ブックタイトルなら記紀・万葉 名所図会 古事記神様・人物入門編

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概要

なら記紀・万葉 名所図会 古事記神様・人物入門編

伝飛鳥板蓋宮跡でんあすかいたぶきのみやあとあすかきよみはらのみやあと伝飛鳥板蓋宮跡は飛鳥浄御原宮跡でもあると考えられている。天武天皇とその次の持統天皇は20年以上に渡って飛鳥浄御原宮で律令国家の基礎がためを行った。天武天皇が『古事記』の編纂を始めるよう命じた場所でもある。高市郡明日香村岡? MAP P28それがかたちになる前に天皇は亡くなってしまいました。を、そばに仕えていた稗田阿礼に誦み習わせました。しかし、天皇の事績や神話・伝承・歌謡などを記した『帝紀』、『旧辞』要性を強く感じていました。天皇は、すでにあった各時代のめに、天皇家による支配の成り立ちが記してある書物の必そのような背景の中、天武天皇は、国家体制を強化するた導入の地ならしを力強く行いました。つけながら、自身は絶大な権力をもつ君主として、律令制で即位し、天皇となりました。大臣をおかず、皇族を要職に子の大友皇子を壬申の乱で倒し、673年に飛あ鳥すか浄き御よみ原はら宮のみやの天武天皇)は、同母兄である天智天皇が亡くなるとその父は舒明天皇、母は皇極(斉明)天皇。大おお海あ人ま皇のみ子こ(のち奈完良成時し代たのと元き明の天天皇皇は天武天皇てんむてんのう序飛編鳥纂時を代命のじ天た武の天は皇で作いっつた誰のが?奈と良こでろ作でら『れ古た事ん記や』っんてな?大プロジェクト『古事記』発動世紀の平城宮跡へいじょうきゅうせき平城京は元明天皇の時代に遷された都。平城宮は平城京の北端にあり、天皇の住まいや儀式の場所、役所が置かれた。復原された第一次大極殿に立つと『古事記』を献上される元明天皇の姿が目に浮かんでくるようだ。奈良市佐紀町?MAPP26二キ『古天人ー事皇いパ記がるソ』命ねンにじんがはたついに『古事記』が献上されました。した。叔父、天武天皇の遺業を継いだのです。そして712年(和銅5年)む神話や伝説などの物語を整理し書き留めるように太安万侶に命じま元明天皇は藤原京から平城京へ遷都し、その後すぐに、稗田阿礼が誦ことになったのです。聖武天皇)が幼かったため、首皇子の祖母にあたる阿閇皇女が即位するは若くして亡くなってしまい、後継者の首おび皇との子みこ(文武天皇の皇子、のちのだった持統天皇、次に息子の文武天皇が即位します。しかし、文武天皇た。夫、草壁皇子は天皇に即位する前に他界し、その後、天武天皇の皇后阿あ閇へ皇のひめみこ女(のちの元明天皇)は、天武天皇の皇太子草くさ壁かべ皇の子みこの妃でし元明天皇げんめいてんのう序20