ブックタイトル名所図会 日本書紀ことはじめ編

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概要

名所図会 日本書紀ことはじめ編

証の天あまの羽は羽ば矢やと歩かち靫ゆき(※注2)を示しても長髄彦※2歩靫羽は羽腰矢やは背大中蛇にをつもけよるく、射矢殺をす納鋭めいる矢武。具。天ん」と言って強く抵抗しました。尊が天上界のいます。天神の子が二人もいるはずがありませされています。り立ちました。私の妹と結婚して子も生まれて誠を誓いました。饒速日命は、物もの部のべ氏の遠祖と玉た饒まに速ぎは日やひ命のみとこという天神の子が天あまの磐いわ船ふにね乗って降ため、長髄彦を斬り捨て、軍勢を率いて尊に忠越えで大和に入るのを妨げた長髄彦は「昔、櫛くしもと天神が尊に味方していることを知っていた神日本磐余彦尊(のちの神武天皇)が生駒山は、従いませんでした。一方、饒速日命は、もと饒にぎ速はや日ひの命みことの帰き順じゅん長なが髄すね彦びこの抵抗むなしく3かぐやま香具山▲MAP P30橿原市南浦町大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)のひとつ。万葉歌で知られるだけでなく、記紀においても、天照大神の天岩戸神話では「天香山の真坂樹(まさかき)」が、そして神武天皇が大和を平定する際にも「天香山の社の中の土」が登場する。それだけ古代の人々にとって神聖な山であった。山中には天岩戸神社、天香山神社、国常立神社が鎮まる。りに飴を得ました。を平定することができるだろう」と祈り、言葉通飴を作ることができたら、私は武器を使わずに国い付けて川に沈め、「この平瓮を使って水無しでした。尊は、行く手を阻む者の運命を天手抉に呪そして丹に生う川がわの上流にのぼり天てん神しん地ち祇ぎを祀りま取って平ひ瓮らか・天あまの手たく抉じ・り厳い瓮つへ(※注1)を作りました。れた天神の教えに従い、天あまの香かぐ山やのま社の中の土をしていた尊は、夢にあらわしながら大和を目指山が囲む東方の美しい国・大やま和とを目指して、日ひゅう向がの先の土地を平定まとめるため、塩しお土つちの老お翁じから教えられた四方を青山を越え、行くが争っている状態であることを憂い、国をひとつにいくつもの降臨してから多くの月日が流れても、未だに村々はじめました。神かむ日や本まと磐いわ余れ彦びこの尊み(ことのちの神じん武む天てん皇のう)は、天てん孫そんが国くにから東征を神聖なる土器の素材とは2巻第三神武天皇神じん武む東とう征せいと香か具ぐ山やまの土やたにいますくしたまひこじんじゃ矢田坐久志玉比古神社▲MAP P29大和郡山市矢田町965古代、祭祀を司った豪族・物部氏の祖神である、饒速日命と御炊屋姫命(みかしきやひめのみこと)の夫婦神を祀る。饒速日命は神武東征よりも前、天照大神から十種神宝を授かり、天磐船に乗って地上に天降ったとされる神。航空祖神として信仰が厚く、楼門には奉納された陸軍戦闘機のプロペラが据えられている。に丹うかわかみじんじゃなかしゃゆめ生川上神社中社・夢淵ぶち▲MAP P31吉野郡東吉野村小968『日本書紀』には神武天皇が東征の際、丹生川に厳瓮を沈めて戦勝を占ったところ吉兆が得られ、喜んだ天皇は、丹生川の上流に生えていた榊を立てて神々を祀ったという記述がある。丹生川上神社は上社・中社・下社の三社があるが、すべての神社において同伝承の地であると伝えられている。中社では、境内を流れる川の「夢淵」が占った場所であるとしている。先でくぼませた土器。厳瓮は清浄な神酒を入れる瓶。※1な瓮っは平たたといい土い器のま皿す。。天手抉は丸めた土の中央を指平ときから、祭儀には厳瓮を据えるようにから抜いて神々に捧げ祀りました。この尊は喜び、川の上流に繁っていた榊を根魚が浮き上がり口をパクパクさせました。いました。厳瓮を川に投げ込むと、まさにずこの国を治めることができるだろう」と占小の魚がことごとく浮き流れるならば、私は必また「私は厳瓮を丹生の川に沈めよう。もし大※この年表は『日本書紀』の内容をつかむため、記載されている天皇年号を便宜上西暦に置きかえています。崇神天皇11開化天皇前158崩春か開かすい御日が化かの率い天ざ川かわの皇宮み即やに位春かす日がの率いざ川かわの坂さか本もとの陵みささぎ遷都孝元天皇孝霊天皇前214前290孝こ崩う元げ御崩御剣つるぎの池いけの島しまの上えの陵みささぎ軽かるの境さかい原はらの宮みやに遷都ん天皇即位片かた丘おかの馬うま坂さかの陵みささぎ孝こう霊れい天皇即位皇太子黒くろ田だの廬いお戸との宮みやに遷都孝安天皇孝昭天皇前392前475室む孝こ掖わ孝ころの崩うきう秋あ安あ御上が昭しみのょうきん津天池い天づけ島し皇心ごまの皇ごろの宮み即宮み即ややに位に位崩御玉たま手ての丘おかの上えの陵みささぎ遷都巻第四掖わき上がみの博はか多たの山やまの上えの陵みささぎ遷都懿徳天皇安寧天皇前510前549軽か片か安あるの懿崩いたん曲ま徳と塩し寧ねがり御くおい峡お天浮う天のき宮み皇孔あなの皇やに即宮み即畝や位うに位崩御畝うね傍び山やまの南みなみの繊まな沙ご谿たにの上えの陵みささぎ遷都ね傍び山やまの南みなみの御み陰ほと井いの上えの陵みささぎ遷都崩御綏靖天皇前581前585葛か綏すずら橿い城靖ぜ原きい高た天宮か丘おかの皇で宮み即崩やに位御桃花つ鳥き田たの丘おかの上えの陵みささぎ遷都畝うね傍び山やまの東うしとらの北陵みささぎ神武天皇前660前663前667神饒に香東天かぎ武速は具征皇やぐ天日ひ山や開)のま皇命みの始誕こ生橿かし原はらの宮みやにて即位がと帰順3巻第三川上流で戦勝を祈願2土で厳瓮を作り丹に生う神かむ日やま本と磐いわ余れ彦びこの尊みこ(とのちの神じん武む