ブックタイトル名所図会 日本書紀ことはじめ編

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概要

名所図会 日本書紀ことはじめ編

舎人親王『日本書紀』を奏上皇子・皇女多数………元明天皇43吉備内親王元正天皇44持統天皇41忍壁皇子文武天皇42『日本書紀』を受領『日本書紀』関係系図草壁皇子天武天皇40大津皇子高市皇子編纂歴を史命書令の志貴皇子川島皇子歴史書編纂メンバーのひとり吉野の盟約に参加天智天皇38皇子・皇女多数………大友皇子(弘文天皇)39数字は『皇統譜』が定める即位の順は婚姻関係造営を命じ、和銅三年(710年)に藤原京から平城京に遷都しま即位しました。元明天皇は、平城の地に条里・条坊を備えた宮都の天てん皇のう)がまだ幼かったため、文武天皇の母・阿あ閉への皇ひ女(めみこ元げん明めい天てん皇のう)が年)、文武天皇が病に倒れ崩御すると、その子・首おびとの皇み子こ(のちの聖しょう武む太だ上じょう天皇と称して政務の後見役をつとめました。慶雲四年(707は当時15歳という若さであったため、しばらくは持統天皇が初の持統天皇の孫・軽皇子(文武天皇)が即位しましたが、文武天皇『日本書紀』から現代へ今も私たちに語りかけてくれています。に、懸命に生きた人々の営みやひたむきな思いを、『日本書紀』。奈良の各地に残る豊かな伝承ととも古代日本の来こし方かたをあざやかに伝えてくれるれています。『日本書紀』・『続日本紀』を含めて「六りっ国こく史し」と呼ば年)まで継続して歴史書が残されました。それらは三さん大だい実じつ録ろく』)が編纂され、神代から仁にん和な三年(887後こう紀き』・『続しょく日に本ほん後こう紀き』・『日に本ほん文もん徳とく天てん皇のう実じつ録ろく』・『日に本ほんこれより以後も、日本では相次いで正史(『日に本ほん正史『し続ょく日に本ほん紀ぎ』に記されています。ことは、『日本書紀』に続く時代のことを記載した親しん王のうらによって完成・奏上されました。これらの元正天皇の治世、養老四年(720年)に、舎と人ねり親しん王の(う元げん正しょう天てん皇のう)が即位しました。『日本書紀』は、霊亀元年(715年)、元明天皇の娘・氷ひ高だか内ないされました。紀』に先駆けて『古事記』がお太おの安やす万ま侶ろによって献上した。また、和銅五年(712年)には、『日本書まつおでらとねりしんのうぞう松尾寺/舎人親王像MAP P29大和郡山市山田町683天武天皇の皇子・舎人親王が、勅命で『日本書紀』を編纂する際、42歳の厄年であったために、『日本書紀』の完成と厄除けの願をかけて建立した寺とされる。日本最古の厄除け寺と称される。日本唯一の舎人親王像があり、期間限定で拝観することができる。▲へいじょうきゅうせき平城宮跡▲MAP P28奈良市佐紀町持統天皇の時代に遷都した藤原京は16年の年月ののち廃止され、元正天皇の母である元明天皇の時代に平城京へ遷ることとなる。『日本書紀』は平城遷都から10年後の養老4年(720年)にこの場所で元正天皇に奏上された。現在は第一次大極殿が復原されていて、宮殿の大きさを体感できる。26