ブックタイトルなら記紀・万葉 名所図会 ─日本書紀・歴史体感編─

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概要

なら記紀・万葉 名所図会 ─日本書紀・歴史体感編─

Column ?奈良の地名『日本書紀』に記されている地名は、現在でも身近に見ることができます。『日本書紀』では、神武天皇が即位した場所は橿はらのみや原宮とされており、今でも橿原の地名に残っています。このように歴史上の重要な場所の地名は脈々と伝わり、今も使われていかるがいます。橿原や斑鳩のように市や町の名になっているもの。三うだいこま輪や飛鳥のように地域の名称になっているもの。菟田や胆駒など今とは使われている字が違うものもあります。皆さんの住んでいる奈良のそこかしこが『日本書紀』の舞台として数多く登場していることが分かります。じんむかしふうColumn ?風すい水し思そう想現代の私たちにとって、風水は身の周りの占いの1つとして知られていますが、そもそも風水とは、古代中国の思想で、都市や建物などの位置の吉凶を定めるために用いられてきた考え方です。実は、日本で最初の本格的な中国風の都である藤原京は、風水思想の理想の都を目指して造られたと言われてうついます。その後、平城京に遷る時にも風水が用いられました。都の周りが三つの山に守られ、各方角の守護神とされていたせいりゅうすざくびゃっこげんぶ四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)が平城京周辺の地形に相応しているため、風水にかなった土地とされていました。玄武青龍白虎『日本書紀』にも載っている、古代から使われている地名朱雀Column ?年号「平成」や「昭和」など、私たちが当たり前のように使っていたいかる年号。日本で最初に定められた年号は「大化」でした。『日本書紀』には「皇極天皇四年を改めて、大化元年とした」とあるように、645年に初めて年号が出てきます。その後、白雉あかみとり朱鳥と続いていきますが、大化から白雉に年号が変わったきっきじけんじょうかけは、白い雉が献上されたためでした。現在では、皇位が継めずらすば承される時に年号が改められますが、当時は、珍しい物や素晴らしい物が現れ献上されるなどの出来事をきっかけに年号が改められることがあったのです。はくち、こうColumn ?考こ古がく学はっくつちゅう町や学校の近くで「発掘中」という看板を見たことはありませんか?奈良県には、かつて都があったので、地面の下にはこんせき人々の生活の痕跡となる遺物や遺構がたくさん残っています。かいせきそれらを研究する学問が考古学です。発掘された物が解析された結果、歴史書の裏付けとなったり、今までの歴史の定説や常識が変わることもあるのです。例えば、木簡が掘り出され、そこに書かれた文字が解読されることで、その場所に誰が住んでいたのかがわかることもあります。また、藤原京は、現在の調査結果により、以前想定されていた規模よりかなり大きなものと考えられるようになりました。今でも奈良県内では様々な所で発掘調査が行われています。平城京左京三条二坊十四坪遺跡発掘調査現場19