ブックタイトルなら記紀・万葉 名所図会 ―日本書紀・旅編―

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なら記紀・万葉 名所図会 ―日本書紀・旅編―

吉野郡大淀町今木367? 0745-67-2221近鉄吉野線吉野口駅より徒歩30分高市郡明日香村岡? 0742-22-1101(奈良県)近鉄吉野線飛鳥駅よりバス約20分、「岡天理教前」バス停下車比較的登りやすい緩やかな丘で、頂上には明日香村や大和三山が一望できる展望台があります。平城京遷都に伴い、現在の奈良市に新築移建されたのが元興寺です。<飛鳥寺>高市郡明日香村飛鳥682? 0744-54-2126近鉄橿原線・南大阪線橿原神宮前駅よりバス約20分、「飛鳥大仏」バス停下車<元興寺>奈良市中院町11? 0742-23-1377近鉄奈良線近鉄奈良駅より徒歩約15分高市郡明日香村飛鳥? 0744-54-2001(明日香村)近鉄橿原線・南大阪線橿原神宮前駅よりバス約20分、「飛鳥大仏」バス停下車乙巳の変の舞台となった飛鳥板蓋宮の跡(飛鳥宮跡)13 14のどかな風景に秘められた激動の跡乙巳の変~大化の改新への道のり~ 「乙巳の変」ということばに聞き覚えがなくても「大化の改新」はご存知でしょう。天皇家に匹敵する権力を握った豪族の蘇我氏を打倒して天皇の権力を確かなものにした政変であり、その後の大化の改新につなげたのが乙巳の変です。 書紀によると、蘇我蝦夷・入鹿父子は飛鳥の甘樫丘に邸宅を構え、武器庫を作り、その力を示したとされます。しかし、その半年あまりで変が起こり、入鹿は宮中で討たれ、その父の蝦夷はみずから屋敷に火をかけたとされます。みなさんも実際に甘樫丘に登って、飛鳥や大和三山の見事な景観を眺めながら、はるか昔の出来事に思いをはせてみてはいかがでしょうか。 この乙巳の変を主導したのが、皇極天皇の息子・中大兄皇子[のちの天智天皇]と臣下の中臣鎌足です。中大兄皇子が法興寺[飛鳥寺]の槻の木の下で打鞠をしたとき、脱げた沓を中臣鎌足が拾い、中大兄皇子に差し出したことで二人は出会いました。その後、蘇我氏の中でも蝦夷・入鹿に不満を持っていた蘇我倉山田石川麻呂などを仲間にし、飛鳥板蓋宮で、朝鮮半島からの使節を迎える儀式に乗じて、入鹿を討ちました。約20分8.4km入鹿神社山田寺跡甘樫丘飛鳥寺約5分0.8km約5分2.0km飛鳥宮跡石舞台古墳談山神社約5分1.0km約15分5.4km約5分1.2km約5分0.1km蘇我入鹿首塚●総移動距離:18.9km ●所要時間:約1 時間神社の近隣には、「曽我」という地名が今も残っています。周遊ルート案内高市郡明日香村大字豊浦?0744-54-2441(一般財団法人 公園財団 飛鳥管理センター)近鉄橿原線・南大阪線橿原神宮前駅よりバス約10分、「甘樫丘」バス停下車付近一帯は飛鳥歴史公園甘樫丘地区として整備されています。P30, F-336 534 718*02MAPちょっと寄り道スケールは小さくても見応え十分な、春日造りの本殿です。ふたりが談合を行ったとされる場所に、御相談所石碑が建っています。いっし  へん現在は国の特別史跡に指定され、その雄大さの一端がわかります。くつそがのえみし いるか※2017飛鳥光の回廊なかのおおえのみこなかとみのかまたりほうこうじあすかでらそがのくらやまだのいしかわまろあすかいたぶきのみや 乙巳の変で中大兄皇子側についた蘇我倉山田石川麻呂が創建した寺の跡地です。発掘調査では、寺の東回廊が倒壊した状態のまま、土中に埋まっていたものが見つかりました。現在、柱や連子窓※5(れんじまど)などが復元されて、明日香村にある飛鳥資料館に展示されています。桜井市山田? 0744-42-9111(桜井市観光まちづくり課)JR万葉まほろば線・近鉄大阪線桜井駅(南口)よりバス約15分、「山田寺」バス停下車飛鳥宮跡にある石敷広場や大井戸跡は、飛鳥板蓋宮と同じ場所に営まれたとされる飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)の施設を復元したものです。山田寺跡やまだでらあとP30, H-536 478 384*04MAP 中大兄皇子と中臣鎌足は、多武峰(とうのみね)に登って蘇我入鹿討伐の談合を行ったとされています。そのことからこの山は「談(かたら)い山」「談所ヶ森(だんじょのもり)」と呼ばれ、それが談山神社の社号の起こりとなったといわれています。祭神は中臣[藤原]鎌足です。桜井市多武峰319? 0744-49-0001JR万葉まほろば線・近鉄大阪線桜井駅よりバス約25分、「談山神社」バス停下車談山神社たんざんじんじゃP27, B-536 256 343*13MAP 御神宝として蘇我入鹿の甲、鎧を祀っていると伝えられています。また、古くから入鹿大明神と称されて、住民に親しまれてきました。入鹿の命日である9月23日に、例祭で子供巫女舞が行われていましたが、現在は10月第2日曜日に開催されています。P29, B-136 649 046*07MAP 蘇我入鹿を祀る神社で、地元の尊崇を集めています。入鹿は、隋から帰国した僧侶・旻(みん)の講義に出席し、宗我太郎[入鹿]に勝るものはいないと当時の人々が評したほどの人でした。これは中臣鎌足の伝記『藤氏家伝』に書かれており、敵も認めざるを得ないほど有能な人であったことがわかります。橿原市小綱町335お問い合わせ・見学申込はこちらへhttp://dainichido.net/近鉄大阪線・京都線大和八木駅より徒歩約10分入鹿神社いるかじんじゃ※5 四角の窓枠の開口部に棒状の木を縦に並べたもの。甲神社かぶとじんじゃ 甘樫丘は、当時権力を持っていた蘇我蝦夷・入鹿父子が邸宅[宮門(みかど)とよばせた]を築いたところと書紀に記されています。2005年の発掘調査で建物の跡や焼けた壁土が発見され、書紀の記述と一致すると話題になりました。P30, E-436 503 571*06MAP 甘樫丘あまかしのおか 蘇我入鹿が乙巳の変で中大兄皇子らに討たれた地です。従来は皇極天皇の宮として伝飛鳥板蓋宮跡という名称でしたが、調査により、複数の宮がこの地に置かれていたことが判明し、2016年に飛鳥宮跡に名称が改められました。飛鳥宮跡あすかきゅうせきP30, E-436 503 386*44MAP 巨石30個を積み上げてつくられた、一辺約50メートルの方墳で、日本最大級の横穴式古墳です。古墳最大の巨岩である天井石は南側が約77トン、北側約64トンもあります。被葬者は書紀の記述から、蘇我蝦夷の父である馬子である可能性が高いとされています。高市郡明日香村島庄254? 0744-54-4577(一般財団法人明日香村地域振興公社)近鉄吉野線飛鳥駅よりバス約15分、「石舞台」バス停下車石舞台古墳いしぶたいこふんP30, E-536 474 640*15MAP 甘樫丘のふもとで、飛鳥寺の西側に蘇我入鹿首塚といわれる五輪塔[密教の供養塔]があります。飛鳥板蓋宮[飛鳥宮跡]で暗殺された入鹿の首が、ここまで飛んで来たという言い伝えがあります。P30, E-436 533 055*75MAP 蘇我入鹿首塚そがのいるかのくびづかP30, E-436 533 055*75MAP 596年(推古4年)、仏教を保護した蘇我馬子の発願による日本初の本格的寺院として完成しました。三金堂が塔を囲む大寺で、法興寺・元興寺とも呼ばれていました。本尊の銅造釈迦如来坐像[重要文化財]は、飛鳥時代に作られた日本最古の仏像で、飛鳥大仏の名で親しまれています。飛鳥寺あすかでら古墳のまわりでは、四季折々の花が見られます。24P 道標橿原市役所西入鹿神社柳町橿原市役所大和八木駅八木西口駅畝傍駅JR 万葉まほろば線近鉄大阪線PP155登り口登り口から御相談所石碑まで徒歩約10 分談山神社御相談所石碑談山神社バス停至 明日香村309甲神社至 吉野口駅至 下市町今木簡易郵便局交番PP1515石舞台駐車場155(有料)石舞台古墳石舞台バス停至 岡寺駅至 談山神社155飛鳥宮跡飛鳥京跡苑池岡岡天理教前バス停至 岡寺駅至 石舞台古墳至 飛鳥寺明日香村役場郵便局P124(有料)飛鳥寺蘇我入鹿首塚飛鳥大仏バス停飛鳥寺西門跡至 甘樫丘至 桜井市15山田寺跡山田寺バス停山田寺跡説明版磐余の道道標至 桜井市至 明日香村案内看板