古事記ゆかり地マップ

意祁王(仁賢天皇)・袁祁王(顕宗天皇)

二柱の神が国を生む/黄泉国に妻を追う

雄略(ゆうりゃく)天皇に殺された市辺之忍歯王(いちのへのおしはのみこ)の子、意祁王(のちの仁賢天皇)と袁祁王(のちの顕宗天皇)の兄弟は、針間国(はりまのくに/兵庫)に逃げ、志自牟(しじむ)の家の使用人として暮らしていました。雄略天皇の子、清寧(せいねい)天皇には后や子がなく、その死後、市辺之忍歯王の妹である飯豊王(いいどよのみこ)が世の中を治めていました。国の長官として針間国に派遣された山部連小楯(やまべのむらじおだて)は志自牟の家の新築祝いの宴で、舞の順を譲り合う兄弟を見つけます。兄の次に舞った弟の歌から、兄弟が市辺之忍歯王の子であることを知った小楯は、二人の王子を自分の両膝の上に乗せ、これまでの二王子の苦労を思って泣き悲しみました。そして、急ごしらえの宮を造って住まわせ、二王子発見の報を飯豊王に伝えました。兄弟は天皇の位につくときも譲り合います。まず弟が顕宗天皇として即位し、弟が亡くなると、兄が仁賢天皇として即位しました。

意祁王(仁賢天皇)・袁祁王(顕宗天皇)

意祁王(仁賢天皇)・袁祁王(顕宗天皇)に関するゆかり地

番号 府県 市町村名 名称 ゆかり地説明
147 滋賀 東近江市 蒲生野[がもうの] 市辺之忍歯王が殺された蚊屋野にあたるといわれる
148 兵庫 三木市 志染[しじみ]の石室[いわむろ] 意祁王と袁祁王が隠れ住んだと伝えられている岩穴
149 滋賀 日野町 馬見岡綿向[うまみおかわたむき]神社 境内に置目老媼[おきめのおみな]を祀っている末社がある
150 滋賀 東近江市 市辺押磐皇子御陵[いちのべおしはのみこのみささぎ] 円墳が二基あり、市辺之忍歯王とその従人の墓であると伝わる
151 奈良 香芝市 顕宗天皇陵(傍丘磐坏丘南陵[かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ]) 顕宗天皇の陵墓として比定されている