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古事記を持って出かけたい*名所ガイド*聡明なる二人の天才を訪ねて稗田阿礼と太安万侶。『古事記』の編纂に深く関わった二人の天才のルーツを追ってゆかりの地を訪ねてみたい。日当りのよい南斜面ににたたずむ太安....

古事記を持って出かけたい*名所ガイド*聡明なる二人の天才を訪ねて稗田阿礼と太安万侶。『古事記』の編纂に深く関わった二人の天才のルーツを追ってゆかりの地を訪ねてみたい。日当りのよい南斜面ににたたずむ太安萬侶墓したことが明らかになった歴史的発見である。日などが記されていた。『古事記』撰録者・お太おの安やす万ま侶ろが実在文には「太朝臣安萬侶」の名のほか、居住地や位階、死亡年月にする墓誌をはじめ、火葬骨や真珠など。41文字から成る銘直径約4・5mの墳墓に収められていたのは、墓主を明らかよって茶畑の斜面から偶然発見された。る。1979年、茶樹の植え替え作業中、竹西英夫さんに位置し、大和茶の名産地としても知られる奈良市田原にあわっていなかったかも知れない。その墓は、平城京東方に太おおの安やす万ま侶ろ。彼がいなかったら、古代史は今のような形で伝太安萬侶墓茶畑に眠る『古事記』編纂者奈良市MAP?P29多神社こと、多坐弥志理都比古(おほにますみしりつひこ)神社橿原市MAP?P29出土品を時代ごとに展示奈良県立橿原考古学研究所附属博物館芸能・技芸全般の信仰を集める。した女神。芸能の始祖神として隠れていた天あま照てら大すお御ほみ神かみを招き出神々の喝采を受け、天岩屋戸に神がかりした踊りを披露して天あめ宇のう受ず売めの命みことは、多くの神の前でていたとされる場所でもある。命みことを太祖とする猿さる女めの君きみが居住しで有名な稗田の地は、天あめのうずめの宇受売太安萬侶墓から出土した墓誌。奈良県立橿原考古学研究所附属博物館で常設展示されており、おぼろげな『古事記』の世界と現代をつなぐ希少な現物と出会うことができる。持っていたとされる。環濠集落を祭祀によって守護する役割を門付近にあって、都への出入り稗ひえだの田阿あ礼れを祀る。平城京の羅城賣め太た神社稀代の語り部・稗田阿礼を祀る大和郡山市MAP?P29田原本町MAP?P30太安万侶ゆかりのおお多神社奈良盆地のほぼ中央に鎮座し、古くは広大な社域を誇った大やすまろ和屈指の大社。古代、多氏の根拠地といわれ、(多氏は安万侶かむやゐみみのみことの時代、「太」と名乗った。)多氏につながる神八井耳命、神武天かむやまといわれひこのみことかむぬなかはみみのみこと皇こと神日本磐余彦命や二代綏靖天皇こと神沼河耳命、姫御おおのやすまろかむやゐみみのみこと神、太安万侶を祀る。神八井耳命は神武天皇の第二皇子で、後に綏靖天皇となる弟とともに異母兄による暗殺に立ち向かった。その後、弟に皇位を譲って自らは祭祀者になったと『古事記』『日本書紀』にある。三輪山・多神社・二上山はほぼ東西一直線で、当神社は春・秋分の山頂からの日の出を拝する特別な位置にある。奈良盆やすまろ地を四方に見渡すこの立地環境が、安万侶の情報力を育て、全国に広がる『古事記』へとつながったのかもしれない。7拝殿。右手にご神木がそびえる。境内には、かたりべの碑が立つ