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剣けんかむやまといわれびこのみことじんむぐんぜいくまの神倭伊波礼毘古命(のちの神武天皇)とその軍勢が、熊野(和くまどくけ歌山県と三重県にまたがる地)で大きな熊の毒気で気をたけみかずちのかみしんけんふつ....

剣けんかむやまといわれびこのみことじんむぐんぜいくまの神倭伊波礼毘古命(のちの神武天皇)とその軍勢が、熊野(和くまどくけ歌山県と三重県にまたがる地)で大きな熊の毒気で気をたけみかずちのかみしんけんふつのみ失った時に、危機を救ったのが、建御雷神の神剣「布都御たまいそのかみのかみのみや魂」です。『古事記』では石上神宮にあると記してあるとおいそのかみじんぐうふつのみたまり、現在でも天理市の石上神宮では、この「布都御魂」をまつっています。石上神宮の辺りは大和王権の武器庫も兼しちしとうねて多くの武器があったとされ、なかでも国宝「七支刀」は、にほんしょきくだらけんじょうななつさやのたち『日本書紀』にある百済から献上された「七枝刀」と考えられています。▼石上神宮の七支刀(しちしとう)。剣の裏表(うらおもて)に60字余りの文字が書かれており、4世紀後半に百済(くだら)から贈(おく)られたそうですまがたま勾玉あめいわや『古事記』では、天の石屋というところにこもってあまてらすおおみかみさそ出てこなくなった天照大御神を外に誘い出すためまがたまに、勾玉が作られたと書かれています。勾玉は一般すいしょうみかづきがた的に、水晶やひすいなどでできた三日月形の玉とさたましいしょうちょうれ、美しい色と形から、生命力や魂の象徴とされてふくいました。勾玉の丸く膨らんだ部分に穴を開けてひくびかざもを通し、いくつも連ねて首飾りに使っていたようです。いまのネックレスにつながるアクセサリーの原型といえるでしょう。かいる「剣けん」「勾まが玉たま」「鏡」をみていきましょう。まず『古事記』で「三種の神じん器ぎ」として重ちょう宝ほうされて意外なつながりがあってき興ょう味み深ぶかいでしょう。いまも私たちの身近にあります。『古事記』に描えがかれているものは、▲美しい色合いの勾玉。写真は、赤尾熊ヶ谷(あかおくまがたに)3号墳(桜井市)から出土した古墳時代中期(5世紀)のもの。桜井市立埋蔵文化財センター蔵1鏡身だしなみを整える時などに鏡は欠かせませんね。『古身だしなみを整える時などに鏡は欠かせませんね。『古あまてらすおおみかみ事記』では、勾玉と同じく天照大御神を外に誘い出すために、鏡が作られたと書かれています。神が地上に降りてんそんこうりんあまてらすおおみかみる天孫降臨の際には、天照大御神が「この鏡を私だと思っあまてらすおおみかみうつて大切にしなさい」と授けました。天照大御神の姿を映あまてらすおおみかみし出したことから、天照大御神の分身とされています。せいさくかがみつくりべかがみつくりごう鏡を製作した鏡作部たちが住み着いた鏡作郷とされる地かがみつくりじんじゃに、鏡作神社(田原本町八尾)があります。鏡作(かがみつくり)神社に伝わる「三神二獣鏡(さんしんにじゅうきょう)」(レプリカ)。鏡の外側の周縁(しゅうえん)部がなく、内側部分も少し欠けています▼44