ブックタイトルなら記紀・万葉 名所図会 ─日本書紀・歴史体感編─

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概要

なら記紀・万葉 名所図会 ─日本書紀・歴史体感編─

用語解説※※※3 2 1熊即東襲位征………古天東代皇方ののの南位敵九にを州つ討にくちあこにっといた。く地こ名と。。また、そこに住んでいた集団。※※※6 5 4崩台皇御頭子………天勢天皇力皇やがの皇伸子后び。等て特が目に亡立、くつ男なよのるう子こに。とな。ってきたこと。※※87遷皇都后……都天を皇他のの正地妻へ。移すこと。九代開化(かいか)天皇八代孝元(こうげん)天皇巻巻十十七六二十六代継体(けいたい)天皇る天皇を中心とした国家の樹立を目指します。二十五代武烈(ぶれつ)天皇新政権は「改かい新しんのみ詔ことのり」を発布し、律令制度によ七代孝霊(こうれい)天皇二十四代仁賢(にんけん)天皇六代孝安(こうあん)天皇巻二十五三十六代二十三代顕宗(けんぞう)天皇五代孝昭(こうしょう)天皇乙いっ巳しの変で蘇我氏が倒されます。(→P?孝徳(こうとく)天皇10?12)四代懿徳(いとく)天皇三代安寧(あんねい)天皇巻巻十十五四二十二代清寧(せいねい)天皇がったのが中なか臣とみの鎌かま足たりと中なかの大おお兄えの皇み子こでした。二十一代雄略(ゆうりゃく)天皇権力を握にぎった蘇そ我がの入いる鹿かを倒すべく立ち上二十代安康(あんこう)天皇二代綏靖(すいぜい)天皇巻十三十九代允恭(いんぎょう)天皇記されていません。巻巻二二十十四三三十五代三十四代皇舒極明((こじうょぎめょいく))天天皇皇のことは「欠けっ史し八はち代だい」と言われ、詳しい事績は十八代反正(はんぜい)天皇巻十二十七代履中(りちゅう)天皇二代目の天皇から九代目の天皇とその時代巻四二代~九代ます。たちの間で皇位をめぐる争いが繰り広げられとなります。仁徳天皇は聖帝とたたえられますが、皇子(※1)します。橿かし原はらで即そく位い(※2)し、初代天皇天すめら皇みこがと日向から大和(現在の奈良県)へ東とう征せい巻十一十六代仁徳(にんとく)天皇天あま津つ彦ひこ彦ひこ火ほの瓊に瓊に杵ぎの尊みこのと孫・神かむ日やま本と磐いわ余れ彦びこのな技術や多くの文物をもってやってきます。極的に行います。(→P8・9)巻三初代神武(じんむ)天皇応神天皇の時代には渡と来らい人じんが大陸から様々聖しょう徳とく太たい子しが摂せっ政しょとうして法を定め、外交も積巻十十五代応神(おうじん)天皇巻三~三十人々の物語(天皇紀)巻九神功(じんぐう)皇后巻二十二三三十十三二代代推崇古峻((すすいしこゅ)ん天)皇天皇巻八臨りん」などが記されています。十十四三代代仲哀(ちゅうあい)天皇台たい頭と(う※5)してきます。成務(せいむ)天皇蘇我氏と物部氏が戦い、勝利した蘇我氏が日ひ向む(か現在の宮崎県)に降りてくる「天てん孫そん降こう本と武たけるの尊みこがと熊襲を征伐します。巻二十一三十一代用明(ようめい)天皇して、天照大神の孫・天あま津つ彦ひこ彦ひこ火ほの瓊に瓊に杵ぎの尊みこがと自ら熊襲へ赴おもきむ、その後には皇み子こ(※4)の日やま巻二十三十代敏達(びだつ)天皇す天あまの磐いわ戸と神話、素す戔さの嗚おの尊みこのと八や岐またの大おろ蛇ち退治、そ朝廷にそむいた熊くま襲そ(※3)を倒すため天皇天あま照てらす大おお神みかがみ素す戔さの嗚おの尊みこのと乱暴さに怒り姿を隠巻七十二代景行(けいこう)天皇を生み出します。相す撲もうや埴はに輪わなどの起源について語られます。尊みこがと夫婦となり国を生み、さらに種々の神様続々と生まれていきます。伊い弉ざ諾なきの尊みこと伊い弉ざ冉なみ巻六十一代垂仁(すいにん)天皇の天と地がまだ分かれていない中、神々が「初めて国を治めた天皇」とたたえられます。天皇は各地へ勢力を拡大し国を整えたことで巻一・巻二神々の物語(創世神話)巻五十代崇神(すじん)天皇が起こります。(→P6・7)る物もの部のべ氏と仏教を崇すう拝はいする蘇そ我が氏の間で争い外国から仏教が伝来。日本古来の神をまつ内のポ容イント巻十九二十九代欽明(きんめい)天皇二十八代宣化(せんか)天皇巻十八二十七代安閑(あんかん)天皇次のページからは教科書に登場する「仏教伝来」から「藤原京遷都」までを、『日本書紀』の記述に沿って紹介していきます。紀』は完結します。(→?PP天武14・(てん15)む)天皇上20・は孫である文もん武む天皇に皇位を譲ゆず21)り、『日本書京への遷せん都と(※8)を果たします。そして、天皇が即位し、夫が完成できなかった改革や藤原天武天皇崩御後には皇こう后ご(う※7)の持統天皇巻三十四十一代持統(じとう)天皇作成を命じたのも天武天皇です。皇となり、改革を進めました。『日本書紀』の乱に勝利した大海人皇子は即位して天武天巻二十九四十代天武(てんむ)天皇下る争い、壬じん申しんの乱が起こります。(→P16?18)天智天皇の皇子・大おお友ともの皇み子この間で皇位をめぐ天智天皇崩ほう御ぎ(ょ※6)の後、弟・大おお海あ人まの皇み子こと巻二十八四十代朝廷を遷うつします。(→?中大兄皇子は即位して天皇になり、近江に巻二十七三十八代天智(てんじ)天皇防強化が急速に進みます。軍に大敗します。この敗戦から政治改革と国遠征軍を派は百くだ済らが滅ほろ遣けぼんしさまれするがと白は日く村すきの本江はえで百唐と済う・再新し興ら羅のぎ連た合め巻二十六三十七代斉明(さいめい)天皇5