ブックタイトルなら記紀・万葉 名所図会 ─日本書紀・歴史体感編─

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概要

なら記紀・万葉 名所図会 ─日本書紀・歴史体感編─

ちがColumn ?神社とお寺の違い「お参りに行く」。神社やお寺に行くときはそういいます。そもそも、神社、お寺とはどういうところなのでしょうか?基本的には「仏教の教えを説くところがお寺」「日本の神様をまつるところが神社」と言ってよいでしょう。仏教は、インドでしゃか釈迦が開いた仏の教えで、海外から入ってきたもの。神社にまつられている神様には『古事記』『日本書紀』などの神話に出すうはいてくる日本古来の神々や、身の回りの自然が崇拝され、まつられていることもあります。人生の節目や伝統行事で訪れることが多くあります。どちらも心静かに祈ることを大切にしたいものです。Column ?時計のはじまり腕時計の針や、ディスプレイの数字で時刻を確認する。今では当たり前のように身近にある時計。日本で記録されている一番古い時計は水時計でした。水時も計は、水が漏れる速度を一定にして、その水がたまる時間を基準に作られました。『日本書紀』では、斉明天皇6年(660年)ろうこくに中大兄皇子が初めて漏剋(水時計)を作り、民に時刻を知らせたと記されています。この漏刻(漏剋)は非常に大きい装置かねで、階上には時を知らせる鐘がある2階建ての建物だったときそ推定されています。明日香村の飛鳥水落遺跡からはその基礎部分が発掘されています。おおみわじんじゃ大神神社MAP P25桜井市三輪1422みわやま三輪山をご神体とする神社。本殿を設けない古い形式をとっていますじんす。『日本書紀』には、崇神天皇の夢に大物主大神が現れ、お告げのえきびょう通りに三輪山へまつると疫病が治まったと記されています。あすかでら飛鳥寺▲MAP P27高市郡明日香村飛鳥682そがのうまこ蘇我馬子の発願で建てられた日本ほう最古の本格的仏教寺院。当時は法こうじしゃ興寺と呼ばれていました。本尊の釈かにょらいざぞう迦如来坐像は通称「飛鳥大仏」と呼ばれ親しまれています。▲奈良文化財研究所提供画像みずおちいせき水落遺跡▲MAP P27高市郡明日香村飛鳥発掘調査により大きな正方形の建物の遺構が発見され、地中から見つかった水路などから、『日本書紀』に記された漏刻とその付属施設であると推測されています。ろうこく漏刻(飛鳥資料館展示模型)MAP P27た水を流し容器に溜まった水位の変▲化から時を計る装置(水時計)。飛鳥資料館には模型が展示されてすいそうおり、実際に四段の水槽に水が流れて目盛りのついた矢が動く様子を見ることができます。こよみColumn ?暦うるうどし1年は365日。そして4年に1度の閏年は366日。何気なく使っているカレンダーは暦を元に作られています。これは地球が太陽の周りを一周する日数(365.2422日)を1年としています。けれども、飛鳥時代の暦では1年が355日と短うるうづきく、実際の季節のズレを「閏月」で修正していました。3年に1度は1年が13ヶ月もあったのです。暦の作成には天文の知識や複雑な計算技術が必要で、こきんめいれは百済から伝わったとされています。欽明天皇14年(553年)、百済から来ていた暦博士について『日本書紀』に記さいしがみれています。明日香村の石神遺跡からは、国内で現存する最もっかん古の暦の木簡が発掘されています。ぐちゅうれき2002年石神遺跡出土具注暦木簡最古のカレンダーきっきょうかべ689年3月と4月の暦のほか、毎日の吉凶も記されています。壁につるすなどしてカレンダーとして使われたものと推測されています。奈良文化財研究所提供画像とColumn ?渡らい来じん人の技術博物館などで飛鳥時代の遺物を見るとその高い完成度にしおどろとうきかじはたおばしば驚かされます。この時代は陶器製造や鍛冶、機織りなどの高度な技術を持って、中国や朝鮮半島から渡来人がやって来た時代。彼らは集団で日本に住み続け、その氏族の中で技術を伝えていくことになります。持ち込み伝えた文化の中心に仏教があります。仏教の寺院を建てるにかわらは仏像、絵画、木工、石工、瓦などそれぞれの高い技術とそれをまとめる能力が必要です。中でも鞍作鳥(くらつくりのとり)は特に有名で、彼の作とされている飛鳥寺の大仏は飛鳥時代当初から今に伝わるものです。ひのくまでらおみ美あ阿し志檜隈寺跡・於神社高市郡明日香村大字檜前字ヒガキ阪594MAP P27檜隈地区は多くの渡来人が住んやまとのでいた地域。檜隈寺は渡来人・東あやおみ漢氏の氏寺で、寺院跡にある於美あし阿志神社は渡来人の祖をまつっています。境内には平安時代の十三重石塔が建っています。▲13