出会う 奈良県歴史文化資源データベース

龍田道 たつたみち

記入年月日 2016/08/12

三室山遊歩道(龍田道(神降りの道))
龍田大社万葉歌碑
所在地
奈良県生駒郡三郷町
区分
古道・古街道 | 古道・古街道など
指定内容

※各歴史文化資源へのご訪問の際は公開日・公開時間・料金等を別途ご確認ください。

歴史文化資源の概要
 龍田道は奈良時代において平城京と難波宮を結ぶ官道として置かれました。その始まりは、『日本書紀』の中で推古21年(613年)11月に「難波より京に至る大道を置く」との記載にあたるという説があり、道の設置には太子道とともに聖徳太子が関わったともいわれています。。亀の瀬を越える箇所については、大和川沿いの道のほか三室山・雁多尾畑(柏原市)を抜ける道など幾つかのルートが考えられ、『万葉集』で多くの歌人がこの龍田道を通った際に歌を残していることから、当時の心情的にも重要な地であったことが窺えます。また、軍事的にも要衝であったことは、天智天皇の高安城の築城や天武元年(672年)の壬申の乱にて戦場となったこと、天武8年(679年)11月に龍田山に関を設けたことなどからも窺えます。
地域にとって大切な歴史文化資源である、その理由
大和と難波を結ぶ「龍田道」は、歴史的に大阪と結びつきが強い三郷町の特徴を示すものであり、龍田大社や信貴山の信仰とも結びつくものです。また、国家単位でも遣隋使や遣唐使、遣新羅使なども利用した可能性が高い道であり、大陸との交流という意味合いからも重要な文化資源です。
「記紀・万葉集」との関連とその概要
上記の通り。
当資源と関連する歴史上の人物とその概要
聖徳太子(万葉集巻3-415)、高橋虫麻呂(万葉集巻6-971,6-972,9-1747~9-1752)、大伴家持(万葉集巻20-4395)、藤原道長(『扶桑略記』治安3年(1023)10月)、徳川家康(大坂夏の陣)など
当資源と関連する文献史料
三郷町役場『三郷町史』上・下巻 1976、柏原市立歴史資料館『亀の瀬の歴史-大和・河内をつなぐ道- 』2015など 
他地域の関連する歴史文化資源
 旧奈良街道、龍田大社、竹原井頓宮(柏原市)など
問い合わせ先
三郷町 教育委員会事務局 生涯学習課
電話番号
0745-43-7332

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見解・学説等の相違については、ご了承ください。