ブックタイトル名所図会 日本書紀ことはじめ編

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概要

名所図会 日本書紀ことはじめ編

はしはかこふん箸墓古墳(倭迹迹日百襲姫命墓)MAP P29桜井市箸中前方後円墳の中でも大型で、最古級の古墳。宮内庁によって倭迹迹日百襲姫命(第7代孝霊天皇皇女)の墓と治定されている。『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)に登場する卑弥呼(ひみこ)の墓という説もある。輪山へ登ってしまいました。かせよう」と言い残し、天空をとどろかせて三私に恥をかかせた。今度は私がおまえに恥をかいます。すると蛇は人の姿になって「おまえは小さな蛇の姿が。姫命は驚いて声をあげてしま翌朝、姫命が櫛箱を開けてみると、そこにはに驚かないでくれよ」と答えました。けたら櫛箱の中に入っておこう。どうか私の姿い」と頼みます。すると神は「わかった。夜が明▲命は「どうか明るいところで姿を見せてくださた。しかし、神が夜しか訪ねて来ないので、姫倭迹迹日百襲姫命は大物主神の妻となりまし倭迹迹日百襲姫命と箸はし墓はか伝説5恋こいしい神は小さな蛇として現あらわれた度は天皇の夢枕に神が現れ「我が子、大田田根皇が沐もく浴よくし身を清め、神に祈りをささげると今も豊かに実ったといいます。祀りましたが、状況は変わりません。悩んだ天ました。その後疫病は終息し、国は治まり五穀は安定する」と告げました。天皇はすぐに神をることがわかったので、祭祀を任せることにしに乗り移り、「我が名は大物主神。我を祀れば国見つけだし、出自を尋ねると確かに神の子であ天皇が神意を占うと、神がや倭まと迹と迹と日ひ百もも襲そ姫びめの命みこと県あ(がた現在の大阪府堺市・和泉市付近)の陶すえ邑むらで疫えき病びょうや反乱が続いたとされます。天皇は急ぎ大田田根子を探させ、ついに茅ち渟ぬの御み間ま城き入いり彦びこ五十い瓊に殖えの天すめ皇らみ(こと崇す神じん天てん皇のう)の時代、子に我を祀らせよ」と告げました。国の災わざわいを鎮しめずる方法大おお物もの主ぬしの神かみと大おお田た田た根ね子こ4巻第五崇神天皇人が作り、夜は神が作ったといわれています。姫命が葬られた墓は「箸墓」と呼ばれ、昼はは箸が陰部に刺さって死んでしまいました。後悔してがっくりと座り込んだ拍子に、姫命大神神社MAP P29おおたたねこじんじゃ大直禰子神社 MAP P29桜井市三輪桜井市三輪日本最古の神社のひとつで、三輪山自大神神社境内の摂社で、一般に「若体が御神体である。本殿はなく、拝殿宮さん」と呼ばれている。奈良時代にから三輪山を拝む自然信仰の当初のは大神神社の神宮寺、大神寺として形を保つ。古代信仰の形態を知る上栄えた。祭神は大直禰子命(大田田で重要な神社。祭神は大物主大神、配根子命)、少彦名命、活玉依姫命。神に大己貴神、少彦名神。▲おおみわじんじゃ▲崇神天皇開化天皇前30崩御山やまの辺べの道みちの上えの陵みささぎさり亡くなる5の姿を見て、箸が陰部に刺倭やまと迹と迹と日ひ百もも襲そ姫びめの命みこ、と大物主前88武たけ埴はに安やす彦びこの反乱前91神かみを祀らせる4大おお田た田た根ね子こを探し、大おお物もの主ぬしの前95磯し城きの瑞みず籬かきの宮みやに遷都前97崇す神じん天皇即位巻第五12