるのか、どの氏族の枝『古事記』には200もの氏しけずって真実を記録し、後こう世せにい作業といえます。どの氏族を幹違う部分が多いため、間違いを大枝や小枝に氏族を位置づける新しい書物をの基き礎そとなるものだが、事実と木に例えると、天皇を幹みきに、多(おお)神社(田原本町)に安置(あんち)されている太安万侶像記述をあらため国家組織の根本で、天皇の政治あったと考えられます。悩み3多数の氏族をどうバランスよく位置づけるか(奈良県立橿原考古学研究所附属博物館▼46~49ページ、52ページ多神社▼64ページ、74ページ)31