ブックタイトル名所図会 日本書紀ことはじめ編

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概要

名所図会 日本書紀ことはじめ編

まりとされます。ました。これが伊勢神宮のはじに磯いその宮みやと呼ばれる斎さい王おう宮ぐうを建てた。そして、五い十す鈴ず川がわのほとり伊勢国に祠ほこらを建てて祀りましみつえじんじゃ御杖神社MAP P31宇陀郡御杖村神末1020杖から生まれた久那斗神と倭姫命の杖を祀る式内社。倭姫命が天照大御神の鎮座地を求めて巡幸されたとき、候補地の印として杖を残された。御杖村の村名はこれに由来している。倭姫命は大神の言葉に従い、と倭姫命に伝えました。であるとされています。神は「美しいよい国だからここにしよう」ささはたじんじゃ▲篠畑神社MAP P31宇陀市榛原山辺三2235『日本書紀』に登場する「菟田の筱幡」と考えられている神社のひとつ。創建年代は定かではないが、古くから元伊勢と呼ばれてきた。祭神は天照皇大神、境内に篠畑姫神、市杵島姫命を祀る。を立て弔いました。これが埴輪の誕生て伊い勢せの国くに(現在の三重県)に至った時、大天皇は喜び、早速皇后の陵墓に埴輪県)に入り、美み濃の(現在の岐阜県)を廻っ物を名付けて埴輪といいます。いすすわだんせい椅子に座る男性(埴輪)(6世紀頃)奈良県立橿原考古学研究所附属博物館蔵三宅町の石見遺跡から出土した埴輪。『日本書紀』の垂仁天皇紀にそれまでの殉葬の風習を改め、古墳に埴輪を巡らすことにしたと記されているが、古墳や埴輪の出現をめぐる考古学の研究成果とは年代が合わず、また殉葬に替えて埴輪を立てたということを裏付ける遺構は今のところ確認されていない。き、また引き返して近おう江みの国くに(現在の滋賀立てるようにしてはいかがでしょう」と進言しました。この土倭やまとの笠かさ縫ぬいの邑むらを出発して菟う田だの筱ささ幡はたに着すると野の見みの宿すく禰ねが「土物で人や馬などを作り、それを陵墓に姫命は、鎮座地を求める旅に出ました。▲「殉葬に代わるよい方法はないか」と臣下にたずねました。耜すき入いり姫びめの命みこかとら大神の祭祀を引き継いだ倭に心を痛めていた天皇は、皇后の日ひ葉ば酢す媛ひめの命みことが亡くなったときこれまで天照大神をお祀りしていた豊とよ陵墓の境界に臣下を生き埋めにする殉葬という葬礼の悲惨さ聖地を探して神との旅倭やまと姫ひめの命みこと巡じゅん幸こう土つち物ものを立てよ7埴はに輪わの誕生8これからは人に替かえて宿禰が到着すると、早速力比べをさせました。いわれています。を出いず雲もの国くにから呼び寄せました。この宿禰と蹶速の力比べは、相撲の起源だとけはやづか蹶速塚と互角に戦える者を探し、推挙された野の見みの宿すく禰ね朝廷に仕えることになりました。する者がいました。天皇はそれを聞いて、蹶速として天皇から当麻蹶速の領地をもらい、以後▲剛力を誇り力比べの相手を探しています」と奏いて殺してしまいました。宿禰は、勝った褒美MAP P31「大和国の当たぎ麻まの邑むらに当たぎ麻まの蹶け速はやという者がいて、宿禰が蹶速のあばら骨を蹴り折り、腰を踏み砕葛城市當麻83-1當麻寺の参道にある蹶速の墓と伝わる場所。塚の隣には蹶速を顕彰して立てられた相撲館があり、相撲に関する資料の見学や、土俵にあがる体験ができる。活いく目め入いり彦びこ五十い狭さ茅ちの天すめらみこと皇(垂すい仁にん天てん皇のう)の時代、二人は向き合い、戦い始めましたが、ほどなくすもうじんじゃ相撲のはじまり巻第六垂仁天皇命がけの対決!日本最初の天てん覧らん試じ合あい相撲神社MAP P29桜井市穴師野見宿禰と当麻蹶速が戦い、日本初の天覧試合が行われたとされている場所。近くの大兵主神社の摂社で、宿禰が祀られている。6▲※この年表は『日本書紀』の内容をつかむため、記載されている天皇年号を便宜上西暦に置きかえています。仲哀天皇成務天皇190 131崩御狭さ城きの盾たた列なみの陵みささぎ成せい務む天皇即位山やまの辺べの道みちの上えの陵みささぎ130志し賀がの高たか穴あな穂ほの宮みやにて崩御景行天皇1139774伊勢国にて薨こうじる日本武尊、蝦えみ夷し征討の帰途、日や本まと武たけるの尊みこ、と熊くま襲そを征討纏まき向むくの日ひ代しろの宮みやに遷都景けい行こう天皇即位71て田殉道死間守帰国、天皇の陵に70纏まき向むくの宮みやで崩御菅すが原わらの伏ふし見みの陵みささぎ61の田た非と道きじ時じく間まの香かくの菓みを求めさせる守もりに命じて、常とこ世よの国くに立てる83日ひ葉ば酢す媛ひめの命みこのと陵墓に埴輪をを禁止する前2倭やまと彦ひこの命みこのと葬礼に際し、殉葬を立てる7を求めて伊勢国に至り、祠前5倭やまと姫ひめの命みこ、と天照大神の鎮座地前23をとる6野の見みの宿すく禰ね、当たぎ麻まの蹶け速はやと相撲皇后狭さ穂ほ媛びめとともに果てる前25狭さ穂ほ彦びこの王みこの謀反発覚、妹の垂仁天皇前29纏まき向むくの珠たま城きの宮みやに遷都垂すい仁にん天皇即位13巻第七巻第六