古事記ゆかり地マップ

九州
高千穂
天岩戸[あまのいわと]神社天岩戸とよばれる洞窟を御神体とする
槵觸[くしふる]神社天孫降臨の地のひとつとされている
高千穂神社祭神を邇々芸命とし、高千穂八十八社の総社である
霧島
東霧島[つまきりしま]神社霧島六社権現のひとつで、伊耶那岐命を祀る
高千穂峰天孫降臨の地のひとつとされている
霧島東神社邇々芸命が初めて祖先の神々を祀ったといわれる
霧島神宮邇々芸命を主祭神として祀る
霧島岑[きりしまみね]神社天孫三代の夫婦六座を祀る
皇子原[おうじばる]神社神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が生まれた地といわれる
狭野[さの]神社神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が生まれた地といわれる
熊襲[くまそ]の穴倭建命が熊曾を討ち取った場所といわれる
宮崎
阿波岐原[あわきはら]伝承地伊耶那岐命が禊[みそぎ]を行った所と伝えられている
西都原[さいとばる]古墳群邇々芸命と木花之佐久夜毘売の陵墓が比定されている
木花[きばな]神社邇々芸命と木花之佐久夜毘売を祀る
都萬[つま]神社木花之佐久夜毘売を祀る
青島神社と鬼の洗濯岩綿津見神の宮殿から戻った火遠理命(山佐知毘古)が宮を構えたとされる
鵜戸[うど]神宮火遠理命(山佐知毘古)と海神の娘豊玉毘売の子の鵜葺草葺不合命[うかやふきあえずのみこと]誕生の地と伝えられている
潮嶽[うしおだけ]神社火照命(海佐知毘古)を主祭神として祀る
駒宮[こまみや]神社神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が阿比良比売[あひらひめ]を妻に迎えた宮の跡と伝わる
宮崎神宮 皇宮屋[こぐや](皇宮[こうぐう]神社)神倭伊波礼毘古命(神武天皇)を主祭神として祀る
志賀海[しかうみ]神社海神である綿津見神[わたつみのかみ]を祀る安曇[あずみ]氏の本拠とした地
宗像[むなかた]大社天照大御神の吹き放った息吹きにより生まれた三女神を祀る
大御[おおみ]神社天照大御神を祭神とする
笠沙[かささ]の岬邇々芸命と木花之佐久夜毘売が出会った場所と伝わる
豊玉姫神社豊玉毘売命を祭神とする
豊玉姫神社豊玉毘売命を祭神とする。安産の神様とされている
立磐[たていわ]神社境内には神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が腰掛けたといわれる「お腰掛け岩」がある
美々津[みみつ]神倭伊波礼毘古命(神武天皇)東征の出発地といわれている
岡田宮神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が東征の際、一年滞在したといわれる
香椎[かしい]宮仲哀[ちゅうあい]天皇が神のお告げを信じず崩じた宮
鎮懐石[ちんかいせき]八幡宮神功皇后の鎮懐石を祀る
宇美[うみ]八幡宮神功皇后が品陀和気命[ほむだわけのみこと](応神天皇)を産んだ地とされる
玉島川神功皇后がこの川で鮎を釣ったといわれる
神功皇后御立石(垂綸[すいりん]石)神功皇后が御立石の上に立ち、鮎を釣り、遠征の成功を占ったとされる
宇佐神宮応神天皇を祀る。八幡宮の総本宮
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中四国
出雲
比婆山[ひばやま]伊耶那美命の御陵だと言い伝えられている
イザナミ御陵伝承地(岩坂陵墓参考地)伊耶那美命の御陵だと言い伝えられている
揖夜[いや]神社 伊賦夜坂[いふやさか](黄泉比良坂)黄泉国への入口とされる場所
船通山[せんつうざん]須佐之男命が高天原から降りてきた地といわれる
須佐神社須佐之男命と櫛名田比売とその両親を祀る
温泉神社櫛名田比売の両親を祀る神岩が安置されている
稲田神社櫛名田比売の誕生の地で近くに産湯に使われたという池がある
斐伊[ひい]川八俣のおろちの正体という説もある川
天ヶ淵八俣のおろちは、この淵にすんでいたとされる
鳥上[とりかみ]滝八俣のおろちがすんでいたところと伝わる
印瀬[いんぜ]の壷神境内にある壷は八塩折[やしおおり]の酒を入れた壷のうちのひとつといわれる
鏡ヶ池八塩折[やしおおり]の酒はこの池の水を使用したといわれる
草枕八塩折[やしおおり]の酒を飲んだ八俣のおろちが苦しんで枕にして寝た山であるといわれる
八俣大蛇[やまたのおろち]公園須佐之男命と八俣のおろちの対決の場面の石像と、「箸拾いの碑」が建立されている
八口[やぐち]神社須佐之男命がこの地から矢で八俣のおろちを仕留めたとされる
尾呂地[おろち]神社八俣のおろちの尾が祀られている
尾留[おどめ]大明神須佐之男命が八俣のおろちから、草なぎの剣を手に入れた地とされる
斐伊[ひい]神社八俣のおろちの首が眠るという「八本杉」がそばにある
須我神社須佐之男命が八俣のおろち退治の後に建てた宮殿の跡といわれる
大森神社須佐之男命と櫛名田比売が婚儀の準備をしたとされる
八重垣[やえがき]神社須佐之男命と櫛名田比売が新居を構えたとされる
河辺神社産湯に使う水を探していた櫛名田比売が御産所に定めたとされる
元結掛[もとゆいかけ]の松櫛名田比売が髪を束ねるときに用いる元結を枝に掛けたといわれる
熊野大社祭神は須佐之男命で出雲の国一の宮として崇拝されている
阿陀萱[あだかや]神社大国主神と八上比売の娘、多岐喜姫[たぎきひめ]を祀る
赤猪岩[あかいいわ]神社大国主神が兄弟神に殺され、復活蘇生した地に建つとされる
加賀の潜戸[くけど]大国主神を生き返らせたキサ貝姫が金の弓矢で射通したとされる海蝕洞穴
唐王[とうのう]神社須勢理毘売命が亡くなったとされる地
三屋[みとや]神社大国主神が宮居を置いたと伝えられる
御井[みい]神社大国主神の子神の産湯に使われたとされる三つの井戸がある
玉造温泉大国主神とともに国造りをした少名毘古那神[すくなびこなのかみ]が発見したといわれる
神魂[かもす]神社出雲国造の祖、天菩比命[あめのほひのみこと]が創建したとされる。本殿は最古の大社造
壹宮[いちのみや]神社天若日子[あめわかひこ]と下照比売[したでるひめ]が暮らした地とされている
稲佐[いなさ]の浜天照大御神の使者である建御雷之男神が、大国主神に国を譲ることを交渉した地
美保神社祭神は、事代主神と三穂津姫命[みほつひめのみこと]
出雲大社大国主神が祀られ、国譲りの際に造営されたとされる
比婆山[ひばやま]伊耶那美命の御陵だと言い伝えられている
龍岩[たついわ]神社八俣のおろちの首が飛んできて御神体になったといわれる巨岩がある
白兎[はくと]海岸と白兎[はくと]神社稲羽[いなば]の素兎[しろうさぎ]神話の舞台とされる地
売沼[めぬま]神社八上比売を祀る
大石見[おおいわみ]神社大国主神が二度目の復活をしたとされる地
波波伎[ははき]神社事代主神が天逆手[あめのさかて]を打って槇垣[まきがき](青柴垣[あおふしかき])に籠ったとされる地
多家[たけ]神社神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が東征の際、七年滞在したといわれる
高島宮神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が東征の際、八年滞在したといわれる
宇倍[うべ]神社五代の天皇に仕えた長寿の大臣である建内宿禰[たけうちのすくね]を祀る
道後温泉木梨之軽太子[きなしのかるのおおみこ]が流された地。後に軽大郎女[かるのおおいらつめ]が追ってくる
軽之[かるの]神社木梨之軽太子[きなしのかるのおおみこ]と軽大郎女[かるのおおいらつめ]を哀れんで村人が建てたとされる
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近畿
神戸大阪奈良
絵島[えしま]淤能碁呂島伝承地のうちのひとつ
岩楠[いわくす]神社水蛭子[ひるこ]が岩屋の浜から流され、西宮神社の祭神になったと伝わる
西宮神社水蛭子[ひるこ]を祀るえびす神社の総本社
住吉大社住吉神社の総本社。伊耶那岐命の禊[みそぎ]で生まれた住吉三神を祀る
石屋[いわや]神社国之常立神[くにのとこたちのかみ]、伊耶那岐命、伊耶那美命を祀る
阿陀比売[あだひめ]神社木花之佐久夜毘売を祀る
速吸門[はやすいのと]神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が槁根津日子[さおねつひこ]と出会ったとされる
浪速の渡神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が東征の際、この地を通過したとされる
青雲[あおくも]の白肩津[しらかたのつ]神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が東征の際、この地に停泊したとされる
八咫烏[やたがらす]神社八咫烏の化身といわれる建角身命[たけつぬみのみこと]を祭神としている
橿原神宮神武天皇が即位された橿原宮の聖蹟に明治二十三年に創建された(橿原神宮の説明による)
神武天皇陵(畝傍[うねび]山東北陵)畝傍山東北の地に比定されている神武天皇の陵墓
石上[いそのかみ]神宮神倭伊波礼毘古命(神武天皇)を熊野の村の大熊から救った霊剣が納められた社
率川[いさがわ]神社伊須気余理比売[いすけよりひめ]を祀る
景行天皇纒向[まきむく]日代宮[ひしろのみや]跡伝承地「景行天皇纒向日代宮跡」の石碑があり、景行天皇の宮跡といわれる
日本武尊白鳥陵(軽里大塚古墳)倭建命の陵墓といわれているうちのひとつ
高津宮[こうづぐう]清和[せいわ]天皇の命により難波高津宮[たかつのみや]の遺跡が探索され、その地に仁徳天皇を祀る社が建立されたのが始まりとされる
仁徳天皇陵(大仙陵古墳)仁徳天皇の陵墓に比定されている日本最大の前方後円墳
磐之媛[いわのひめ]命陵(ヒシャゲ古墳)仁徳天皇の皇后である石之比売の陵墓とされる
志染[しじみ]の石室[いわむろ]意祁王と袁祁王が隠れ住んだと伝えられている岩穴
顕宗天皇陵(傍丘磐坏丘南陵[かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ])顕宗天皇の陵墓として比定されている
滋賀三重
多賀大社伊耶那岐命が鎮座したと伝えられる地のひとつ
喪山[もやま]天若日子[あめわかひこ]の喪屋[もや]が蹴飛ばされてできたとされる山のうちのひとつ
居醒[いさめ]の清水倭建命がこの泉で正気を取り戻したとされる
当芸野[たぎの]倭建命が「足がたぎたぎしく成りぬ」と言ったことからこの地名がついたとされる
杖衝坂[つえつきざか]瀕死の倭建命が、疲れ果てて杖をついて歩いた坂
尾津神社(戸津)倭建命が剣を置き忘れたとされる地のひとつ
尾津神社(小山)倭建命が剣を置き忘れたとされる地のひとつ
草薙[くさなぎ]神社倭建命が剣を置き忘れた尾津前だといわれている
平群[へぐり]神社・平群[へぐり]池倭建命が思国歌[くにしのひうた]を詠んだといわれる。境内に歌碑がある
倭建命能褒野[のぼの]陵(能褒野王塚古墳)倭建命の陵墓といわれているうちのひとつ
加佐登[かさど]神社神社の裏に倭建命の陵墓といわれる白鳥塚がある
蒲生野[がもうの]市辺之忍歯王が殺された蚊屋野にあたるといわれる
馬見岡綿向[うまみおかわたむき]神社境内に置目老媼[おきめのおみな]を祀っている末社がある
市辺押磐皇子御陵[いちのべおしはのみこのみささぎ]円墳が二基あり、市辺之忍歯王とその従人の墓であると伝わる
沼島[ぬしま]淤能碁呂島伝承地のうちのひとつ。島全体が勾玉[まがたま]状の景観を有するという
先山[せんざん]国生み神話で最初にできた山とされている
伊弉諾[いざなぎ]神宮 伊邪那岐命の「幽宮」が起源と伝える神社(伊弉諾神宮の説明による)
伊勢神宮『古事記』『日本書紀』にも登場し、最も尊い神と伝えられる天照大御神を祀る
喪山[もやま]天若日子[あめわかひこ]の喪屋[もや]が蹴飛ばされてできたとされる山のうちのひとつ
猿田彦神社天宇受売命と伊勢に戻った猿田毘古神が鎮座した地(猿田彦神社の説明による)
阿射加[あざか]神社猿田毘古神はこの地で貝に手を挟まれ海に沈んで溺れたという
若狭彦神社・若狭姫神社若狭彦神社は火遠理命(山佐知毘古)、若狭姫神社は豊玉毘売命を祭神とする
竈山[かまやま]神社神倭伊波礼毘古命(神武天皇)の兄である五瀬命を祀る
熊野の村神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が紀伊半島を南へ迂回して着いた地とされる
熊野三山熊野本宮大社、熊野速玉[はやたま]大社、熊野那智大社の総称。八咫烏は三山の神の使いとされる
入海[いりみ]神社東浦の海岸に流れついた弟橘比売命の櫛を祀って建てられたとされる
氷上姉子[ひかみあねご]神社美夜受比売を祀る
熱田神宮倭建命が美夜受比売のもとに置いていった草なぎの剣を祀る
伊吹山倭建命が山の神を退治しに行き、逆に大氷雨を降らせられて打ち惑わされた山
舟津神社大毘古命[おおびこのみこと]が舟を着けたところを舟津と言ったことが起源となっている
中嶋神社常世国から橘を持ち帰った多遅摩毛理[たじまもり]を祀る。お菓子の神様とされる
劔[つるぎ]神社仲哀[ちゅうあい]天皇の第二皇子忍熊王[おしくまのみこ]が本宮から現在の地に移された
氣比[けひ]神宮と気比[けひ]の松原品陀和気命[ほむだわけのみこと](応神天皇)が神と名前の交換を行ったといわれる地
出石[いずし]神社天之日矛[あめのひほこ]を祀る
片山継体天皇が漆器作りを奨励したとされる地。越前漆器のはじまり
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関東
秋葉山[あきはさん]本宮秋葉[あきは]神社火之迦具土神[ひのかぐつちのかみ]を祭神としている
戸隠[とがくし]神社天の石屋の戸開きにゆかり深い神々を祀る
奴奈川[ぬながわ]神社沼河比売[ぬなかわひめ]と大国主神を祀る
居多[こた]神社大国主神・沼河比売[ぬなかわひめ]・建御名方神を祀る
生島足島[いくしまたるしま]神社建御名方神が諏訪に向かわれる際に留まられたとされる
諏訪大社建御名方神が国譲りの際にこの地に鎮座することを約束した
鹿島神宮建御雷之男神を祀り、東国三社のひとつである
富士山本宮浅間[せんげん]大社木花之佐久夜毘売を祀る、浅間神社の総本宮
焼津[やいづ]神社倭建命が敵を焼き滅ぼした地。境内に倭建命の石像が建つ
草薙[くさなぎ]神社倭建命が草なぎの剣で草をなぎはらい、難を逃れたとする
吾妻社(長柄)倭建命と弟橘比売命を祀る
吾妻社(不動堂)倭建命がこの地を通過したとされる
走水[はしりみず]神社倭建命と弟橘比売命を祀る。境内には弟橘比売命の歌碑がある
橘樹[たちばな]神社流れ着いた弟橘比売命の着物を祀ったとされる
吾妻神社流れ着いた弟橘比売命の袖の一部を祀るとされる
吾妻神社流れ着いた弟橘比売命の袖の一部を祀るとされる
袖ヶ浦弟橘比売命の袖が流れついたというところからついた地名
吾妻神社弟橘比売命の袖が流れ着いた地に建てられたとされる
国府[こくふ]神社倭建命を案内したとされるコウノトリの嘴[くちばし]を祀る
石座[せきざ]神社倭建命が腰掛けたとされる自然石が御神体
足柄峠倭建命が、東国を平定した帰路に「あずまはや」と妻を偲んだといわれる
足柄神社倭建命が、東国を平定した帰路に「あずまはや」と妻を偲んだといわれる
酒折宮[さかおりのみや]倭建命に続けて歌を詠んだ焚き火番の老人をほめて東国造[あずまのくにのみやつこ]に任命した
神坂[みさか]峠倭建命がここを越えて尾張国に入ったとされる
大御食[おおみけ]神社倭建命が腰掛けたといわれる石がある
神坂[みさか]神社倭建命が腰掛けたといわれる石がある
古峯神社倭建命を祭神として祀る
白根神社倭建命を祭神として祀る
伊佐須美[いさすみ]神社大毘古命[おおびこのみこと]と建沼河別命[たけぬなかわわけのみこと]の親子が出会った地を「会津」と名付けた。この時に創建したといわれる
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