ブックタイトルなら記紀・万葉 名所図会 ─日本書紀・歴史体感編─

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概要

なら記紀・万葉 名所図会 ─日本書紀・歴史体感編─

歴史書には、戦いを制した天皇側から見た歴史が書かれているのかもしれないよ。殺されてしまった蘇我氏にも言い分はあっただろうね蘇我氏は悪者…?あったというのだろうか…私に、蘇我一族に一体何の罪が斬きりつけられなければならなかったのだろう。蘇我蝦夷・入鹿の親子はあまかしのおか甘樫丘(明日香村)にていたく邸宅を構えていたという記述があります。はっくつ発掘調査によってそれが裏づけられるのか注目されていますそれなのにどうして私が中大兄皇子に私も父の蝦え夷みしとともに国のために尽じん力りょくした。新しい時代を切り開いてきたのだ。橿原市小綱町には「入鹿神社」があります。その名の通り、蘇我入鹿が神としてまつられています。ところが、天皇に逆らったとされる蘇我入推すい古こ天皇・厩うまや戸との皇み子こ(聖徳太子)とともに鹿を神としてまつるのは都合が悪いと、明治時代に、神社の名前を変えるように政府から指示きょがありました。しかし、地元の人たちはこれを拒ひ否。現在も入鹿神社は大切に守られています。書物だけでなく、歴史を“体感”できるのが、奈良県のすごいところですね。祖父、馬うま子この時代には蘇我と関わりのある天皇も数多く即位した。ためのため池や水路などの整備事業が行われています。これまで天皇の政治を支えてきた。民が課役を逃れないように戸こ籍せきを整備し、農業用水を確保するわれわれ蘇我一族は倉や(け天皇・皇族の領地)を設置して管理させました。さらに、農また、国内の政治においても、蘇我氏主導のもと、各地に屯みの交流や仏教の興こう隆りゅうにおいて重要な役割を果たしてきたのです。を取り入れ、法ほう興こう寺じ(飛あす鳥か寺でら)などの大寺院を建てました。外国とその一つが仏教。仏教伝来の際にも、いち早く仏教文化・技術っ巳しの変で中なかの大おお兄えの皇み子こらに討うたれる要な任務を任されていたことが分かります。乙い父??にもまさる権力を持っていた?またの名を鞍くら作つくり実は、『日本書紀』の記述から、蘇我氏が天皇からの指示で重蘇そ我がの入いる鹿か思えます。しかし実際はどうだったのでしょうか?『日本書紀』によるプロフィール乙巳の変で滅めつ亡ぼうした蘇我氏は天皇にさえ逆らう迷惑な氏族に『日本書紀』における蘇我氏蘇我そ氏がしから見た歴史『日本書紀』味わいポイント!蘇我氏ゆかりの神社入鹿神社MAP P25全国で唯一蘇我入鹿の神像をまつる神社で、地元住民の変わらぬ信仰を集めています。小綱町の近隣には「蘇我」「曽我」などの地名や蘇我氏の始祖をまつる神社もあります。◆近くの中学校大成中学校八木中学校▲かぶと甲神社MAP P29かぶとよろい御神体として三神像と、蘇我入鹿の甲、鎧をまつると伝えられています。古来より入鹿大明神とも称され、入鹿の命日に例祭を行っていましたが、明治末期に変更されました。◆近くの中学校葛小中学校大淀中学校▲12