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3121.推古(すいこ)天皇から持統(じとう)天皇までの約100年間、飛鳥(あすか)には歴代天皇の宮が造られました2.周辺にはのどかな田園風景が広がります3.現在は石組みの井戸が復元されています伝飛鳥板蓋宮跡でん....

3121.推古(すいこ)天皇から持統(じとう)天皇までの約100年間、飛鳥(あすか)には歴代天皇の宮が造られました2.周辺にはのどかな田園風景が広がります3.現在は石組みの井戸が復元されています伝飛鳥板蓋宮跡でんあすかいたぶきのみやあとおおあまのみてんむじんしんらん天武天皇元年(672年)、壬申の乱に勝利した大海人皇こあすかきよみはらのみやぞうえいよくねんてんむそく子は飛鳥浄御原宮を造営し、翌年に天武天皇として即い位。国家体制をより確かなものにしたいと考えた天皇へんさんは、『古事記』と『日本書紀』につながる歴史書の編纂あすかきよみはらのみやあとでんを命じたとされます。その飛鳥浄御原宮跡は今の伝あすかいたぶきのみやあと飛鳥板蓋宮跡の場所にあったと考えられており、ここからまさに記紀が始まったといえます。それから約わどう30年後、和銅5年(712年)1月28日に『古事記』は完成へいじょうきょうげんめいけんじょうし、平城京で元明天皇へと献上されるのです。MAPP94高市郡明日香村岡近鉄飛鳥駅から奈良交通バス岡天理教前停下車、徒歩約3分甘樫丘あまかしのおかあすかがわきゅうりょう飛鳥川に沿って続く高さ約148mの丘陵。北側にあるあすかうねびみみなしあまのかぐやま展望台からは飛鳥の里や、畝傍・耳成・天香久山のやまとさんざんあまかし大和三山を一望できます。『古事記』には「甜白檮」やあまかしすいにんいんぎょう「味白檮」の表記で垂仁天皇や允恭天皇の記事に登場。いんぎょうしせいうじ允恭天皇は氏姓制度の混乱を正すため、すべての氏をくがたちくがこの丘に集めて盟神探湯を行ったと伝わります。盟神たちやけどしんぎ探湯とは熱湯に手を入れ、火傷の有無で真偽を確かめしんぱんふもとあまかしにいまする神の審判。麓の甘樫坐神社では、この神事にちなんだ祭りを毎年4月に行っています。MAPP94高市郡明日香村豊浦近鉄飛鳥駅から奈良交通バス甘樫丘停下車、徒歩約10分3121.展望台への散策路(さんさくろ)には約40種の万葉植物が植えられています2.かつて甘樫丘(あまかしのおか)の麓(ふもと)には蘇我蝦夷(そがのえみし)・入鹿(いるか)親子の大邸宅(だいていたく)があったとも3.畝傍山(うねびやま)など大和三山をはじめ、遠く葛城山系(かつらぎさんけい)まで見通すことができます12藤原宮跡ふじわらきゅうせきじとうあすかせんとふじわら持統天皇8年(694年)、飛鳥から遷都された藤原京ほんかくてきと中国の都にならって造られた日本初の本格的な都城きょうは、じょう。大和三山がすっぽりとおさまる約2800haという広大ほこへいじょうきょうへいあんきょうな面積を誇り、平城京や平安京よりも大きな都でした。ピーク時には2~3万人が暮らしていたそうです。こたいほうりつりょうせいていわどうかいちんの都で、大宝律令の制定や和同開珎の発行、「日本」かくりつきという国号が確立するなど、現在にもつながる国の基そきず礎が築かれました。31.藤原京の中心施設(しせつ)があった場所には、今は大極殿(だいごくでん)の基壇(きだん)のみが残っています2.大和三山のほか、二上山や多武峰(とうのみね)なども見渡せます3.季節ごとに菜の花やコスモス、ハスなどが花を咲かせますMAPP94橿原市高殿町・醍醐町近鉄大和八木駅から橿原市コミュニティバス橿原市藤原京資料室前停下車、徒歩すぐ72