ブックタイトルなら記紀・万葉 名所図会 古事記神様・人物入門編

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概要

なら記紀・万葉 名所図会 古事記神様・人物入門編

あ親恋るの愛で愛以!て外のにも今も昔も親や、急に攻めることをやめました。どもを身ごもった沙本毘売命が兄のところに走ったと知るいる稲束を積み重ねた砦を攻めました。しかし、自分の子き出しました。天皇は、沙本毘古王を討とうとして、王がしまいました。目覚めた天皇は沙本毘売命から事情を聞持ちになってできません。思わず涙を天皇の顔にこぼして眠っている天皇の首を三度刺そうとしましたが、悲しい気めよう」と迫りました。そこで沙本毘売命は自分の膝ひざ枕でまくら葉が本当ならばこれで天皇を刺し殺し、二人で天下を治様」と答えました。沙本毘古王は妹に小刀を渡し「その言王のみにこ「夫と兄の私のどちらが大切か?」と問われて、「お兄皇后となりました。あるとき沙本毘売命は、兄の沙さ本ほ毘び古こ沙さ本ほ毘び売め命のみことは伊い久く米め伊い理り毘び古こ伊い佐さ知ち命のみこと(垂仁天皇)の沙さ本ほ毘び売め命のみとこ本ほ牟む智ち和わ気け御の子中巻みこの愛は強しの成長を託す母の姿がここに描かれているのです。した。決死の思いで生んだ子の命を乞う姿。そして我が子古王は殺され、沙本毘売命もまた兄に従って死んでいきま自分の後の后の名前を挙げました。やがてついに、沙本毘け、乳母や入浴させる係りの者たちをつけることを願い、本毘売命は、生まれた子の名前を本ほ牟む智ち和わ気け御の子と名づみこが命名するならいでした。天皇に子どもの名を問われた沙ても皇后を取り戻すことができませんでした。当時は母親皇后の髪を握ると抜け落ち、衣装をつかむと破れ、どうしせておいた衣装を身につけていました。そのせいで、兵士が天皇のたくらみを見抜いていて、剃った髪で頭を覆い、腐らら離すな。引きずり出せ」と命じました。けれども皇后はうとして、力自慢の兵士に「皇后の髪でも手でも、つかんだ天皇は子どもはもちろん、いとしい沙本毘売命も奪い取ろのなら、どうぞそちらで育ててください」と願い出ました。の外に置き、天皇に「この子を天皇の御み子こと思ってくださるやがて沙本毘売命は無事に出産すると、その子どもを砦狭岡神社さおかじんじゃ社伝によると、715年(霊亀元年)、藤原不比等が邸宅の丘部分に国家鎮護と藤原氏繁栄を願い、創建したとされる。境内には沙本毘売命が姿を映したという鏡池がある。奈良市法連町604 ? MAP P2616