「このくにのかたち」を考える(その21)

JAMP-時事通信社- オピニオン寄稿(2018年7月9日 掲載)
         「このくにのかたち」を考える(その21)




 

1.このくにの「実行者」と「指示者」の関係 

 最近マスコミ界で大きく話題をさらっているテーマに学園をめぐる不祥事があります。森友学園、加計学園、日大アメフット部ですが、共通しているのは学園という場だけではなく、それぞれの原因と結果を結びつける、いわば因果関係のあり方に共通項があるように思われます。国有財産売却に当たっての過度な減額措置と関係公文書の廃棄、権限者による獣医学部新設の決定、プレー後の悪質なQB(クオーターバック)へのタックルと、それぞれのケースでは「実行者」がいて、その行為の妥当性が問われているのですが、それぞれの実行者がそれぞれの権限分野において独自の判断で行ったとすると説明がつきません。実行者の動機が明確でないからです。誰かが指示したのではないかと思われているところですが、誰が実行を指示したのか道筋が明確ではありません。このくにでは「意思決定者」の輪郭と意思伝達の道筋が常に曖昧です。

 

 

 

2.このくにではディシジョンメーカー(意思決定者)とプレーヤー(実行者)の意思伝達のプロセスがよく分からない

 このくにでは、くにの重要な決定の際、ディシジョンメーカー(意思決定者)とプレーヤー(実行者)の関係が不明確な場合がしばしばありました。日中戦争や太平洋戦争の際、誰が戦争の決断を下したのかということは、これまでも論議を呼んでいました。誰が300万人余の日本人が亡くなった戦争を開始した人か、いまだによく分かりません。国を戦争に巻き込んだ1931年の満州事変は、行為が先、国の意思決定が後のようにも見えます。重要な関係者は口をそろえて「ああするしか、しようがなかった」と言い逃れている始末です。
丸山真男氏は無責任の体系とおっしゃっていますが。ディシジョンメーカーとプレーヤーの関係がよく分からないのが、このくにのかたちの特徴です。米軍諜報(ちょうほう)関係者に昔聞いたところでは、「米軍の諜報では、プレーヤーはバトル・フィールド・インフォメーションをディシジョンメーカーに『正確に』報告することが任務のすべてだ」と言っていました。また、彼は「『分析』のないものは『情報』とは言わないのだ。それは『データ』に過ぎない」とも言っていました。
意思決定者と諜報という実行者の関係が明確に意識されています。

 

 

 

3.指示者は空気?

 戦争のような国運をかけた場における重要な方針決定が、たびたび「空気」によって行われたと言われてきました。誰もが無謀と思っていたあの戦争の開始も誰が指示したか分からず、その場の空気がそうだったから仕方なかったのだと、のちほど弁解がましく釈明される始末です。先ほど挙げた最近の一連の不祥事においても、実行および指示における責任の所在が分からず「空気」が指示したのではと思われる程です。
山本七平氏が『「空気」の研究』という本を書かれていました。最近再版された文庫本の帯には、社会学者の大澤真幸さんが、「空気は誰でもないのに、誰よりも強い。だから忖度(そんたく)するしかない」と書かれています。

 

 

 

4.わがくにでは空気が絶対的権威者?

 現在でも「空気を読む」ことが大事な気持ちの持ち方のように言われます。残業をせざるを得ない職場の空気、誤った方向へ行きそうなのに反対意見を述べ難い会社の空気等々、「空気の支配」は今でも身近にあります。だから国の中央での不思議な出来事も、身近な会社の出来事と無意識のうちに照らし合わせて、相似点を見つけ、既視感(デジャヴュ)を感じるが由に一般の人々の興味が続いているようにも思われます。
山本七平氏は、このような日本人の心理的、宗教的、社会的構造の原点を「見えないものの臨在感」、この場合「空気という物質の背後に何かが臨在していると感じて、知らず知らずのうちにこの何かから影響を受けるという状態」(※1)と説明されています。身の回りの物質に神が宿ると信じ、そのような気持ちを永い間、尊しとしてきたことは、われわれ日本人にとって「普通のこと」でした。身の周りにあるものへの感情移入、臨在感的把握を「物神化とその支配の基礎だ」(※2)と言われれば、なるほどそうかと思うものの、さて、そのような目に見えないものの扱いをどう考えればよいのか戸惑ってしまいます。
 このくにの行動原理の基礎となり、社会的行動の絶対的権威となっているものが、うつろいやすい「空気」だとすれば、このくにのかたちのあり方は、どのように考えていけばよいのでしょうか。