第二章では、まず、『古事記』にどんなことが書かれているのかなど基本的な情報をお伝えしたあと、この1300年の間、時代ごとに『古事記』がどのように受け入れられてきたのかを振り返ってみることにしましょう。
『古事記』を編纂した太安萬侶の墓は、1979年、奈良市此瀬町の茶畑開墾中に発見された。墓から出土した墓誌は短冊形の銅板で、表面には太安萬侶の居住地(左京四條四坊)、位階勲等(従四位下勲五等)、名前、没年月日(癸亥年(=養老7年・723年)七月六日)等41文字が刻まれている。この墓誌の発見によって、太安萬侶が実在した人物であることが明らかになった。