ブックタイトルなら記紀・万葉 名所図会 ─日本書紀・歴史体感編─

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概要

なら記紀・万葉 名所図会 ─日本書紀・歴史体感編─

長い年月をかけて実現したものです。これらは夫とともに計画し本格的な都「藤原京」を造りました。さらに日本で初めて、先進国である唐にならった「飛あ鳥すか浄きよ御み原はら令りょう」を完成し国家の基き礎そとなる法である私たちが目指したのは「律令国家」の確立。完成させたのです。夫の遺志を継いで、ともに進めてきた事業を天武天皇が亡くなったあと即位しですから、夫の理想を誰よりも理解しています。ともに政治を行いました。妻であり皇后として私は天武天皇の武天皇の事業を引き継ぐ天慎つ??つましやかで母としての徳があったち着いた性格で広い心をもっていた落天て??ん智じ天皇の娘、天てん武む天皇の皇后持じ統とう天てん皇のう『日本書紀』によるプロフィール夫の遺い志しをつぐ皇藤こう后ごうふ原じわ「藤原京へ遷都」は教科書にこのように登場するよ!京らきょへう遷せ都ん東京書籍新編新しい社会歴史より引用と『日本書紀』にはどう書かれているの?て礼拝し、拍かしわ手でを打ちました。天皇に即位しました。公卿、百官が列をなし色夫知が神かみの璽しるしの剣・鏡を皇后に奉たてまりつ、皇后が神寿詞を読みました。読み終えると忌部宿禰な盾を立てました。神祇伯中臣大嶋朝臣が天●(持統天皇)四年元日に、物部麻呂朝臣が大き安を得ました。この日に罪びとを赦ゆるしました。させました。これによって皇后のご病気は平薬師寺建立に着工しました。百人の僧を得とく度ど気になられた。そこで皇后のために誓願して、●(天武天皇九年十一月)十二日に、皇后がご病【現代語訳】つり拍て手うつ。卿つきみ・百もも寮つかさ、羅つら列なりて、匝あまねく拝をろみがたてま后さきに奉たて上まつる。皇き后さき、即あま天つひ皇つぎ位しらしすめ。公まへ忌いみ部べの宿すく禰ね色しこ夫ぶ知ち、神かみの璽しるしの剣つる・ぎ鏡かがをみ皇き大おほ島しまの朝あそ臣み、天あまつ神かみの寿よ詞ごとを読よむ。畢をはりて呂ろの朝あ年そ臣のみ、春大おほ正盾た月てをの樹戊たぼ寅いつん。の神か朔む祇につかさ、の伯か物もみの中なか臣とみの?四部のべの麻ま巻三十得えたり。是この日に、罪つみびとを赦ゆるす。む。是これに由よりて、安た平ひらぎたまふこと寺じを興たつ。仍よりて一ももたりの百僧ほふしを度いへでせしち皇后の為ために誓せい願ぐわんして、初はじめて薬やく師し?癸き未びに、皇きさ后き、体み不やま予ひしたまふ。則巻二十九やくしじ薬師寺は、きどの今の橿原市城殿町あたりに建てられましたが、平城京遷都の際ににしのきょう奈良市西ノ京に移されたため橿原市にあった元の薬師寺はもとやくしじ「本薬師寺」と呼ばれるようになりました20