ブックタイトルなら記紀・万葉 名所図会 ―日本書紀・旅編―
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なら記紀・万葉 名所図会 ―日本書紀・旅編―
吉野郡下北山村池峰? 07468-6-0001(下北山村)近鉄吉野線大和上市駅よりタクシー橿原市城殿町? 0744-21-1115(橿原市)近鉄橿原線畝傍御陵前駅より徒歩約10分藤原宮跡の赤い列柱は、朝堂院の東・西・南門、大極殿院南門の柱を復原したものです。17 18女帝の功績で結ばれる日本書紀藤原京遷都~天武天皇・持統天皇の足跡~ 7世紀末、飛鳥の北、大和三山を取り囲むようにして日本で最初の本格的な都が造営されました。中国の都城をお手本に、東西南北を碁盤の目のように区画する「条坊制」を採用した「藤原京」です。書紀には新益京と記され、694年(持統8年)に遷都が行われたとされています。 この天武天皇が構想した新しい都の造営を推進したのが、天武天皇の皇后であった持統天皇です。持統天皇は夫の崩御後に自ら天皇となって政務を受け継ぎ、国家の礎となる法令「飛鳥浄御原令」の制定、戸籍の整備など、律令国家体制の整備を行いました。持統天皇の諡号は書紀に「高天原広野姫天皇」とあります。この高天原とは、『古事記』や『日本書紀』に登場する天上の神々の世界です。持統天皇が記紀神話と深いつながりがあることを述べようとしたのでしょうか。 書紀には、夫との思い出の地吉野へ30回以上も行幸したことや、天武天皇が妻の持統天皇の病気回復を祈って、薬師寺を建立したエピソードも記されています。そして、持統天皇が孫である軽皇子に譲位したという記載で、『日本書紀』は結ばれています。 現在、特別史跡藤原宮跡の真南に、檜隈大内陵がひっそりとたたずんでいます。ここに、さまざまな苦楽を共にした天武天皇・持統天皇夫婦は寄り添うように眠っています。約30分14.7km龍田大社廣瀬大社藤原宮跡本薬師寺跡約5分1.1km約5分2.4km天武・持統天皇陵束明神古墳約10分2.8km飛鳥京跡苑池周遊ルート案内 ●総移動距離:31.8km ●所要時間:約1 時間15 分約15分6.4km約10分4.4kmP24, D-7542 400 452*77MAPP29, C-336 561 700*00MAPP25, B-411 008 690*50MAP吉野郡天川村坪内107? 0747-63-0558近鉄吉野線下市口駅よりバス約60分、「天河大弁財天社」バス停下車 古墳時代末期の八角形と考えられている古墳で、横から木棺等を納める横口式の石槨(せっかく)墳です。遺物の年代から天武天皇と持統天皇の子で、皇太子のままこの世を去った草壁皇子の墓の可能性があります。万葉集には、柿本人麻呂らが草壁皇子を偲んだ歌が載っています。吉野郡黒滝村鳥住90? 0747-62-2031(黒滝村)近鉄吉野線下市口駅よりタクシー9月にはホテイアオイが見頃を迎えます。藤原宮跡の東側では、7~8月にハナハスが咲きます。現在は埋め戻されています。藤原宮跡周辺には5つの花ゾーンがあり、四季折々の花を楽しめます。ちょっと寄り道生駒郡三郷町立野南1-29-1? 0745-73-1138JR大和路線三郷駅より徒歩約5分天武天皇は五穀豊穣祈願のため、龍田・廣瀬の神を祀りました。しんやくのみやこあすかきよみはらりょうかるのみこおくりな周囲1㎞の明神池は天然池としては奈良県内最大!たかあまのはらひろのひめのすめらみことひのくまのおおうちのみささぎ(奈良県立橿原考古学研究所提供) 675年(天武4年)に、天武天皇が使者を派遣して「風神を龍田の立野に祀った」と書紀に記載のある古社です。また、延喜式神名帳に記されている龍田風神祭の祝詞(のりと)では、創建を崇神天皇の時代としています。龍田大社たつたたいしゃP25, C-411 015 393*27MAP北葛城郡河合町川合99? 0745-56-2065近鉄田原本線池部駅より徒歩約25分JR大和路線法隆寺駅よりタクシー 水田を潤す清浄な水の神である廣瀬大忌神を祀る古社。675年(天武4年)に天武天皇が勅使を遣わし、大忌神を廣瀬の河曲(かわわ)に祀ったと書紀に記載があります。天武天皇・持統天皇時代には、龍田の風神・廣瀬の水神を共に30回以上も祀ったことが記されています。廣瀬大社ひろせたいしゃ明神池みょうじんいけ 飛鳥時代に役行者(えんのぎょうじゃ)や天武天皇が創建に深く関わった、と社殿や記録にあります。祭神の弁財天は、本来水の神ですが、音楽・芸能・商売の神としても人気があります。また天岩戸が開いたときに使われた「神代鈴」と同様のものとされる「五十鈴(いすず)」が神宝として伝わっています。天河大辨財天社てんかわだいべんざいてんしゃP23, D-4439 584 151*74MAP 修験道の開祖である役行者が天智天皇の勅命により、国家安泰を祈願する道場として開山しました。平安時代に理源大師が再興した後、修験の中心となり、明治初期まで大いに栄えたといわれています。鳳閣寺ほうかくじ 天武天皇が皇后[のちの持統天皇]の病気平癒のために680年(天武9年)に発願し、天武天皇崩御後も持統天皇によって建立されました。平城京遷都に伴い、現在の西ノ京へと移され、移建後は区別するために、こちらを「本(もと)薬師寺」と呼ぶようになりました。現在では金堂や塔の礎石などが遺っています。本薬師寺跡もとやくしじあと高市郡明日香村野口? 0744-22-3338(宮内庁書陵部畝傍陵墓監区事務所)近鉄吉野線飛鳥駅よりバス約5分、「天武・持統陵」バス停下車P29, D-536 472 609*81MAP 野口王墓とも呼ばれ、第40代天武天皇と第41代持統天皇が夫婦で合葬されています。持統天皇は天皇として初めて火葬されました。書紀には「大内陵」と記されています。八角形の形状を持つ墳墓とされています。P24, C-5439 191 459*88MAP天武・持統天皇陵(檜隈大内陵) てんむ・じとうてんのうりょう ひのくまのおおうちのみささぎ橿原市高殿町ほか? 0744-21-1114(橿原市)近鉄橿原線畝傍御陵前駅より徒歩約30分 藤原京は、中国の都を模してつくられた日本初の本格的な都城です。その規模が平城京、平安京よりも広域の都であることが近年わかってきました。平城宮が平城京の北端にあるのと異なり、藤原宮は藤原京の中心に位置する宮殿です。また、国家的儀式を行う大極殿(だいごくでん)が日本で初めてつくられたといわれています。藤原宮跡ふじわらきゅうせきP29, D-236 592 842*12MAP高市郡明日香村岡? 0744-54-2001(明日香村)近鉄吉野線飛鳥駅よりバス約10分、「岡天理教前」バス停下車高市郡高取町佐田? 0744-52-3334(高取町)近鉄吉野線壺阪山駅より徒歩約25分 発掘調査によると、堤をはさんで南北2つの池からなり、底には平らな石が敷き詰められていました。外国使節などの歓迎の場として利用されたのが、この庭園跡ではないかと推定されています。現在、復元計画が進められています。飛鳥京跡苑池あすかきょうあとえんちP30, E-436 503 380*18MAP束明神古墳つかみょうじんこふんP29, C-636 439 235*65MAP 注ぐ谷がなく、出ていく川がないのに決して涸れることのない神秘の池とされています。天武天皇の時代、水神の怒りで水面が波立った池を、役行者が3日間、不眠不休の祈祷で鎮めました。また明神池のほとりには、池をご神体とし水神を祀るように命じられて建立された池神社があります。佐田ふる里館案内看板県立高取国際高束明神古墳至 壺阪山駅P48案内看板トンネル入口手前で左折し細い道へ鳳閣寺至 黒滝村役場至 下市町地蔵トンネル169P 中華料理店コンビニ本薬師寺跡畝傍御陵前駅近鉄橿原線195P駐車場への案内看板案内看板龍田大社馬場立野三郷駅西三郷駅JR 大和路線169169425池神社明神池上池原至 上北山村至 尾鷲市至 十津川村 至 北山村池原ダム309P53川合天河大辨財天社天河大弁財天社バス停至 大淀町天川村役場P209拝所天武・持統天皇陵(檜隈大内陵)天武・持統陵バス停至 甘樫丘至 飛鳥駅155飛鳥京跡苑池休憩舎飛鳥京跡苑池飛鳥宮跡岡岡天理教前バス停至 岡寺駅至 石舞台古墳至 飛鳥寺明日香村役場郵便局5 P36大 和 川 廣瀬大社西穴闇西名阪自動車道法隆寺 IC池部駅至