ブックタイトルなら記紀・万葉 名所図会 古事記神様・人物入門編

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なら記紀・万葉 名所図会 古事記神様・人物入門編

4古事記の恋バナ暗峠くらがりとうげ奈良と大阪の府県境にある峠道。生駒市側も東大阪市側も非常に急坂となっている。頂上付近の石畳や集落などは街道筋の面影をとどめる。雄略天皇が若日下部王に会いに行っただこた「日下の直越えの道」という説もある。生駒市西畑町? MAP P29たく結婚することとなりました。しい犬」を若日下部王に贈って、プロポーズをして、二人はめで天皇は屋敷に火をつけるのをやめました。天皇はこの「白く珍分不相応を天皇に詫びて、白い立派な犬を献上したところ、り、屋敷を焼き払おうとしました。家の主の志し幾きの大おお県あがた主ぬはしの御殿に似せて家を造るとは、けしからん!」と雄略天皇は怒眺めると天皇の住まいによく似た屋敷を見つけました。「天皇に行こうと、険しい山越えをしていました。その途中、付近を大おお長はつ谷せの若わか建たける命のみこと(雄略天皇)が河内にいる若わか日く下さか部べ王のみにこ会い大おお長はつ谷せの若わか建たける命のみことの白い犬下巻命は、陵をつくり、そこにその櫛を納めたということです。たそくれさはんもあうる!で!ヒそれから七日後に流れ着いた后の??くしを海辺で拾った倭建た歌でした。比売は愛のために自らの命を絶ったのです。に、倭建命が比売のことを思って叫んでくれたことに感謝しオ話そえがんっあな?るド『古んロ事かド記?ロし』にたもださった君よ]は、相模国で炎に焼かれ死にそうになったとき火のその燃え広がる炎の中に立って私のことを呼びかけてくヒ三こま角う、関い今係うもやの昔嫉あも妬るもよね、ゆる火の火ほ中なかに立ちて問ひし君はも」[相模の小野に燃えるそのときに、比売が歌った歌、「さねさし相さが模むの小を野のに燃倭建命は進むことができました。もた素っく敵とさな他ん話にあやもる悲あのしるねいん恋で愛し話ょも?…ア身御供となったことによって、海の荒波は嘘のように和ないで、す。たちまち弟橘比売命は大波に飲まれてしまい、比売が人ください」と告げ、海に敷物を敷いてその上に降りて座りま【弟橘比売命】私が海に入りましょう。あなたは戦勝報告を天皇になさってとき、后の弟おと橘たちば比なひ売め命のみことは倭建命に「神の怒りを鎮めるために火ほ中なかに立ちて問ひし君はもき、海峡の神が海を荒れ狂わせ進むことができません。そのさねさし相さ模がむの小を野のに燃ゆる火のしかし、一行が走はしり水みず海のう(み現在の浦賀水道)を渡ろうとしたとようやく生還して更に東へ向かいます。叔母の倭比売命にもらっていた草なぎの剣と火打石を使い、かれて、野火の炎に巻かれて絶体絶命となります。しかし、ち進み、相さが模むの国くににやってきたとき、倭建命は相模の国くにのみ造やつこに欺各地の荒ぶる神や従わない者達との戦いを繰り返し、勝戦を命じたのでした。建命を遠ざけるため、西国そして東国へと抵抗勢力を倒すしい気性を、実の父親である景行天皇は恐れました。父は倭倭やまと建たける命のみことは武勇に秀でていましたが、生まれもった力や激弟おと橘たちばな比ひ売め命のみこのと倭やまと建たける命のみこへとの思い我が身は海の藻も屑くずとなろうとも中巻13