ブックタイトル名所図会 日本書紀ことはじめ編

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概要

名所図会 日本書紀ことはじめ編

れ、詩賦の興隆は大津皇子に始まるとされ、『懐かいていたといいます。和歌や漢詩などの詩作に優あり、頭脳明晰であったので、多くの人に慕われ大津皇子は、立ち居振る舞いが美しく分別が殉死しました。り乱し裸足のまま駆けつけ、皇子の後を追ってれを知った大津皇子の妃・や山まの辺べの皇ひめ女みこは、髪を振疑われ、皇后の命により死罪となりました。そ目の息子である大おお津つの皇み子こが謀む反ほんを企んでいるとはじめましたが、その殯もがりの最中に、天皇の三番皇居の南庭に殯もがりの宮みや(※注)を建て、天皇の葬礼を皇ひめ女みこ(のちの持統天皇)が政務を引き継ぎました。天皇が祈祷の甲斐なく崩御され、皇后の?う野のの讚さら良らの朱あか鳥みと元り年(686年)九月、病の床にあった天武巻第三十持統天皇後あをと継ぐ皇后みやたきいせき宮滝遺跡MAP P31吉野郡吉野町宮滝縄文時代から奈良時代にかけての遺構や遺物が確認されており、「吉野宮」の推定地でもある。『日本書紀』には応神天皇の代に吉野行幸の記載があり、以後聖武天皇までの8人の天皇が訪れている。中でも持統天皇の行幸の回数は多く特別な場所であったことがうかがえる。町立吉野歴史資料館では出土品や各時代の説明、想定復元図などが展示されている。▲※して墓まがつでるきこるとまをで殯のと期い間い、、貴そ人のの建遺物体をを殯棺宮にと納よぶめ。仮に安置陵野の姫ひめの天すめらみこと皇(持統天皇)として正式に即位しました。し、持統天皇四年(690年)に皇后が高たか天まの原はら廣ひろ継ぐはずの皇太子・草くさ壁かべの皇み子こもこの翌年に薨こう去きょ大内陵に葬られました。ところが次の天皇位を殯が明けた持統天皇二年(688年)、天皇はとができない」と記されています。の時の詔はつらく悲しいもので、詳しく述べることして各人に贈りました。『日本書紀』には、「こした衣服を袈け裟さに仕立てなおしたものを、布ふ施せ皇后は三百人の僧侶を飛鳥寺に集め、天皇が遺のこ大津皇子の死後も天皇の殯は続いていました。います。風ふ藻うそ』うに詩を残すほか、『万ま葉んよう集しゅ』うにも歌を残して天武天皇崩御―持統天皇即位26たつたたいしゃ龍田大社MAP P29生駒郡三郷町立野南1丁目29-1崇神天皇の代に、凶作や疫病に悩む天皇が「天御柱大神と国御柱大神を龍田山に祀れ」と夢で告げられたことが創建につながったとされる。竜田の風神、広瀬の水神として大和川を挟んだ2つの社が並び称され古くから信仰を集めている。『日本書紀』には天武・持統天皇の代に30回以上龍田・廣瀬の神を祀ったことが記されている。▲ひろせたいしゃ廣瀬大社▲MAP P29北葛城郡河合町川合99大和川が曽我川、飛鳥川などと合流する地点に水神を祀る古社。社伝によると沼地が一夜で陸地となり橘が生え、このことが第十代崇神天皇に伝わり、社殿が建てられたとされる。また、『日本書紀』には天武天皇4年(675年)に天武天皇が風神を竜田に、大忌神(水神)を広瀬に祀らせたとある。いわれいけすいていち磐余池推定地(大津皇子歌碑)▲MAP P30写真は歌碑のある橿原市池尻町大津皇子が亡くなる前に詠んだ歌、「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」(『万葉集』巻3・416)に登場する磐余池は、橿原市と桜井市に所在地の説があり、いまだ特定されていない。『日本書紀』の履中天皇2年10月に「磐余池を作る」とある。※この年表は『日本書紀』の内容をつかむため、記載されている天皇年号を便宜上西暦に置きかえています。武む天皇)に譲位する天皇、皇太子軽かるの皇み子こ(のちの文もん697を公薬卿師・寺百で寮催、す仏像の開眼の法会696 694 691690689「な藤戸な飛皇あう原籍るす鳥太か京「、浄子き(高市皇子薨ずる藤原京に遷都新しん益やくの京みや)この鎮祭をおこ庚こう寅いん年ねん籍じゃ」くを作らせる官人の朝服の制を定める皇后、即位して持じ統とう天皇とよ御み原はら令りょ」うを頒布草くさ壁かべの皇み子こ薨じる吉野行幸はじまる27688天武天皇を大おお内ちの陵みささにぎ葬る687を飛贈鳥る寺にて三百人の僧に袈裟ど天五武つ天の皇寺のでた無む遮めしゃに大だい会えを催す大官大寺な(朱鳥)持統天皇邸にて死を賜る26大おお津つの皇み子こ、謀反が発覚して自殯もがりの宮みやを建て、南庭に殯もがすりる686皇后が政権を引き継ぐ巻第三十24