ブックタイトル名所図会 日本書紀ことはじめ編

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概要

名所図会 日本書紀ことはじめ編

然としており、またたく間に船を挟み囲まれ大敗を喫しました。興軍とともに唐・新羅連合軍と戦いましたが、軍事力の差は歴天智天皇二年(663年)、日本は水軍を白村江に進め、百済復束して百済に送りました。ちの天智天皇)は豊璋に冠を授け、援軍を差し向けることを約たかやすのきあと高安城跡子・余よ豊ほう璋しょうを百済に帰すよう求めてきました。中大兄皇子(の▲が復興しようと軍を集め、人質として日本に送られていた王百済は唐・新羅連合軍に滅ぼされましたが、生き残った人々MAP P29生駒郡平群町久安寺他高安城は白村江の戦い(663年)で敗れた朝廷が、唐・新羅連合軍の侵攻に備えて天智天皇6年(667年)に築いた古代の山城のひとつ。山腹で奈良時代前期の倉庫群址が発見された高安山は、奈良県と大阪府の境、生駒山地の南に位置する山である。海外派兵で敗戦を喫きすっ(白ははくく村すきのそん江えの戦い21こう)謗しました。※二度即位することえた執心ぶりを誹と呼び、限度を超これを「た狂ぶれ心ごころの渠みぞ」ほどでした。人はは10万人を超える動員した人夫の数かせて宮の東の山まで引き運んで垣を作るなど、その総事業にせました。そして、石上山の石を船二百艘に積み、水の流れにま好み、工こう夫ふに命じて香具山の西から石いその上かみ山やままで通じる溝を掘らを受け、斉さい明めい天てん皇のうとして重皇極天皇は、天あめ万よろず豊とよ日ひちのょ天すうめ祚皇らそみ(こと孝こう徳とく(※注)しました。天皇は土木工事を天てん皇のう)が難波宮で崩御したの巻第二十六斉明天皇狂たぶれ心ごころの渠みぞ行き過ぎた国家事業20本の国家としての成熟度を急速に高めました。戸籍「庚こう午ご年ねん籍じゃく」の作成などを次々と指揮し、日位すると、「近おう江み令りょう」の制定、そして全国規模のの滋賀県)に都を遷し、天智天皇として正式に即ど、国防にも力を入れました。また、近江(現在また大やま和との国くに(現在の奈良県)に高たか安やすの城きを築くなは、筑つく紫しの国くに(現在の福岡県)に水みず城きや山城を築き、固めていきました。白村江の戦いで大敗した後物として細かく規則を定め、古代国家の基礎をした。大たい化かの改かいしん新と呼ばれる行政改革の中心人入鹿一族を政界から一掃した後、皇太子となりま中大兄皇子(のちの天智天皇)は、蘇我蝦夷・天こ智の天国皇のかたちを作った22さかふねいしいせき酒船石遺跡(亀形石造物)▲MAP P30高市郡明日香村岡伝飛鳥板蓋宮跡から500mほど北東の丘に、謎の石造物・酒船石を中心としたいくつかの石造物からなる酒船石遺跡がある。写真は平成12年の発掘で発見された亀形石造物。上部の小判型石造物から流れ出た水が下部の亀形の水槽にたまる仕組みになっていて、斉明天皇の祭祀に関わる遺跡ではないかと考えられている。周辺からは石垣も発見されており、『日本書紀』に登場する斉明天皇の両槻宮(ふたつきのみや)との関連が考えられている。みずおちいせき水落遺跡MAP P30高市郡明日香村飛鳥漏刻(ろうこく)<水時計>の跡と想定されている遺構。『日本書紀』には、斉明天皇6年(660年)のとき、当時皇太子だった中大兄皇子(のちの天智天皇)が初めて漏刻を作り、民に時刻を報(しら)せた記述がある。▲※この年表は『日本書紀』の内容をつかむため、記載されている天皇年号を便宜上西暦に置きかえています。21671大おお友ともの皇み子こを太政大臣とする斑鳩寺(法隆寺)火災で焼失670戸籍「庚こう午ご年ねん籍じゃ」くを作る中臣鎌足、薨じる位、藤ふじ原わら姓を授ける669中臣鎌かま足たりに大だい織しょっ冠かんと大おお臣おみの大おおし海あ人まの皇み子こ、皇太子となる668皇太子、即位して天てん智ち天皇となるを築く22倭やまにと高たか安やすの城き、讃さぬ吉き、対馬に城巻第二十七都を近おう江みに遷す667斉の明ささ天皇と上え陵みにぎ合葬する。間はし人ひとの皇ひめ女みこを小お市ちの岡おかの置き、水みず城きを築く対馬・壱岐・筑紫などに防さき人もりを664冠位二十六階を制定軍は大敗を喫する21天智天皇663 662白村江の戦いで百済・日本連合百済王子を帰国させる中大兄皇子が政権を引き継ぐ朝あさ倉くらの宮みやにて崩御661660軍百勢済を滅集亡め、西復征興に軍向がか救う援を乞う皇太子、漏剋を造る阿あ倍べの比ひ羅ら夫ふ、蝦夷を討伐658有あり間まの皇み子こ、謀反の疑いで刑死吉よし野のの宮みや造営大規模土木工事を行う20巻第二十六656後のちの飛あす鳥かの岡おか本もとの宮みやに遷るに遷る斉明天皇飛鳥板蓋宮火災、飛あす鳥かの川かわ原はらの宮みや655し皇斉さ極い明め天い天皇、皇となる飛あす鳥かの板いた蓋ぶきの宮みやで重祚崩御大おお坂さかの磯し長ながの陵みささぎ654遣唐使二船派遣を率いてや倭まとの飛あす鳥かの河かわ辺べの行かり宮みにや遷る皇太子、難波に天皇を残し、一族653遣唐使二船派遣(白雉)650瑞祥・白雉が献上され改元