ブックタイトルなら記紀・万葉 名所図会 ─日本書紀・歴史体感編─

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概要

なら記紀・万葉 名所図会 ─日本書紀・歴史体感編─

これが私と太子の目指した政治だったのです。力づくではない「和」の精神隋との交流を深めていきました。また、小お野のの妹いも子こを隋ず(い現在の中国)に派は遣けんし、人材を登用し、役人のあるべき姿を示しました。太子は「冠かん位い十じゅう二に階かい」や「十じゅう七しち条じょうの憲けん法ぽう」を定め、政治を任せることにしたのです。すぐれた知ち恵えをもつ甥おいの厩戸皇子(聖徳太子)に国に落ち着きを取り戻すために、「新しい政治」は教科書にこのように登場するよ!なかなかおさまらず…しかし争いで荒あれていた都の混乱はやがて終わりを迎むかえました。仏教をめぐる蘇そ我が氏と物もの部のべ氏の対立は、?わが国初の女性天皇?蘇そ我がの馬うま子こは叔お父じ戸との皇み子この叔お母ばで、皇子を摂せっ政しょうとしたう厩まや父??は欽きん明めい天皇、夫は敏び達だつ天皇推すい古こ天皇『日本書紀』によるプロフィール聖しょう徳とく太たい子し新のしい政治日本文教出版中学社会歴史的分野より引用『日本書紀』にはどう書かれているの?ように。※冠位…朝廷における官人の位を示す制度。にいう、和を尊び、逆らい背くことのない一めて憲法十七条を作られました。(推古天皇十二年)四月三日に皇太子自ら初?髪に挿しました。だし元日だけは草木の枝葉や花などを冠やはつまんで袋状にして、縁ふちをつけました。たその階に対応する色の布で縫ぬいました。い頂ただき義ぎ・大だ智いち・小しょう智ちあわせて十二階で、いずれも小しょう仁にん・大だい礼らい・小しょう礼らい・大だい信しん・小しょう信しん・大だい義ぎ・小しょう位(※)を定めました。大だい徳とく・小しょう徳とく・大だい仁にん・(推古天皇十一年)十二月五日に、はじめて冠?【現代語訳】ふること無なきを宗むとねせよ。に曰いはく、一和わを以もちて貴たふしととし、忤さか子こ、親みづから肇はじめて憲けん法ぱふ十七条でうを作つくりたまふ。?夏四月の丙へい寅いんの朔にして戊ぼ辰しんに、ひ皇つぎの太み着つく。唯ただし元むつき日つきたちにのみ髻う華ず着さす。頂いただきは撮とり総すべて嚢ふくのろ如ごとくにして、縁もとほをし階かい、並ならにび当たう色じきの?あしきぬを以もちて縫ぬへり。義ぎ・小せう義ぎ・大だい智ち・小せう智ち、?あはせて十二小せう仁にん・大だい礼ら・い小せう礼らい・大だい信し・ん小せう信しん・大だいめて冠くわん位ゐを行おこなふ。大だい徳とく・小せ徳うと・く大だい仁にん・?十二月の戊ぼ辰しんの朔つきたちにして壬申に、始はじ巻二十二冠位十二階では、かんむり位によって冠の布の色が決められたんだね。元日には草木や花で冠や髪を飾ったんだね!8