ブックタイトルなら記紀・万葉 名所図会 古事記神様・人物入門編

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なら記紀・万葉 名所図会 古事記神様・人物入門編

5今も昔も親の愛は強し!!我が子を救う母の姿がここにあるのです。泣き悲しみ、心から嘆いて助命を願い、あるいは我が手で大穴牟遅神を紀きの国くに(和歌山)へとこっそりと逃がしました。らせました。そして、ここにいては兄弟に殺されるからと、きながら探しあて、その樹を切り裂いて取り出し、生き返裂け目に挟はさんで殺してしまいます。刺国若比売はまたも泣再度、大穴牟遅神をだまして山に連れて行き、大きな樹の神を元の姿に蘇らせたのです。これを見ていた兄弟たちは之の命みこにと助けを求めます。そして女神が派遣され、大穴牟遅てしまいます。その時、刺国若比売は天に参上し神かむ産む巣す日ひている大穴牟遅神に焼けて真っ赤な岩を落とし、焼き潰し弟たちは赤い猪を捕まえろと大穴牟遅神に命じ、待ちうけろが、この危機を母の刺さし国くに若わか比ひ売めが救うのです。まず、兄牟遅神は兄弟たちから憎まれて殺されてしまいます。とこ言します。その予言どおり、二人は結ばれるのですが、大穴神のか)みに、兄弟たちを差し置いて八や上かみ比ひ売めと結婚できると予素しろう兎さぎ)は、体を元通りにしてくれたオオクニヌシ(大おお穴あな牟む遅じ昔話「いなばのしろうさぎ」(P6)の白うさぎ(稲い羽のなば刺さし国くに若わか比ひ売めと大おお穴あな牟む遅じ神のかみ上巻す。神功皇后の御子は品ほむ陀だ和わ気け命のみこといい、後に応神天皇とり、忍熊王の軍を油断させ、忍熊王をついに攻め破ったので皇后方の将軍・難なに波わ根ね子こ建たけ振ふる熊くま命のみことは皇后がなくなったと偽い軍勢があらわれ上陸し、忍熊王の軍と戦いました。さらにとして挙兵しました。その戦いの時、喪船からいるはずのな御子が亡くなったと聞いて忍おし熊くま王のみこは自分が後継者になろうしたて、そこに大勢の兵士を隠しておきました。間もなく、御子が亡くなったと偽りました。そして遺体を運ぶ喪もぶ船ねをした。大和に帰ろうとしたとき、皇后は反乱の気配を察し、(福岡)の香かし椎い宮のみやで命を失い、皇后は筑紫で御み子こを出産しまの皇后でした。天皇は神のお告げを信じなかったために筑紫息おき長なが帯たらし日ひ売め命のみこと(神功皇后)は帯たらし中なかつ日ひこ子の天すめらみこと皇(仲哀天皇)息おき長なが帯たらし日ひ売め命のみこと品ほむ陀だ和わ気け命のみこと中巻ほんますごいなあ変気母わ持のらち子なはをい今思んもうだ昔ねも!神功皇后陵じんぐうこうごうりょう(五社神古墳)さき佐紀古墳群の巨大な前方後円墳。2008年に宮内庁が陵墓への立ち入り調査を認めたことは記憶に新しい。奈良市山陵町? MAP P26軽島豊明宮跡かるしまのとよあきらのみやあと品陀和気命(応神天皇)の宮は『続日本紀』でかるしまのあきらのみやは軽島豊明宮、『古事記』では軽島之明宮と記される。春日神社の境内には、この地を伝承地とする石碑が建っている。橿原市大軽町北垣内374 ? MAP P28という強い意志をそこに見ることができるのです。利を求めました。自分の子になんとしてでも皇位をつがせるなったのでした。皇后は子が死んだと噂を流してでも戦の勝17