ブックタイトルなら記紀・万葉 名所図会 ―日本書紀・旅編―

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なら記紀・万葉 名所図会 ―日本書紀・旅編―

奈良市佐紀町247-1? 0742-30-6753(独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所)近鉄奈良線大和西大寺駅より徒歩約10分奈良市此瀬町? 0742-42-1101(奈良県)近鉄奈良線近鉄奈良駅よりバス約30分、「田原大野」バス停下車後、徒歩約20分平城宮跡は、国営平城宮跡歴史公園として整備されています。19 20古事記・日本書紀編纂~功労者ゆかりの地へ~興福寺春日大社十輪寺太安萬侶墓約15分7.1km約75分36.5km松尾寺賣太神社平城宮跡平城宮跡資料館法華寺約10分0.6km約5分約20分 1.6km8.0km約40分18.9km多神社・小杜神社周遊ルート案内 ●総移動距離:86.6km ●所要時間:約3 時間20 分約25分10.4km約5分約5分 1.8km1.7km大和郡山市稗田町319? 0743-52-4669JR大和路線郡山駅より徒歩約20分大和郡山市山田町683? 0743-53-5023JR大和路線大和小泉駅よりバス約10分、「松尾寺口」下車後、徒歩約30分のちの歴史・文化に大きな影響を与えた先人たちの足跡に、想いを馳せる 中大兄皇子が蘇我氏を倒した乙巳の変では、蘇我蝦夷が自害する際、天皇や国の歴史を記した『天皇記』・『国記』などがほぼ焼失してしまいます。焼失した歴史書に代わるものの作成は、中国をはじめとした東アジアの国々に日本という国を認めてもらうために重要であったと考えられていました。 その後、中大兄皇子の弟・大海人皇子が壬申の乱(672年)を勝ち抜いて天武天皇として即位し、舎人の稗田阿礼に命令して『古事記』の編纂がはじまりました。天皇の統治の由来と正統性を周知しようとしたのです。しかし、天武天皇が崩御して編纂は一時中断したと『古事記』には記されています。 『日本書紀』は682年(天武10年)に、やはり天武天皇が大極殿に皇子や諸臣を集めて「帝紀及び上古の諸事」を記録するように命じたとされています。そして『古事記』は712年(和銅5年)に、対して『日本書紀』は720年(養老4年)にどちらも奈良の都・平城京で完成したとされます。 記紀の編纂にかかわった人々に関連する寺社なども、奈良県内に多く残されています。『古事記』の編纂者である太安万侶の墓の発見は、当時一大ニュースとなりました。『日本書紀』を奏上した舎人親王が建てた松尾寺も、「厄除霊場」として有名です。さらに記紀の成立には、中臣鎌足の息子である藤原不比等の存在が大きく影響しているという説もあります。 神話・伝説や歴史が入り混じった書物である記紀の成立と痕跡をたどるコースは、古代の日本を考える有意義な旅となることでしょう。平城宮跡を利用して、大立山まつり等の様々なイベントが開催されています。 周辺に数多く鎮座する多神社の摂社のひとつで、境内には『古事記』編纂1300年の記念碑が建てられています。石の鳥居が佇んでいます。⇒奈良市春日野町160? 0742-22-7788近鉄奈良線近鉄奈良駅よりバス約15分「春日大社本殿」バス停下車第一次大極殿は平城遷都1300年を記念して、2010年に復原されました。とねりしんのうふじわらのふひととねりひえだのあれへんさん 669年(天智8年)に藤原鎌足の重い病の回復を願って、鏡女王(かがみのおおきみ)により山背国[現在の京都府]に建立された山階(やましな)寺が前身です。壬申の乱により都が大津から飛鳥に移ると、厩坂(うまやさか)の地に移建。さらに710年(和銅3年)の平城京遷都に伴い、藤原不比等によって現在の地に移建され、興福寺と名付けられました。その後は藤原氏の氏寺として、繁栄の一途をたどりました。興福寺こうふくじ 武甕槌命(たけみかづちのみこと)を鹿島[現在の茨城県]から迎え、御蓋山(みかさやま)に祀ったのがこの社のはじまりとされています。武甕槌命が鹿に乗ってやってきたとされることから、鹿を神使としています。768年(神護景雲2年)に社殿が造営されました。式年造替によって、赤い柱、檜皮葺きの屋根などが20年ごとに修繕・新調され、奈良時代からの美しさを受け継いでいます。春日大社かすがたいしゃ奈良市登大路町48? 0742-22-7755近鉄奈良線近鉄奈良駅より徒歩約10分現在再建中の中金堂は、2018年10月に落慶となります。2018年に創建1250年を迎えます。P26, E-111 355 519*23MAP P26, F-111 356 385*17MAP 奈良文化財研究所の50年にわたる発掘調査・研究の成果をもとに、土器や瓦、木簡などの出土遺物を展示。復元コーナーでは宮内におかれた役所や天皇が暮らした内裏を再現しており、平城宮跡の歴史や発掘の様子などについてわかりやすく説明しています。平城宮跡資料館へいじょうきゅうせきしりょうかん 現在の法華寺のある場所は、元々書紀編纂に深く関わったという説がある藤原不比等の邸宅でしたが、不比等の没後、娘の光明皇后がこれを相続して皇后宮としました。『続日本紀』には、745年(天平17年)に皇后宮を寺にするとあり、これが後の法華寺です。奈良時代に法華寺は、全国に置かれた国分尼寺を総轄する総国分尼寺とされていました。法華寺ほっけじP25, D-111 380 783*01MAP 『古事記』を詠み習わせた稗田阿礼を祀る神社です。稗田阿礼は、聡明で記憶力に優れていたとされ、現代では学問の神様として信仰を集めています。稗田氏は、天石窟(あまのいわや)や天孫降臨の神話に登場する天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祖とし、宮中の鎮魂祭という儀式で舞う女性を貢上した猿女君(さるめのきみ)の一族とされています。P26, E-111 381 567*53MAP奈良市法華寺町882? 0742-33-2261近鉄奈良線新大宮駅より徒歩約20分 720年(養老4年)、『日本書紀』を元正天皇に奏上した天武天皇の皇子である舎人親王は、718年(養老2年)が42歳の厄年であったため、書紀の無事完成と厄除けの願をかけてこの寺を建立したとされます。現存する厄除霊場としては、日本最古といわれています。日本唯一の舎人親王像が、毎年、期間限定で公開されています。松尾寺まつおでらP25, C-311 162 742*46MAP磯城郡田原本町多570-4? 0744-33-2155近鉄橿原線笠縫駅より徒歩約20分 多坐弥志理都比子神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)ともいいます。当地は「多氏」一族の拠点であり、『古事記』の編纂者である太安万侶は多氏の出身です。その南東にある小杜神社は太安万侶を祀っています。太安万侶の代に、氏の表記を「多」から「太」に改めましたが、また「多」に戻りました。多神社小杜神社おおじんじゃこもりじんじゃP25, D-636 709 685*67MAP 元明天皇は710年(和銅3年)に藤原京から平城京に遷都しました。当時の国際都市である中国・唐の都をモデルにして平城京の北端中央に平城宮はつくられました。その宮の中で最も重要な建物が国家の重要な儀式を行う大極殿です。『日本書紀』が元正天皇に奏上された場所もこの平城宮の大極殿だったかもしれません。P26, E-111 380 130*11MAP奈良市佐紀町? 0742-32-5106(平城宮跡文化庁管理事務所)近鉄奈良線大和西大寺駅より徒歩約15分 奈良市の中心部から東に、昔ながらの山里風景が広がる田原地区があります。十輪寺はこの地区の中心的な大寺として栄えていました。『古事記』の編纂者である太安万侶の墓が近くの茶畑で見つかり、遺骨の一部が、ここ十輪寺に納められ供養されています。十輪寺じゅうりんじP26, H-2266 845 818*36MAP奈良市大野町80? 0742-81-0973近鉄奈良線近鉄奈良駅よりバス約30分、「田原大野」バス停下車 1979年(昭和54年)、奈良市郊外の茶畑から奈良時代の火葬墓が発見されました。この墓は、木櫃(もくひつ)の下に置かれていた銅板墓誌から『古事記』の編纂者・太安万侶の墓と判明し、当時の新聞を賑わせました。副葬品として真珠も見つかり、太安万侶が現在のJR奈良駅西側付近に住んでいたことなどもわかりました。今は整備され、国の史跡に指定されています。太安萬侶墓おおのやすまろぼP26, G-2266 874 336*35MAP平城宮跡へいじょうきゅうせきP26, E-311 201 241*84MAP 賣太神社めたじんじゃP9123案内看板小泉出屋敷松尾寺松尾寺口バス停至 大和小泉駅24369P法華寺菰川橋東法華寺東新大宮駅海龍王寺奈良市役所市立一条高近鉄奈良線5252104P平城宮跡資料館二条町大和西大寺駅近鉄奈良線24P50川川寺鳥飛多神社小杜神社千代南笠縫駅県営福祉パーク近鉄橿原線P 4780183太安萬侶墓十輪寺田原田原大野バス停至 奈良市街至 奈良市街P 4780183太安萬侶墓十輪寺田原田原大野バス停至 奈良市街至 奈良市街P(有料)春日大社大仏殿春日大社本殿バス停東大寺大仏殿・春日大社前バス停春日大社表参道バス停至 近鉄奈良駅369169169PP猿沢池(有料)(有料)興福寺近鉄奈良駅奈良県庁24賣太神社稗田 美濃庄町西至 郡山駅至 奈良市至 天理市