ブックタイトルなら記紀・万葉 名所図会 ―日本書紀・旅編―
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なら記紀・万葉 名所図会 ―日本書紀・旅編―
厩戸皇子が歩んだ太子道~聖徳太子伝説~橘寺約30分14.6km百済寺法楽寺白山神社額安寺飽波神社法隆寺約10分3.0km約10分2.8km約10分2.9km周遊ルート案内 ●総移動距離:29.6km ●所要時間:約1 時間15 分約10分4.3km 約5分2.0km川西町吐田の油掛地蔵横の畦道が、太子道と考えられています。斑鳩の里フォトコンテスト入賞作品小高い丘の一角に佇んでいます。超人伝説が残る古代のヒーロー仏教を取り入れ、政治・文化に足跡を遺す大和郡山市額田部寺町36? 0743-59-1128近鉄橿原線平端駅より徒歩約15分 厩戸皇子が創建した学舎「熊凝精舎」の跡地にあるといわれる額安寺。熊凝とは当時のこの地の地名で、精舎とは釈迦の「祇園精舎」に準(なぞら)えて命名されました。つまり、学問道場であったと考えられています。額安寺の寺号は、推古天皇から賜ったとされています。しかし明治以降荒廃甚だしく戦後廃寺寸前となっていましたが、先々代住職(喜多亮快師)が熊凝精舎跡が消滅する事を憂い、独自で現在の姿に復させました。P25, D-536 828 669*43MAP磯城郡三宅町屏風? 0745-44-2001(三宅町)近鉄田原本線黒田駅より徒歩約20分生駒郡安堵町東安堵1379? 0743-57-1511(安堵町)JR大和路線法隆寺駅よりバス約10分、「東安堵」バス停下車北葛城郡広陵町百済1411-2? 0745-55-1001(広陵町)近鉄大阪線松塚駅より徒歩約30分 太子道沿いにあるこの神社の境内には、厩戸皇子が休憩したときに腰を掛けたという「腰掛石」と呼ばれる大石があります。 仏教を開いた釈迦の「祇園精舎」に倣って厩戸皇子が創建した学舎「熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)」を移した地と伝えられています。書紀には、舒明天皇が大宮と大寺を百済川のほとりにつくりたいと述べたとあり、舒明天皇の妻であった皇極天皇も、百済大寺を建立しようと思うので民を徴発せよと言ったとあります。三宅町の伴堂付近。太子道の幅を再現している区間があります。生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1? 0745-75-2555JR大和路線法隆寺駅よりバス約5分、「法隆寺門前」バス停下車生駒郡斑鳩町三井1570? 0745-75-2686JR大和路線法隆寺駅よりバス約5分「中宮寺前」バス停下車後、徒歩約20分ちょっと寄り道生駒郡斑鳩町大字岡本1873? 0745-75-5559JR大和路線法隆寺駅よりバス約5分、「中宮寺前」バス停下車後、徒歩約20分P25, C-311 134 324*51MAPあなほべのはしひとのひめみこ 歴史に大きな足跡を残したスーパースター厩戸皇子(後世に聖徳太子と尊称されるようになります)は用明天皇を父、穴穗部間人皇女を母とし、その長子として産まれました。穴穗部間人皇女が出産の日、宮中を巡行している途中、厩の戸口で産まれたのでその名がつけられました。厩戸皇子は産まれてすぐに言葉を話し、優れた知恵があり、成人すると一度に十人の訴えを聞いても、間違えることなく聞き分けることができ、さらには、未来のことまで見通すことができたとされています。 推古天皇の時代に東宮(皇太子)となり、国政をすべて執り行い、推古天皇の代行をしたと書紀にあります。この時期に国際的緊張が高まるなかでの遣隋使の派遣、冠位十二階や憲法十七条の制定などが行われています。さらに厩戸皇子は伯父の大臣・蘇我馬子とともに、我が国に仏教を積極的に導入しました。法隆寺をはじめとする厩戸皇子にまつわる寺院が奈良県内に多数あり、それらの寺社を結ぶ道は、太古から整備されて発展したと考えられます。中でも、厩戸皇子が歩んだとされる、飛鳥と斑鳩を結んだ太子道は、厩戸皇子に対する人々の篤い信仰心によって、その姿を現代に伝えています。太子道を歩きながら、厩戸皇子ゆかりの地を散策してみてはいかがでしょうか。 太子道は、「筋違道(すじかいみち)」と「磯長道(しながみち)」の2本の道からなります。「筋違道」は、厩戸皇子の住まいがある斑鳩と飛鳥を往復したルートで、「磯長道」は斑鳩宮(いかるがのみや)で亡くなった厩戸皇子を磯長[現在の大阪府太子町]にある叡福寺(えいふくじ)の御廟まで葬送したとされるルートです。太子道 MAP P25, D-5 たいしみちP30, E-536 503 132*30MAP 橘 寺たちばなでら 寺伝には、この場所に橘の宮という欽明天皇の別宮があり、そこで厩戸皇子が誕生したといわれています。聖徳太子建立七大寺の1つとされ、本堂には、室町時代の聖徳太子坐像[重要文化財]があり、厩戸皇子[聖徳太子]が勝鬘経(しょうまんきょう)を講義する姿が表現されています。高市郡明日香村橘532? 0744-54-2026近鉄吉野線飛鳥駅よりバス約10分、「川原」バス停下車 厩戸皇子が飛鳥の地から斑鳩宮に移ったと書紀にあり、斑鳩宮の傍らに亡き父・用明天皇のために寺を建立したのが法隆寺[斑鳩寺]のはじまりです。現在の法隆寺は、世界最古とされる木造建築物であり、世界文化遺産に登録されています。 孝霊天皇の黒田廬戸宮(いおとのみや)跡に厩戸皇子が建立したと伝えられています。また、この宮で誕生したとされる孝霊天皇の皇子で、山陽道を平定するため派遣された吉備津彦は桃太郎のモデルとされていることから、当地を桃太郎生誕の地としています。磯城郡田原本町黒田360? 0744-32-2580近鉄田原本線黒田駅より徒歩約5分法楽寺ほうらくじP25, D-636 736 807*41MAP 百済寺くだらでらP25, D-411 048 570*22MAP 額安寺かくあんじP25, C-411 073 737*85MAP 法隆寺ほうりゅうじ法起寺ほうきじ 厩戸皇子が葦垣宮(あしがきのみや)で夢見によって創られ、東安堵・西安堵の氏神として祀られています。江戸時代まで牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と呼ばれ、祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。P25, C-411 076 151*70MAP 飽波神社あくなみじんじゃP25, D-536 888 180*83MAP 白山神社はくさんじんじゃ 聖徳太子建立七大寺の1つである法起寺は、厩戸皇子の遺言により息子の山背大兄王が岡本宮を寺に改めたことがはじまりであるとされています。現存する三重塔は国宝です。生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2? 0745-75-2106JR大和路線法隆寺駅よりバス約5分、「中宮寺前」バス停下車後、徒歩約10分P25, C-411 103 299*25MAP 中宮寺ちゅうぐうじ 厩戸皇子が母である穴穂部間人皇女のために、斑鳩宮を寺に改めたとされます。国宝の半跏思惟像(はんかしゆいぞう)など多くの寺宝を有しています。P25, C-311 134 180*10MAP 法輪寺ほうりんじ 厩戸皇子の息子・山背大兄王(やましろのおおえのおう)が皇子の病気平癒を願って建立したとされています。本尊は、飛鳥時代の後期作とされる薬師如来坐像です。右の写真が「腰掛石」です。P108108 108108大 和 川案内看板額安寺昭和工業団地板屋ヶ瀬橋大和中央道至 平端駅至 大和まほろば スマートICP112277108案内看板百済寺百済至 広陵町役場百済寺公園至 松塚駅PP155橘寺裏参道駐車場への案内看板橘寺岡川原バス停至 石舞台古墳至 岡寺駅川原寺跡明日香村役場川原寺公衆トイレP 197太子道法楽寺黒田駅黒田大塚古墳孝霊天皇黒田慮戸宮跡石碑近鉄田原本線197108108川寺太子道糸井神社白山神社式下中学校至 黒田駅杵築神社25P5法隆寺駐車場(有料)法隆寺中宮寺法隆寺前法隆寺東法隆寺前バス停法隆寺門前バス停至 法隆寺駅P 三井観光自動車9駐車場法輪寺法起寺至 大和郡山市至 中宮寺東交差点PP 三井観光自動車9駐車場法起寺法輪寺至 大和郡山市至 中宮寺東交差点25P5法隆寺西山観光駐車場(有料)駐車場への案内看板あり法隆寺中宮寺法隆寺東中宮寺前中宮寺前バス停至 法隆寺駅109飽波神社 108西名阪自動車道東安堵バス停至 法隆寺駅安堵町役場安堵小交番