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古事記を持って出かけたい*名所ガイド*歌には、人を動かす力が秘められている。時には恋を勝ち取る言霊に、時には事態を好転させる契機に、時には相手を打ち負かす武器にもなった。古人は、心の奥底から湧き出る感....

古事記を持って出かけたい*名所ガイド*歌には、人を動かす力が秘められている。時には恋を勝ち取る言霊に、時には事態を好転させる契機に、時には相手を打ち負かす武器にもなった。古人は、心の奥底から湧き出る感情を歌に込め、運命を切り開く。ねてみては。数々。王者の恋の行方を訪大お『ほ長は古つ谷せ事若わかた建記けの命』みこのにと恋記物さ語れのたびたことだろう。に見染められるのを待ちわ女たちは美を競って、天皇いっそ清々しくもある。乙言葉は、傲慢を通り越して、皇。真正面から響く求愛の自信たっぷりにうたう天からすべてを明かそう。ならぬ私だ。では、まず私ごとく治めているのは、他てほしい。大和の国をこと娘よ、お前の家と名を教え持ってこの岡で若菜を摘む――良い籠に良いへらを家をも名をも万葉集巻一―一われこそは告のらめしきなべてわれこそ座ませおしなべてわれこそ居をれそらみつ家聞かなこの掘ふ籠こく串もし岳をもよかによみ籠こ大や名菜みなま和告摘掘ぶ持とのつものく串ちし国はらさねます児持ちとをご存知だろうか?は、雄略天皇の歌であるこ4興5味0深0い首。の万巻葉頭集を全飾る20巻の約も記紀・万葉集に残されてる反面、数多くの恋愛物語猛々しいその性情が語られバルを次々と抹殺するなどといえば、皇位継承のライ大おほ長は谷つせ若わかたけの建命み(こと雄略天皇)大長谷若建命の恋上情深き大王中猛々しくも下万葉集せいれい蜻蛉の滝川上村MAP?P31おほはつせわかたけのみこと大長谷若建命が吉野へと行幸した時のこと。美しい吉野の自然を舞台にした歌謡が『古事記』に記される。吉野川のほとりで出会った麗しい少女と過ごした宴の席で詠まれた歌や、猟をする天皇に噛み付いた虻を捕らえた蜻蛉(とんぼ)を褒めた歌。古代の人々から聖なる地として敬われた吉野ならではの清らかさが感じられる。豊かな吉野の山々の水を集め、今も太わかたけのみこと古から変わらぬ滝音を響かせる蜻蛉の滝。若建命と「とんぼ」の故事を名に戴く『古事記』ゆかりの名瀑である。松尾芭蕉や本居宣長など近世の著名人も多く訪れている。白山神社桜井市MAP?P30おほはつせわかたけのみこと大長谷若建命の宮は、『古事記』には「長谷の朝倉宮」、しき埼玉県稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣には「斯鬼の宮」とある。白山神社や春日神社をはじめ、付近には宮候補地が点在。古代の謎解きに何度も出かけたくなる。東吉野村MAP?P31に丹うかわかみ生川上神社中社わかたけのみことがおほはつせ「とんぼ」を褒め称えた大長谷若建命をむろたけししふ「み吉野の袁牟漏が嶽に猪鹿伏すと…」をむろたけとうたった袁牟漏が嶽は、社殿背後の小牟漏岳といわれる。清流に臨む神社にみづはのめのかみは、水の女神・罔象女神が祀られる。境内東には、「夢淵」と呼ばれる聖域があいはれびこのみことる。伊波礼毘古命(神武天皇)が天神の夢の教えに従って、祭祀をしたことから、夢淵と名付けられたという。り込み、キラキラと輝く海面が見えたようだ。向かった時代、大阪の海は山の麓近くまで入の道中だが、若わかたけの建命みことが若わか日く下さか部べの王のもとへとる。)現在は大阪の大都会を見下ろす峠越えた。(若わかたけの建命みことが越えた道筋については諸説あで結ぶ道として多くの旅人に利用されてき暗越奈良街道は古来、大阪と奈良を最短距離としたという。後、若わかくさかべの日下部王への求婚に際し、その結納の品鈴をつけて献上したところ天皇は喜び、そのき討ちを命じる。畏れた大おほあがたぬし県主が白い犬に大おほあがたぬし県主の御殿を見つけ、その不敬に怒って焼宮殿に似た志し幾きの行幸する際、天皇の山を越えて河内へと大おほ長は谷つせ若わかたけの建命みことが生駒暗くらがり峠生駒市MAP?P29奈良市MAP?P29県庁屋上からは春日山原始林や東大寺、興福寺、平城宮跡、遠くは葛城の山々まで見渡せる。大和青垣の美しい山裾を縫うように、南北に通じるのが山の辺の道。古より人々が行おほびこのみことき交ったこの古道を大毘古命の軍勢も行軍したのだろうか。奈良県庁舎屋上広場天理市MAP?P30あり」と記される。陵は山邊の道の勾の岡の上に天すめらみこと皇」と『古事記』にあり、「御崇神天皇陵(行燈山古墳)として「初はつ國くに知らしし御み眞まき木の初めて国家体制を整えた天皇王として考える見方も強い。な事蹟が多く記され、実在した事記』『日本書紀』には具体的第10代天皇・崇神天皇。『古勝利し、その軍勢を殲滅したのであった。の後、大おほ毘び古この命みことら天皇の軍は建たけ波は邇に安やすの王との戦いにを急襲しようとする建たけ波は邇に安やす王のの企みが露見。そこの歌がきっかけとなり、大おほ毘び古この命みこのと留守中に天皇り、付け狙っていることを知らないとは…。狙う者が、宮殿の後ろの戸や前の戸を行ったり来た御み――眞ま御木きみい真ま入り木き日ひい入子こり日はひ子やこよ、何たることか。自分の命を前つ戸よい行き違ひ窺はく知らにと己が緒を御大みおほま毘びき古このい命みことりひこ眞木入日子はや盗み殺せむ御みと眞ま木きい後し入りりつ日ひ戸子こよはやい行き違ひは、不思議な歌をうたう少女と出会う。の奈良県から京都府へと越える幣へ羅らざ坂かを行軍する圧のため、大おほ毘び古この命みことを派遣したときのこと。現在御み真ま木き入い日りひ子こ印いに恵ゑの命みこと(崇神天皇)が北陸方面の鎮上歌が暗示するものは?幣羅坂の少女中下26