ブックタイトル名所図会 日本書紀ことはじめ編

ページ
9/32

このページは 名所図会 日本書紀ことはじめ編 の電子ブックに掲載されている9ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

名所図会 日本書紀ことはじめ編

本書の使い方あめつちの始まり神様が続々と誕生して巻第一神代太古の世界は、はじめ天と地が分かれていませんでしたが、自然と明るい気が天となり、重く濁っている気が地となりました。天地が生まれたとき、国はまだ水に遊ぶ魚のように漂っていました。その天地に、まず葦の芽のようなものが生まれ国くにの常とこ立たちの尊みこととなり、次に国くにの狭さ槌つちの尊みこがと、そして豊とよ斟くむ渟ぬの尊みことが生まれました。この三神は純粋な男神でした。続いて男女一対をなす神々が誕生し、伊い奘ざ諾なきの尊みことと伊い奘ざ冉なみの尊みこもと生まれました。二人が天あまの浮橋から天あまの瓊ぬ矛ぼこで海をかき回して引き上げると、その滴りによって島ができました。二人はその島に降り立ち、日本の国土を生み、そして森羅万象の神々を生みました。たくさんの神々を生んだあと、伊奘諾尊と伊奘冉尊は相談して、日の神・大おお日ひ?るめの貴みこ(とまたの名を天あま照てらす大おお神みかみ)を生み天上に上げ、次に月の神・月つく弓ゆみの尊みこと(月つく夜よ見みの尊みこと)を生みまた天上に上げました。最後に素す戔さの嗚おの尊みことを生みましたが、勇ましく強く残忍な性格であったため、父母の二神は素戔嗚尊を根の国に追放しました。父母のもとを追われた素戔嗚尊は、天上を治める姉・天照大神のもとに別れを告げにいきました。天照大神は弟が攻めてきたのではないかと恐れ、武装して対峙しました。素戔嗚尊は、争う気持ちがないことを示すために、天照大神と誓う約けい(※注)を行いようやく認められました。しかしその後、素戔嗚尊は天照大神の祭さい祀しに関わる神聖な空間をけがすなど、数々の乱暴狼ろう藉ぜきを働きました。怒った天照大神は天あまの石いわ窟やに入り、磐いわ戸とを閉じて中に籠こもってしまいました。すると、国中が暗闇につつまれ昼夜の区別もつかなくなりました。八や十お萬よろずの神かみたちは天あまの安やす河かわの河原に集って相談し、磐戸の前で天あまの鈿うず女めの命みこがと巧みに舞うなど皆で祈祷を行い、なにが行われているのかと天照大神が顔をのぞかせた瞬間に、待ち構えていた手た力ちから雄おの神かみが外へ引き出し、国は再び光を取り戻しました。素戔嗚尊はその罪により、髪を抜かれ手足の爪を剥はがされて天照大神のもとから追放されました。玉たま置き神じん社じゃ▲MAP P28吉野郡十津川村玉置川1標高1076mの玉置山の頂上付近に鎮座する社で、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に含まれる。神社名は、神武天皇(じんむてんのう)が東征のときに、十種神宝(とくさのかんだから)のうちの「玉」をこの地に鎮め(置き)て、武運を祈願されたことに由来する。主神・国常立尊は、「天地ができた世界の始まりに現れた最初の神」として記されている。香か具ぐ山やま▲MAP P30橿原市南浦町大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)のひとつ。万葉歌で知られるだけでなく、記紀においても、天照大神の天岩戸神話では「天香山の真坂樹(まさかき)」が、そして神武天皇が大和を平定する際にも「天香山の社の中の土」が登場する。それだけ古代の人々にとって神聖な山であった。山中には天岩戸神代社、天香山神社、国常立神社が鎮まる。神じん武む東とう征せいと香か具ぐ山やまの土神聖なる土器の素材とは巻第三神武天皇神かむ日やまと本磐いわれ余彦びこの尊みこと(のちの神じん武む天てん皇のう)は、天てん孫そんが降臨してから多くの月日が流れても、未だに村々が争っている状態であることを憂い、国をひとつにまとめるため、塩しお土つちの老お翁じから教えられた四方を青山が囲む東方の美しい国・大やま和とを目指して、日ひゅう向がの神日本磐余彦尊(のちの神武天皇)が生駒山越えで大和に入るのを妨げた長髄彦は「昔、櫛くし玉たま饒にぎ速はや日ひの命みことという天神の子が天あまの磐いわ船ふねに乗って降り立ちました。私の妹と結婚して子も生まれています。天神の子が二人もいるはずがありません」と言って強く抵抗しました。尊が天上界の証の天あまの羽は羽ば矢やと歩かち靫ゆ(き※注2)を示しても長髄彦国くにから東征をはじめました。いくつもの山を越え、行く先の土地を平定しながら大和を目指していた尊は、夢にあらわれた天神の教えに従い、天あまの香かぐ山やまの社の中の土を取って平ひら瓮か・天あまの手たく抉じり・厳いつ瓮へ(※注1)を作りました。そして丹に生う川がわの上流にのぼり天てん神しん地ち祇ぎを祀りました。尊は、行く手を阻む者の運命を天手抉に呪い付けて川に沈め、「この平瓮を使って水無しで飴を作ることができたら、私は武器を使わずに国を平定することができるだろう」と祈り、言葉通りに飴を得ました。饒にぎ速はや日ひの命みこのと帰き順じゅん長ながすねびこ髄彦の抵抗むなしくは、従いませんでした。一方、饒速日命は、もともと天神が尊に味方していることを知っていたため、長髄彦を斬り捨て、軍勢を率いて尊に忠誠を誓いました。饒速日命は、物もの部のべ氏の遠祖とされています。矢や田たに坐います久く志し玉たま比ひ古こ神じん社じゃ▲MAP P29大和郡山市矢田町965古代、祭祀を司った豪族・物部氏の祖神である、饒速日命と御炊屋姫命(みかしきやひめのみこと)の夫婦神を祀る。饒速日命は神武東征よりも前、天照大神から十種神宝を授かり、天磐船に乗って地上に天降ったとされる神。航空祖神として信仰が厚く、楼門には奉納された陸軍戦闘機のプロペラが据えられている。丹に生う川かわ上かみ神じん社じゃ中なか社しゃ・夢ゆめ淵ぶち▲MAP P31吉野郡東吉野村小968『日本書紀』には神武天皇が東征の際、丹生川に厳瓮を沈めて戦勝を占ったところ吉兆が得られ、喜んだ天皇は、丹生川の上流に生えていた榊を立てて神々を祀ったという記述がある。丹生川上神社は上社・中社・下社の三社があるが、すべての神社において同伝承の地であると伝えられている。中社では、境内を流れる川の「夢淵」が占った場所であるとしている。一あるふみ書に曰いわくとは?『日本書紀』は、編纂された時代に存在した複数の書物を参考に編集されたと考えられ、特に「神代」は独特な記述方法で著述されています。主となる本文のあと、「一書に曰く(ある書物が伝えるには)」と前置きして、本文とは別解釈の話を並記していく方法がそれで、ひとつのストーリーに対し、最多で十一もの「一書」が掲載されている箇所もあります。日本の創世神話を生き生きと伝えてくれる書物といえば『古事記』が思い浮かびますが、『日本書紀』の内容は、『古事記』と似ているところもあれば全く違うところもあり、「一書」をそれぞれ比較しても、さまざまな神話があったことがわかります。また「私は厳瓮を丹生の川に沈めよう。もし大小の魚がことごとく浮き流れるならば、私は必ずこの国を治めることができるだろう」と占いました。厳瓮を川に投げ込むと、まさに魚が浮き上がり口をパクパクさせました。尊は喜び、川の上流に繁っていた榊を根から抜いて神々に捧げ祀りました。このときから、祭儀には厳瓮を据えるようになりました。※1平瓮は平たい土器の皿。天手抉は丸めた土の中央を指先でくぼませた土器。厳瓮は清浄な神酒を入れる瓶。※2天羽羽矢は大蛇をもよく射殺す鋭い矢。歩靫は腰や背中につける、矢を納める武具。※正邪や当否を決定するために神意をうかがう占い。神武天皇神代綏靖天皇安寧天皇懿徳天皇孝昭天皇孝安天皇孝霊天皇孝元天皇開化天皇崇神天皇前667前660前663前581前585前549前510前475前392前290前214前158天あめ地つち開かい闢びゃ、く三柱の男神誕生男女対になった神、八柱誕生伊い奘ざ諾なきの尊みこ・と伊い奘ざ冉なみの尊みこがと国土と森羅万象の神々を生む伊奘諾尊・伊奘冉尊が相談し、天あま照てらす大おお神みか・み月つく弓ゆみの尊みこ・と素す戔さの嗚おの尊みこをと生む素戔嗚尊、根の国へ追放される素戔嗚尊、高たか天まの原はらの天照大神を訪ねる天照大神と素戔嗚尊、誓う約けいを行う素戔嗚尊、高天原で乱暴狼藉を働く天照大神、怒り天あまの石いわ窟やに隠るが、神々の祀りにより再び磐戸が開く素戔嗚尊、高天原から追放される素戔嗚尊、出雲国で八や岐またの大おろち蛇を退治する高たか皇み産むす霊ひの尊みこ、と葦あし原はら中なかつ国くに平定のため経ふ津つ主ぬしの神かみと武たけ甕みか槌づちの神かみを遣わし大おほ己あな貴むちの神かみに国を譲らせる高皇産霊尊、天あま津つ彦ひこ彦ひこ火ほの瓊に瓊に杵ぎの尊みこをと降臨させる兄・火ほの闌すそ降りの命みこ、と弟・彦ひこ火ほ火ほ出で見みの尊みことと釣り針・弓を取り替える彦ひこ波なぎさ瀲武たけ??う草かや葺ふき不あえずの合尊みこ誕と生巻第一巻第二神かむ日やまと本磐いわ余れ彦びこの尊みこ(とのちの神じん武む天皇)誕生東征開始香か具ぐ山やまの土で厳瓮を作り丹に生う川上流で戦勝を祈願饒にぎ速はや日ひの命みこがと帰順神武天皇橿かし原はらの宮みやにて即位橿原宮で崩御畝うね傍び山やまの東うしとらの北陵みささぎ綏すい靖ぜい天皇即位葛かずら城き高たか丘おかの宮みやに遷都崩御桃花つ鳥き田たの丘おかの上えの陵みささぎ安あん寧ねい天皇即位片かた塩しお浮うき孔あなの宮みやに遷都崩御畝うね傍び山やまの南みなみの御み陰ほと井いの上えの陵みささぎ懿い徳とく天皇即位軽かるの曲まがり峡おの宮みやに遷都崩御畝うね傍び山やまの南みなみの繊まな沙ご谿たにの上えの陵みささぎ孝こう昭しょう天皇即位掖わき上がみの池いけ心ごごろの宮みやに遷都崩御掖わき上がみの博はか多たの山やまの上えの陵みささぎ孝こう安あん天皇即位室むろの秋あき津づ島しまの宮みやに遷都崩御玉たま手ての丘おかの上えの陵みささぎ皇太子黒くろ田だの廬いお戸との宮みやに遷都孝こう霊れい天皇即位崩御片かた丘おかの馬うま坂さかの陵みささぎ孝こう元げん天皇即位軽かるの境さかい原はらの宮みやに遷都崩御剣つるぎの池いけの島しまの上えの陵みささぎ開かい化か天皇即位春かす日がの率いざ川かわの宮みやに遷都崩御春かす日がの率いざ川かわの坂さか本もとの陵みささぎ巻第三巻第四日本書紀年表12312311 10※この年表は『日本書紀』の内容をつかむため、記載されている天皇年号を便宜上西暦に置きかえています。二に上じょう山ざん檜ひ原ばら神じん社じ・ゃ旅する神のはじまりの地から悲劇の皇子・鎮魂の山を望む吉よ野しの・宮みや滝たき翼をつけた虎、降り立つ天あま照てらす大おお神みかみが伊勢神宮に鎮座するまで一時期祀られていた「元伊勢」と呼ばれる場所のひとつ檜原神社。奈良盆地東部の高台にあり、西に向かって美しい眺めが広がっています。眼下の平野部、その向こうに一目でそれとわかる稜りょう線せんを描く二上山。非業の死を遂げた大おお津つの皇み子こが眠る山に日が沈む様子は、忘れがたい奈良の情景です。壬申の乱の直前大おおし海あ人まの皇み子こは、兄・天てん智ち天てん皇ののうもとを離れ、吉野へ隠いん棲せいします。ある人はこれを「虎に翼をつけて放つようだ」と言いました。皇子の妻のうち、ただ一人付き従ったとされるのが?う野のの讃さら良らの皇ひめ女みこです。皇女は後に持じ統とう天てん皇のうとなってからも、実に30回以上、吉野・宮滝へ行幸しています。二人にとって特別なこの地には今も悠久の時が流れています。5 4なら記紀・万葉名所図会日本書紀ことはじめ編名所めぐりMAP奈良県には『日本書紀』ゆかりの名所が数多く存在しています。本書とともに『日本書紀』ゆかりの名所をめぐり、歴史の始まりの舞台・奈良を思う存分味わってみてはいかがでしょうか。古代の息吹を感じながら、本物の歴史に出会い、本物の古代を体感してください!奈良・郡山エリア天理・桜井エリア田原本エリア生駒郡・北葛城郡エリア29 28巻マーク『日本書紀』は、創世神話にあたる「神代」第二巻までと、歴代天皇の御世について書かれた第三巻から第三十巻までで構成されています。巻マークは、第何巻のどの天皇(または神代)のエピソードなのかを表示します。奈良県内『日本書紀』名所紹介「ストーリー紹介」のエピソードにゆかりのある、奈良県内の社寺・史跡などを紹介します。所在地は、P?28以降の名所めぐりマップに対応しています。『日本書紀』年表「ストーリー紹介」に掲載しきれない部分も含め、時系列で内容を把握できるよう、『日本書紀』で語られている主な出来事を年表にしています。歴代天皇の宮名・陵墓名も同時に掲載しました。『日本書紀』と奈良県の関係の深さを実感していただけるよう、所在地が奈良県にあるものは赤色で、それ以外は緑色にしています。また『日本書紀』以外からの引用は紫色で表しています。※この年表は『日本書紀』の内容をつかむため、記載されている天皇年号を便宜上西暦?に置きかえています。ストーリー紹介『日本書紀』には、「神代」で創世神話が記述されている他、歴代天皇の業績・外交関係・在位期間中の出来事が書かれています。その中から、特に奈良県に関わりが深い一部のエピソードを取り上げ、ストーリー形式で紹介します。『日本書紀』コラム『日本書紀』特有の表記や歴史上の人物についてなど、『日本書紀』の世界をより深く味わうためのコラムです。年表対応ナンバー紹介しているストーリーが、年表ではどの部分にあたるのかを探すための番号です。ストーリー紹介と年表部分に共通する数字のマークで、対応するものがわかるようになっています。情景から感じる『日本書紀』の世界(P4 ? P7)美しい奈良の名所を大きな写真で、『日本書紀』のエピソードとともに紹介しています。ぜひ訪れてみてください。日本書紀ことはじめ編名所めぐりMAP(P28 ? P31)本書に登場するゆかりの地が記されているMAPです。名所めぐりの際に活用ください。9