ブックタイトルなら記紀・万葉 名所図会 ─日本書紀・歴史体感編─

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概要

なら記紀・万葉 名所図会 ─日本書紀・歴史体感編─

私の使命だと考えたのです。外国と対等につきあえる国をつくることが次期天皇として、国の法律や制度を整え大友皇子との戦いを決意。身に危険が迫っていることを知った私はそして、天智天皇が亡なくなったあと国の政治改革は道なかばとなりました…これまで天智天皇を支え進めてきた企たくらみから身を守る必要があったのです。次の天皇にしようとする者たちの天智天皇の子・大おお友ともの皇み子こを私しかいないと思っていましたが皇位を継つぐのは私は僧そうになって吉よし野のに入りました。お話がありましたが「次期天皇に」との兄の天てん智じ天皇から?律令制の礎いしずえを築いた?『日本書紀』と『古こ事じ記き』の編さんを命じた?生まれながらに容よう姿し端たん麗れい、武術に優すぐれていた?のちの天てん武む天皇大おお海あま人の皇み子こ『日本書紀』によるプロフィール古代最大の内乱壬じ申んしのん「壬申の乱」は教科書にこのように登場するよ!乱らん日本文教出版中学社会歴史的分野より引用『日本書紀』にはどう書かれているの?うに」とおっしゃいました。仕事に差し障さわりが出るので、分担して行うよに取りかかれ。しかし急にこの政務を行うと律を改めたいと思う。それゆえ共にこのことび諸臣に対して「私は今また律令を定め、法●共(に天大武極天殿皇に十お年出)ま二し月に二な十り五、日親、王天、皇諸・王皇お后よはとおっしゃいました。のままけられな黙だっまいて災身いををこ滅ほろぼすわけにはいかない」うむろうとしている。こを全うしようとしたからです。ところが今避さ●隠(天武天皇元年五月)「私が皇位をした理由は、病を治して健康になり、天寿譲ゆずって身を【現代語訳】を分わかちて行おこなふべし」とのたまふ。を就なさば、公おほやけ事わざ闕かくること有あらむ。人ひとを修をさめよ。然しかれども、頓にはかに是この務まつりごと式しきを改あらめたむと欲おもふ。故か、れ倶ともに是この事こと曰のたまはく、「朕わ、れ今いまし更また律りつ令りゃをう定さだめ、法はふ親王・諸王と諸臣を喚めして、詔して皇・皇きさ后き、共もろともに大おほ極あん殿どのに居おはしまして、?二月の庚かう子しの朔にして甲かふ子しに、天巻二十九黙もだして身みを亡ほろぼさむや」とのたまふ。むこと獲えずして、禍わざはひを承うけむ。何いかにぞ百もも年とせを終をへむのみ。然しかるに、今いまし巳や独ひとり病やまひを治をさめ身みを全またくして、永ひたに「朕われ、位みくらゐを譲ゆづり世よを遁のがるる?ぶる所ゆ以ゑは、巻二十八大海人皇子にはたくさんの妻がいたけれどこのとき一緒に吉野に行ったのはうののさららのひめみこ正妻の?野讚良皇女だけだったんだね16