トップ

奈良の食と農ポータルサイト

トップへ トップページ 市町村一覧 特集 食と農の関連サイト ブログ お問合せ

特集「農力のあるヒト」②

土のように

粘り強く、食材にこだわり続けるヒトがいる。風土に合わせた農法が、土着の香り、土壌の甘みを引き出すのだという。いろんな品種、時期、斜面、何度も試して、「できる限りのことをするだけだ」と、そのヒトはいう。翌年も、翌々年も、できる限り、土のように…

島崎宏之さん


TOP » 特集・オススメスポット一覧 » 特集「農力のあるヒト」②-土のように-

 

渓谷美の産地と黒い田舎蕎麦の悲話

蕎麦の産地といえば、美しい渓谷にある小さな山村を思い浮かべるが、長年蕎麦を見つめ続けてきた島崎さんは、決して山岳部が生育に適しているわけではない、という。お米がとれない貧しい土地でも収穫できる食材が蕎麦だったから、というのがホンネであるらしい。
蕎麦の色は、田舎に行けば行くほど黒くなるとも、島崎さんはいう。食糧不足の山間では、少しでも多くの量を食べようと鬼殻を外さずに入れるので、鬼殻の量に応じて黒さが増すというわけだ。「田舎蕎麦」という名前の由来には悲しいストーリーが背景にあるのだそうだ。

▲トップへ戻る

  蕎麦畑

こだわりが高じて、蕎麦の栽培へ

島崎さんの食材、蕎麦へのこだわりは、甘みや香り、そして味の濃さだ。こだわりが高じて、栽培方法に到るまでを農家に依頼すると、先祖代々何百年も前から継承された村の流儀があるからと断られる。
そこであきらめず、蕎麦の栽培をはじめてしまったというから、驚いてしまう。今から30年くらい前の話だ。農家を借りて奥様と一緒にはじめた蕎麦作りは、四国、奈良、山梨と、全国行脚に発展していく。

▲トップへ戻る

 

真夏の炎天下、高原郷の急斜面を開墾する

地産地消、奈良県産蕎麦が存在しない現状を残念がっていた島崎さんは、過疎化が進む川上村高原郷の耕作放棄地を蕎麦畑として再生すべく2010年6月、開墾作業をはじめた。急な斜面での水やりは一歩間違えれば転げ落ち、炎天下での草むしりは4日で再び草が生えるという過酷な自然条件だった。
しかし苦労があるからこそやりがいがあり、ええもんが作れると島崎さんはいう。この場所は、蕎麦産地として有名な信州の南アルプスの蕎麦畑の環境に似ている。蕎麦の実の収穫量こそ少ないが、希少価値に期待を膨らませている。

▲トップへ戻る

  蕎麦刈り

ゆっくり時間をかけて、生産意欲を高めて、

「地域活性局」藤丸氏とともに蕎麦作りをスタートさせた島崎さんは、蕎麦を特産品に育てるなら4、5年はかかる、ゆっくり時間をかけることが大切だという。
歩留まりのいい大きな実をつける品種を、コンバインで刈り取れば、効率よく利潤が上がるが、薄利多売になり、結局は「頑張っても一緒やなあ」と農家を意気消沈させる。限られた土地を有効に使うためにも、魅力あるオンリーワンを目指して、生産意欲を高めることが村の発展に欠かせない。「幻の蕎麦」と評判になれば、農家にも喜んでもらえるのではないかと期待している。

▲トップへ戻る

  桜の高原郷
お客様  

収穫率が悪くても、味の濃い蕎麦を作りたい

一度にいろいろな種類の種を蒔けば、簡単にどれが土壌に合うのか分かるわけではない。一斉に芽を出した後、急に伸びる品種と、少しずつしか伸びない品種があるのだそうだ。花の時期、味にも差がある。それらの特性を考慮して、毎年毎年、播種時期をずらして、試行錯誤して、データを蓄積して、必ず高原独自の方法をみつけ出したいという。
島崎さんが扱う品種は、収穫率は悪いが、小さな一粒に香りと甘みが凝縮され、他産地の蕎麦の実とは比べようがないほど味の濃い蕎麦を作るのだと、意気込んでいる。

▲トップへ戻る


玄・風景  

霧がかかると、甘みがのる!

高原郷は標高650mで蕎麦に霧がかかって甘みがのる。霧がかかるのは、1日の寒暖差が激しいためだが、実はこれが甘みの条件。過酷な環境に磨かれた香り、開墾地で生きるための吸肥性の強い生命力が、蕎麦の実にぎっしり詰め込まれるのだ。
困るのは、雨や風で倒れやすいこと。2、3日も経たないうちに、倒れた部分から新芽が出てしまう。後少しで甘みがのる、というときでも、台風の最中に刈りとってしまわなければならない。「悔しいが、お天道様にしか分からないので」と意外にあっさり、島崎さんは笑った。

▲トップへ戻る


蕎麦も、野菜も、お天道様次第!

蕎麦だけでなく野菜も同じように、地形、気候、土壌などによって味が変化する。加えて、年によって気象条件が異なるので、同じ種が同じように育つ保証はないのだそうだ。
以前から川上村の中でも、とりわけ味がいいと評判の高原郷の野菜も、何百年という長い時間をかけて独自の味を作り上げたのだろう。島崎さんご用達の辛味大根やわさびは、もともと高原郷から取り寄せていたのが縁であったという。

▲トップへ戻る

  玄の蕎麦
   

蕎麦の食べ方に、歴史を知る

現代では蕎麦といえば麺だが、麺という手法が発明されてまだ600年前後だと、島崎さんはいう。昔は、殻を外して手でひいて、つなぎなしでかき混ぜて作る「蕎麦掻(そばがき)」か、米の代用品としての「蕎麦雑炊(そばぞうすい)」かのどちらかであり、蕎麦の食べ方の主流であったのだそうだ。
ならまちの細い路地のすこし奥まった民家に、島崎さんが営む「玄」はひっそりと佇んでいる。自らの手で石臼で挽いたつなぎなしの細めのおそばは、まさに「知る人ぞ知る」味だ。
年代物の家具や塗りの古代食器などがかもす雰囲気は、それだけでここに来た甲斐があったと思わせるほどの力があった。

▲トップへ戻る

 


蕎麦屋玄入り口 玄店内床の間 客の間 玄外観
サイトマップお問合せ個人情報の取扱いについてリンク・著作権・免責事項