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香芝・葛城・御所エリア室宮山古墳むろみややまこふん日本武尊琴弾原白鳥陵やまとたけるのみことことひきはらしらとりりょうぜんぽうこうえんふん全長238mの大型の前方後円墳むろおおはかで、「室の大墓」とも呼ば....

香芝・葛城・御所エリア室宮山古墳むろみややまこふん日本武尊琴弾原白鳥陵やまとたけるのみことことひきはらしらとりりょうぜんぽうこうえんふん全長238mの大型の前方後円墳むろおおはかで、「室の大墓」とも呼ばれてほうむかずらきしそかずらきのそついます。葬られた人物は、葛城氏の祖である葛城之曾都びこゆうりょくしかずらきしこうごうはいしゅつ毘古が有力視されています。葛城氏は皇后を輩出し、天せいりょくほこだいごうぞくかずらきのそつび皇の親類として勢力を誇った大豪族です。葛城之曾都毘こちゅうしんたけうちのすくね古は『古事記』に、5天皇に仕えた忠臣、建内宿禰の子とふもとはちまんけいだい記されています。麓の八幡神社の境内から登ると、石室はにわもけいはなながの一部や埴輪の模型が見られます。少し離れて遠景で眺めてみても印象的です。やまとたけるのみこと倭建命は、西国そして東国をやまとと平定して倭(奈良県)へ帰る途ちゅうのぼのかめやま中、能煩野(三重県亀山市付近)で亡くなります。『日本ほうむやまとたけるのみこと書紀』では、葬られた倭建命は白鳥に姿を変えて、故郷・やまとことひきはらふるいちはびきのまお倭の琴弾原と、旧市(大阪府羽曳野市付近)に舞い降り、再び天高く飛び去りました。この三つの地につくられたやまとたけるのみことしらとりさんりょう倭建命の埋葬地は「白鳥三陵」と呼ばれています。しばたたずききょうやまとたけるのみことむねらく佇み、帰郷を夢見て果てた倭建命の胸のうちに思いをはせてみてはどうでしょう。(写真)5世紀前半にできたとされる大古墳MAPP93御所市室近鉄御所駅から奈良交通バス宮戸橋停下車、徒歩約20分(写真)小高い丘(おか)の森に設(もう)けられていますMAPP93御所市冨田JR玉手駅から徒歩約40分角刺神社つのさしじんじゃ顕宗天皇陵けんぞうてんのうりょうおけのみこにんけん神社の地は、意祁王(仁賢天皇)おけのみこけんぞうと袁祁王(顕宗天皇)の叔母いいどよのみこおしぬみつのさしのみやある飯豊王が営んだ忍海の角刺宮があったとされていまさいじんいいとよあおのみこといいどよのみこす。祭神は飯豊青命(『古事記』では飯豊王)です。2人のそんざいいいどよのみこ皇子の存在を知った飯豊王は喜んで、自らの宮に引きいいどよのみこりちゅうおばで取ったとされます。飯豊王は、履中天皇の娘で、2皇子いちのへのおしはのみこの父・市辺之忍歯王の妹にあたります。神社を訪おいそうぞうなご叔母と甥2人のふれあいを想像し、宮の名残りを探みましょう。おとずれて、さがしておおはつせのわかたけるのみこと大こういけいしょうゆうりゃく長谷若建命(雄略天皇)に、けん皇位継承権をもつ父を殺されたおけのみこおけのみこひそはりま兄の意祁王と弟の袁祁王は、身を潜めて播磨の国(兵庫しいくたずさまい県)で牛馬の飼育に携わっていましたが、祝宴の席で舞まゆずを舞うよう求められます。兄と弟はどちらが舞うかで譲り合った末、兄が先に舞います。次に弟が舞おうとする時、自分たちの身分を明かす歌詞をうたい、2人の皇子の存在は世に知られることに。その後、弟が先に即位しけんぞう顕宗天皇となりました。(写真)境内には飯豊王(いひどよのみこ)が鏡代わりにした「鏡池」もMAPP93葛城市忍海近鉄忍海駅から徒歩約5分(写真)『古事記』に陵墓(りょうぼ)の場所が記されていますMAPP91香芝市北今市近鉄下田駅から徒歩約10分廣瀬神社ひろせじんじゃ飯豊天皇陵(北花内大塚古墳)いいとよてんのうりょう(きたはなうちおおつかこふん)社伝では、崇天皇の時代に建てられたとされています。『日てんむたつたたいしゃ本書紀』では、天武天皇の時代に、風の神の龍田大社(生さいし駒郡三郷町)に対して、水の神をまつって祭祀を行ったと記されています。いまも主祭神は水の神、水田を守るごこくほうじょう神、五穀豊穣の神として信仰されています。毎年2月11日に行われる砂かけ祭は、砂を雨に見立ててかけ合い、たういの多雨を祈る祭りです。水と古代の人たちのかかわりをうかがい知るのにぴったりな場所です。すじん神いいどよのみこ飯せいねいけんぞう豊王は、清寧天皇と顕宗天皇ととの間の空白期間、国政を執りせいねい行ったとも伝えられています。『古事記』にも「清寧天皇に子がなく、この天皇が亡くなった後に天下を治めるべつたずき王がいなくなった。そこで、皇位を継ぐべき王を訪ねおしぬみのいらつめいいどよのみこかずらきおしぬみ求めて、忍海郎女、またの名は飯豊王を、葛城の忍海のたかぎのつのさしのみやむか高木角刺宮に迎えた」と記されており、初の女性の天皇じょだった可能性があると注目されています。前例のない女てい帝は苦労も多かったのかもしれません。(写真)木々に囲まれた参道の先に社殿(しゃでん)がありますMAPP91北葛城郡河合町川合99JR法隆寺駅から徒歩約20分(写真)全長90mの前方後円墳MAPP93葛城市北花内近鉄新庄駅から徒歩約15分77