ブックタイトル名所図会 日本書紀ことはじめ編

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概要

名所図会 日本書紀ことはじめ編

はくさんじんじゃ白山神社▲MAP P29桜井市黒崎祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)と同一神である白山比咩命(しらやまひめのみこと)と菅原道真公。雄略天皇の泊瀬朝倉宮の候補地のひとつ。境内に雄略天皇「泊瀬朝倉宮伝承地」の碑が、また、雄略天皇の歌で始まる『万葉集』の発祥の地として「萬葉集發燿讃仰」の碑が建立されている。り泣き沾そぼち行くも影媛あはれを過ぎ玉たま笥けには飯さへ盛り玉?もひに水さへ盛大おほ宅やけ過ぎ春はる日ひの春かす日がを過ぎ妻つま隠ごもる小を佐さ保ほ石いすの上かみ布ふ留るを過ぎて薦こも枕まくら高橋過ぎ物もの多さはにく知られています。媛が泣きながら鮪を追っていった時の歌はよたところ、その蛇は雷のような音を轟かせながら乃な楽ら山やまで殺させました。す。??は三諸岳で大蛇を捕らえて天皇に見せ尊は、大おお伴ともの金かな村むらの連むらじに命じて逃げ道を塞ぎ、鮪をわ和神の姿が見たい。行って捕らえてこい」と命じま媛はすでに平へ群ぐりの鮪しびと相思相愛で、それを知ったまた、あるとき天皇は、??に「私は三み諸もろ岳やまの考え、海つ柘榴ば市いでち会う約束をしました。しかし、ぶれつてんのうりょうにしたじんじゃ爾下神社という名を与えました。稚わか鷦さざ鷯きの尊みこと(のちの武ぶ烈れつ天てん皇のう)は媛を娶めとりたいとたちを??自身で養育するよう言い、ち少いさ子こ部べの連むらじい娘がいました。小お泊ばつ瀬せの▲たのです。天皇は大笑いし、連れて来た子ども臣下に、影媛という美しと発音する語であったため、勘違いしてしまっMAPP28物ものの部べの麁あら鹿か火ひ大おお連むらじという武烈天皇陵MAP P29香芝市今泉第25代武烈天皇の陵墓として宮内庁により治定されているが、他にも複数の候補地がある。『日本書紀』において武烈天皇は、残虐非道この上ない人物として書かれている。次の継体天皇(けいたいてんのう)の正統性を強調するためともいわれる。▲天理市櫟本町治道山和爾下神社古墳の上に鎮座する。神社の参道には、影媛の歌碑がある。石上から平城山へと、恋人を案じた媛が泣きながらひた走る場面が思い浮かぶ。皇に献上しました。「蚕」と「子」が同じく「こ」すると??はたくさんの子どもを集めてきて天影かげ媛ひめ伝説の臣下に国内の蚕を集めるよう言いつけます。巻第十六武烈天皇13摘ませ養蚕をすすめようと考え、?す?がるという名心を寄せた人を失う悲ひ恋れんに涙大おお泊はつ瀬せ幼わか武たけるの尊みこと(雄略天皇)は、妃に桑の葉をいます。こ子いる倭の五王の中の「武」であると考えられてべじんじゃ部神社れていた銘文から、中国の『宋書』に記されて雄略天皇は、日本国内の古墳の副葬品に刻ま改めてその丘にい雷かづとちいう名を与えました。見ることなく大蛇を丘に放させました。そして、▲目を爛々と光らせたので、天皇は恐ろしがり姿をMAP P29橿原市飯高町372多坐弥志理都比古(おおにいますみしりつひこ)神社の境外摂社。祭神は小子部命。? ?が子どもを養育した場所が飯高の付近とされており、子部の里といった。この子部神社から100m程西にも同名の子部神社があり、小子部命を祀る。臣下に命名する巻第十四雄略天皇倭わ王お「う武ぶ」雄ゆう略りゃく天てん皇のうきんさくめいてっけん金錯銘鉄剣(文化庁所有/国宝)埼玉県立さきたま史跡の博物館写真提供埼玉古墳群の稲荷山古墳から出土した鉄剣。この鉄剣の銘は「ワカタケル大王」と読むことができる。この大王は雄略天皇と同一視されており、『宋書』に記されている倭の五王の「武」にあたるとされている。12※この年表は『日本書紀』の内容をつかむため、記載されている天皇年号を便宜上西暦に置きかえています。宣化天皇安閑天皇継体天皇武烈天皇仁賢天皇顕宗天皇清寧天皇雄略天皇539 536 535 534 531 527 526 524 518 512 511 507 506498 488 487 485 484 481480 479 471 462 460 456 453崩(檜ひ宣せ崩勾ま安あ崩筑で(辛亥年)つ磐い百弟お百筒つ継け崩泊は武楽武皇崩仁近ち顕崩億清せ崩三后出葛雄天石い安あがくらぶおみのんりんかつのそのくわとついつい(んの御隈く閑か紫余国く城体御瀬烈山御賢宗発寧御諸もに城略皇康しれ済だきたせや烈れ計けね会こまの化御金御済太御かか飛あ仕乎ろの上かんのにののいのまちいおみのうなのつすの稲廬天橋天玉へら宮天列天で天天見天え獲岳蚕う山天、穴天は国くたの宮みなみ天子鳥か王みおいしにまやみの(わあこ荷たのを皇眉かののやの皇まな入皇皇穂ほに皇城き皇平皇皇居で穂皇お宮聖任小み造みせにへ皇八けのみのおや顕けのよほりやつこい磐山この群神飼ぐ石いんい、輪わの野即即宮み遷樟く宮み即即宗ち臣狩宮即のにや明め那ま泊ば釣つ磐遷)すやりのそのわおぞのみのいりのいなつ位余古とをううれ泊は王おや宮位位にや都葉はに位宮のが猟おきみに位み遷天みわ王、お都四鮪し瀬上かのせみのみてのこつや井びや甕墳をいう宮みんみ身に都遷県遷を影か稚広に仁獲見瀬にむわひにせの、や皇かわ記と中遷げのかろんう栗く狭で都さ遷都媛ひ出加よ朝あ王を討鷦高て賢りのを刺さた)けし、都めかさの反ざつかの河このん桃都旧即傍を傍宮丹土う倉く鷯崩天み多薦らのさふ位割かきかた宮みうやたたつるたの埴たじ内一ひ花市乱位丘見や丘ち御兄おお尊皇で比鉄支とめ宮菅れちみはひとみすに譲かでかのこ鉄ののけのの言こやが生に鳥磐ゅうの磐坂とさ初(弟即高剣鹵するで原崩き高たいいたとわ就即か)・剣かわわかるら門位る主ぬ坂さ屋や藍あ杯つ坂さ杯つとを弘鷲わめの銘即伏ふを大御かききししく位いかのおののののののし上丘野の丘13えおお本も丘お原は播計原はち文神か位見みかか、とからけら作王ののののののののみののみみみみみみみみみ陵ささぎ陵ささぎ陵ささぎ陵ささぎ乃の陵ささぎ陵ささぎ陵ささぎ磨王み陵ささぎ)るにに陵ささぎな12こ巻第十八巻第十七巻第十六巻第十五巻第十四15安康天皇