ブックタイトルなら記紀・万葉 名所図会 ―日本書紀・旅編―
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なら記紀・万葉 名所図会 ―日本書紀・旅編―
21 22 法隆寺は、厩戸皇子が住んでいた斑鳩宮の傍らに創建された寺院です。この寺は「法隆寺式伽藍配置」と呼ばれる配置になっています。寺の中心である「西院伽藍」は、五重塔と金堂が並び、中門と大講堂をつなぐ回廊で囲まれています。そして、東大門を出たところには夢殿がある「東院伽藍」が広がっています。境内には、南大門・五重塔・金堂をはじめとする19棟の建造物が国宝に指定されています。 書紀によると、日本に仏教が伝わったのは552年(欽明13年)のこととされています。百済の聖明王が使者を遣わし、仏像や経典とともに仏教流布と礼拝の功徳を賞賛した文を天皇に献上しました。その後、蘇我氏など仏教を強く信奉する豪族が現れました。しかし反対派も存在し、仏教を取り入れるかどうかをめぐって戦いが起こりました。結果、仏教崇拝派の蘇我馬子と厩戸皇子の軍勢が勝利し、仏教は定着していきました。 その後、豪族たちは氏族の祖先を祀る目的で「氏寺」を建立し、飛鳥や藤原京を中心に各地で寺院が建てられていきます。厩戸皇子は「憲法十七条」を制定し、仏教を国の根本精神とします。遣隋使の派遣などにより、さまざまな大陸の文化が仏教を通じて、日本に入ってきました。仏教は学問的側面も強かったため、日本の政治、社会、文化の発展に、大きく貢献したのです。日本書紀が伝える仏教文化 興福寺の前身は中臣[藤原]鎌足の妻・鏡女王が山背国[現在の京都府]に建立した山階寺だとされています。藤原不比等が山階寺を移建した飛鳥の厩坂寺を平城京遷都に伴い、現在の地に移建し、興福寺と改称しました。藤原氏の氏寺として発展し、平安時代には全国各地に荘園を持ち、一大勢力となりました。明治時代には廃仏毀釈や神仏分離のあおりを受け、一度廃れましたが、現在は法相宗の大本山として、奈良を代表する寺となっています。 薬師寺は天武天皇が皇后[のちの持統天皇]の病気平癒を祈願するため建立を発願し、天武天皇の崩御後に持統天皇が天武天皇の遺志を受け継ぎ、藤原京に建立しました。その後、平城京遷都に伴い、奈良市に移建され、現在の薬師寺となったのです。現在は解体修理中である東塔は、実は三重塔で、各階に裳階(もこし)と言われる小さな屋根があることで六重塔のように見えます。2020年に修理が完了する予定です。 聖武天皇が大仏の造立を発願し、752年(天平勝宝4年)に東大寺で盛大に大仏開眼会が行われました。これが有名な「奈良の大仏」です。 また、東大寺の敷地内には「正倉院」があります。聖武天皇の崩御後に、聖武天皇の妻・光明皇后が東大寺の大仏に複数回奉献した夫の遺品や当時の重要物品を東大寺の正倉に収納したことが「正倉院」の始まりとされています。現在でも、正倉院に収納されている宝物は当時の姿を現し、国際色豊かな天平文化を伝えています。 日本に招かれ、5度の渡航失敗や失明にも負けず、中国から渡来した僧・鑑真は、聖武天皇から土地を賜り、759年に戒律を学ぶための道場「唐律招提寺」を建立しました。これが唐招提寺の始まりとされています。聖武天皇の娘・孝謙天皇はここで授戒したことから、以降歴代の朝廷から厚く守護され栄えました。国宝である金堂や講堂、経蔵、宝蔵は奈良時代の面影を今に残しています。 平城京の東に建てられた東大寺に対し、聖武天皇の娘・称徳天皇が、765年(天平神護元年)に平城京の西に建立した寺院です。平安時代に衰退しますが、鎌倉時代に叡尊(えいそん)上人によって再興されました。叡尊が献茶したことに由来する、4月第2日曜日と前日の土曜日・10月第2日曜日に行われる「大茶盛式」が、人気を集めています。仏教文化と世の中の動き71872 075275 475976578 4552『日本書紀』完成大仏開眼会の開催74 3 聖武天皇が紫香楽宮で大仏造立発願鑑真が来日唐招提寺建立西大寺建立長岡京遷都79 4 平安京遷都百済から仏教が伝わる(通説は538年)5 8 3 蘇我馬子が仏殿を造る5 87 蘇我馬子と厩戸皇子、物部守屋を討つ593 厩戸皇子が皇太子・摂政となる6 0 7 遣隋使の派遣6 3 0 遣唐使の派遣以後894年まで続く6 45 乙巳の変大化の改新へと続く6 67 大津京遷都672 壬申の乱69 4 藤原京遷都701 大宝律令制定710 平城京遷都興福寺建立712 『古事記』完成薬師寺移建ターニングポイント1 仏教伝来 飛鳥時代には飛鳥や藤原京において多くの社寺が建立されました。しかし、710年(和銅3年)に元明天皇のもとで行われた、平城京への遷都に伴い、飛鳥や藤原京にあった寺院が次々と平城京へ移転しました。これにより、多くの寺社が集まる、現在の奈良市内の風情ある町並みが生まれたのです。 そして、文武天皇の息子で、藤原不比等の孫である首皇子(おびとのみこ)が724年に聖武天皇として即位します。聖武天皇は当時蔓延していた疫病を鎮めるため、諸国に国分寺を造り、大仏を造立することを発願しました。仏教の布教を行っていた行基の協力を得て、752年に盛大に大仏開眼会が開かれました。 また、中国から渡来した僧・鑑真は東大寺大仏殿前で聖武太上天皇・光明皇太后に菩薩戒を授け、その後戒律の普及に尽力しました。奈良で仏教文化が開花した奈良時代。その後、興福寺が藤原氏の氏寺として政治に多大な影響力を持つなど、仏教は発展していったのです。現在でも奈良県内の至るところでその息吹を感じることができます。2 平城京遷都と仏教の普及飛鳥時代日本書紀続日本紀奈良時代法隆寺興福寺薬師寺東大寺唐招提寺西大寺720年(養老4年)に完成した『日本書紀』以降、歴史書の編纂は続き、『続日本紀』などに受け継がれていきます。書紀には、仏教の伝来とそれがどのように広まったのかが詳しく記されています。書紀が編纂された時代を中心に、奈良県の代表的な寺院を紹介しましょう。世界に誇る奈良の古寺その歴史的価値から注目を集め、海外からも多くの観光客が訪れる奈良の古寺。『日本書紀』をはじめとする古代の書物から読みとれるエピソードを知ることで、この6つのお寺のとらえ方もより深いものとなるに違いありません。ターニングポイント