ebook

ebook page 80/100

電子ブックを開く

このページは ebook の電子ブックに掲載されている80ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
3121.『万葉集』に詠(よ)まれた美しい川は、地域(ちいき)に密着(みっちゃく)し守られてきた水の一つに選ばれています2.「宮滝は滝にあらず」。激しい水の流れを表す「たぎつ」から宮滝と呼ばれるように3.巨岩....

3121.『万葉集』に詠(よ)まれた美しい川は、地域(ちいき)に密着(みっちゃく)し守られてきた水の一つに選ばれています2.「宮滝は滝にあらず」。激しい水の流れを表す「たぎつ」から宮滝と呼ばれるように3.巨岩におおわれた両岸の間を雄大(ゆうだい)に流れる吉野川。夏は空も川も青く澄(す)み渡(わた)って美しいMAPP96宮滝みやたきむへんさんおおあまのみこてん『古事記』の編纂を命じた大海人皇子(のちの天武天皇)じんしんらんうののゆかりの地である宮滝は、壬申の乱の前に、妻の?野さららのひめみこじとういっしょ讚良皇女(のちの持統天皇)らと一緒に過ごした思いてんむじとう出ある場所。天武天皇が亡くなった後、持統天皇は何おとずかむやまといわれびこのみこと度も宮滝を訪れています。また神倭伊波礼毘古命(のじんむくまのちの神武天皇)が、都にふさわしい場所を求めて熊野うだから東へ向かう途中に、宮滝を経て宇陀に入ったともかきのもとのひとまろおおとものたびいわれています。『万葉集』には柿本人麻呂や大伴旅とよ人らが美しい川の流れを詠んでいるので、そのスポット探しをするのも面白いかもしれません。吉野郡吉野町宮滝近鉄大和上市駅から奈良交通バス宮滝停下車、徒歩約5分浄見原神社きよみはらじんじゃかむやまといびこのわれみことじんむよしのうだ神倭伊波礼毘古命(のちの神武天皇)が吉野から宇陀へ向かう途中、尾のある人が住んでいたとされる吉野くずほむだわけのみことおうじんほうのう町の国栖。ここには品陀和気命(応神天皇)に奉納しかぶくずそうたとされる歌舞「国栖奏」が伝わり、今も旧正月の14こしきいしょう日に古式ゆかしき衣装を着て行われます。この舞じんしんらんくずのがおおあまのみこてんむ壬申の乱で国栖に逃れてきた大海人皇子(のちの天武おきな天皇)の前でも舞われ、皇子は「国栖の翁よ」と喜んだおきなまいそなことから「翁舞」ともいわれています。当日のお供えあかがえるには赤蛙が登場します。MAPP96吉野郡吉野町南国栖1近鉄大和上市駅から吉野町コミュニティバス南国栖停下車、徒歩約5分まいは、3121.謡曲(ようきょく)「国栖」には大海人皇子(おおあまのみこ)が食べた鮎(あゆ)の半身が生き返り、再び清流を泳いだという場面も2.追っ手の犬を殺し大海人皇子(おおあまのみこ)を守ったという言い伝えから狛犬(こまいぬ)もない神社が多いです3.隠(かく)れ里(ざと)のような所にある拝殿(はいでん)までの細道は、まるで壬申(じんしん)の乱(らん)の様子が思い浮かびます3121.吉野離宮(よしのりきゅう)について宮滝以外に丹生川上の神域を唱える説もあります2.高見、四郷(しごう)、日裏(ひうら)の3つの川が合流した深い淵が「夢淵」といわれています3.675年、天武(てんむ)天皇により創建。記録には朝廷の依頼(いらい)で96回の雨乞い雨止め祈願(きがん)をしています丹生川上神社中社にうかわかみじんじゃなかしゃみづはのめのかみみつはのめのかみ水の神様、罔象女神(『古事記』では弥都波能売神)をひでまつり、雨の神様として日照りには雨が降るように、長雨には雨が止むようにと祈られてきました。おおはつせのわかたけるのみことゆうりゃくよえしのおむろ大長谷若建命(雄略天皇)が詠んだ「み吉野の小室がたけししふほんでんはいごおむろだけ岳に猪鹿伏すと…」の小室は、本殿背後の小牟漏岳ともいわれています。夏にはヨシノユリともいわれるヤマユリが約1000本咲き、境内は甘い香りが。またかむやまといわれびこのみことじんむ神社の東側には、神倭伊波礼毘古命(のちの神武天皇)とうせいしたがてんじんが東征のとき、夢の教えに従って天神をまつったといゆめぶちわれる「夢淵」があります。MAPP96吉野郡東吉野村小968近鉄榛原駅から奈良交通バス蟻通停下車、徒歩すぐ78