遠山敦子元文部科学大臣の基調講演のページ
平成16年12月21日  
 教育委員会 > 教育企画課 > 「奈良県教育の日」 > 「奈良県民教育フォーラム」フォトニュース
                                                     PDFファイルでもご覧いただけます

 平成16年11月6日(土)、奈良県橿原文化会館で開催された「奈良県民教育フォーラム」において、
元文部科学大臣 遠山 敦子 氏を講師に招いて講演会を行いました。

       
    基調講演

         演題 「意義ある人生を目指して」 
     
         講師  元文部科学大臣 遠山 敦子 氏

 皆さん、こんにちは。大変美しい秋の日に、この奈良の地で皆さんにお会いできてとてもうれしく思います。柿本知事から熱心なお誘いをいただきまして、喜んでうかがいました。私は奈良には非常にいい印象をもっております。終戦直後でしたが、父が戦争から帰ってまいりまして、最初に連れてきてくれたのが、この奈良でございました。当時、私は桑名に住んでおりまして、関西線に乗ってわくわくとしながら奈良に着いて、若草山の下で鹿と戯れながら一日過ごした、そういういい思い出をもっているんですね。そして、文化庁の次長でありますとか、長官を務めさせていただき、奈良の地に再三うかがいまして、奈良がもっておられる素晴らしい遺跡の発掘とか、保存とか、活用とか、朱雀門の建設とか、様々なことにご協力させていただいております。
午前中、知事のお薦めで、「万葉文化館」へ行ってまいりました。このような文化館をもっておられる、もつことのできる、もつにふさわしい奈良の地を本当に素晴らしいと思います。
 その奈良の地におきまして、この教育フォーラムのような大事な大会を毎年続けておられることに、心から敬意を表したいと思います。私は教育が国の未来を作り、子どもの未来を作ると信じております。そういう意味で子どもたちに意義ある人生を生きてもらいたい。そのために我々は一体どうしたらいいか、という角度から今日はお話をさせていただきたいと思います。

 私自身は、先ほど教育長からご紹介いただきましたように、2001年の4月26日、小泉内閣の成立と同時に文部科学大臣に就任いたしました。まったく思いがけないことでございましたが、やらざるをえないという立場でございましたので、いろいろな仕事をさせていただきました。就任から2年5ヶ月、私のいろんな人生の経験の中でも、大使の仕事とこの大臣の仕事というのは、思いがけない人生の展開であったわけですが、そこでそれなりに一生懸命頑張ったということで、これまでの人生を個人としても大変豊かにすることができたなと思っています。
 2001年の4月に就任いたしましたから、まさに21世紀が始まった年に、教育改革の真只中に飛び込んで、それを牽引し、そして、いろいろなことを実現していった、そういう経験をいたしました。それは初等中等教育だけではなく、大学を含めて、大きな改革をいろいろとやってまいりました。それは一体何なのか、どうしてなのかということをまずお話ししたいと思います。
 これからの世紀を生きる子どもたち、その子どもたちに対して私どもがいろいろと教育をしたり、支援をしたりしていくわけでございますが、21世紀は一体どうなるのだろうか、これは誰も確たる見通しを立てられないことでありますけれども、やはり、三つほど特色があると言われております。
一つは、20世紀型のように、日本も経済成長という大きな目標に向かって進んでいく、そういう大きなモデルがあり、目標がありというような世紀ではどうもなさそうであると。日本も大きく経済成長をし、1980年代には、世界の中でも1、2を争う経済大国になりました。しかし、1980年代に、「ジャパンアズナンバーワン」と言われて、いささか思い上がり過ぎたのではないかという気もいたします。いろんなことに努力しなくても、ともかく経済は何とかなっていくし、土地の値上がりを待てば、収入も上がるなどというような風潮があって、一般国民や企業の方々も社会全体もメディアも文化人も有識者もそういうことを考えていた。金融機関もそうですけれども、そういったことが今日の様々な問題の原因の一つになっていると思います。その後、いろいろ努力が行われて、今日、日本の経済については、何とか立ち直りの曙光が見えてきたというところです。いずれにしても21世紀の日本のこれからの在り方というのは、20世紀型において目標としたものだけでは十分ではないのではないかという、その点が一点ございます。
 二つ目は、21世紀になって、いろんな問題、日本人を巡るというだけではなくて、世界の人々を巡る問題がすべて地球規模化しているということでございます。アメリカの大統領選挙が終わったばかりです。しかし、あの超大国の大統領を選ぶ選挙戦の中で一番大きな課題になったのは、対イラク戦争をどうこれから考えていくかということでありました。 911事件というのは、2001年の9月11日。私が大臣に就任して半年後のことでございました。この911事件が起きたということは、21世紀がこれまでのような単純に将来を見通せる世紀ではないことを物語っておりますし、単に中東の地域で、アフガニスタンとかイラクで起きたことは、一地域のこととは思えなくて、すべての国々がそれに巻き込まれていて、地球規模の課題として大きくのしかかってきていることは確かです。そのほかにも20世紀から積み残ししたエネルギーの問題。石油が値上がりすると、世界経済というものは直ちに影響を受けます。
 環境の問題もそうです。昨今のこの環境の変化に伴ういろんな問題というのも人類が当面している非常に大きな問題で、しかも、日本だけで解決しようと思ってもなかなか解決できないものです。民族間の対立しかり、食糧問題しかり、いろいろの問題が地球規模の大きさをもって迫ってきています。鳥インフルエンザもそうですし、SARSもそうですし、狂牛病の話もそうでした。国境を越えていろんなことが起きているということが二番目です。
 三番目には、科学技術が大変な勢いで進展をしています。 例えば、IT技術の発達。20世紀の後半の頃には、まだ、今日のように、自分のパソコンを通じて世界のあらゆる情報が瞬時に得られるというようなことは想定もしなかったと思います。
 そして、ある一地域の出来事がネットワークを通じて、全世界に一瞬のうちに広まっていく。ある報道家の写真がもう世界の人たちの共通の認識になっている。となると、一人のジャーナリストの視点というものが世界中の人々の世論を作り出すことにもなってしまう。ITの発達というのは、プラスの面もあれば、ネットワークを通じて、匿名性を使って悪をなす、ハッカーのような人たちも出てくるということもございます。そういったことは、20世紀には考えられませんでした。
 しかし、科学技術につきましてはプラスの面もたくさんあります。例えば、生産技術もこれまでとは違って、ロボットが細かい仕事はしてくれるとなると、人間の働き方も変わってきます。 そして、精緻なナノテクノロジーのようなものが発達して、これまでの人類が経験できなかったような様々な便利なものが出てきています。生命科学の発達というのも素晴らしく、20世紀の大きな発見の一つ、DNAが二重らせんの構造になっているというようなことをベースにして、21世紀の初めにヒトゲノムがすべて解読されました。これがすべて解読されるということは、これからは一人一人の病気もその人にあったような治療ができるという時代になってくるということです。
 そのように21世紀に入った今の時点だけでも、20世紀と違ったようなことがらがいっぱい出てきています。そんな中で、子どもたちは一体どのような資質をもった、どのような力をもった子どもたちに育ってもらいたいのでしょうか。そのことを考えるには、今お話したようないろんな変化というものの中で、日本の存立というのはどうあったらいいのか考える必要があります。例えば、最初に目標がないと言いましたけれども、私は日本はビジョンをもって進むことのできる国であると思います。そして、地球規模化した課題についても、日本人も国際的な視野をもって、これからしっかりと世界の情勢を見ながら、自らの国、そして、自らの生き方を考えることが必要な時代に入っています。
 科学技術については日本は常に最先端を極めていくというような立場におかれているわけです。通常の大量生産の技術は、低いコストで作れる海外にほとんど移転されています。であれば、日本としては科学技術の最先端を常に走り続けていく必要もあるわけです。そのように考えてまいりますと、日本にとって大事なことは、成熟した社会として文化を大事にし、科学技術の進歩というものを常にリードできるそういう国であるということが大切だと思います。
 私はかつてトルコで大使をさせていただき、1996年の夏にトルコにまいりました。そこで得たものはたくさんございますが、大使になりますと、最初に外交活動をする前に相手国の元首に天皇陛下からのメッセージをお渡しする儀式があるわけです。当時はデミレル大統領という方でしたけれども、この方は日本に来られたこともあって、日本に大変関心をもっておられます。儀式が終わった後に、一対一で話し合うわけですけども、その時に大変驚きました。大統領がおっしゃるには、日本は実に素晴らしいというんですね。科学技術が世界の最先端をいっている。ソニーしかりトヨタしかり、あれだけの技術というのは、諸外国では追随できないくらい素晴らしい。同時に日本は長い歴史と文化の豊かさをもっている。この科学技術と文化という二つのものを日本は現実の世界の中で最も優れたかたちで作り出し、保存をし、その特色をもっている国である。トルコにとって日本はモデルであるということを言っていただいたわけです。
 私としては、いろいろと議論をしよう、あるいは日本の説明をしようと思って大統領官邸に行ったのですが、その必要はまったくなく、向こうから日本の特徴を極めて明確に言ってくださったんですね。今思えば、今日の、あるいは、21世紀の日本が目指すべき在り方というものを9000キロも離れたトルコの地で大統領が見ている。諸外国の英知のあるリーダーたちにとっては、日本はそのように映っているということも、一つご披露しておきたいと思います。

 であるとすれば、これからの日本の教育はどうあったらいいのでしょうか。科学技術なり、文化なりというものを継承し、そして新たなものを作り出す。そのために一番大事なのは、未来を担う子どもたちにしっかりした力をもってもらうということであると思います。子どもたちの未来は、先ほど申しましたように、目標はそれほど明確には分からないし、どんなことが起きるか分からない。しかしそういう時代に、いろんな問題が起きた時に、それを乗り越えられるしっかりとした知力と精神力と体力を身につけて、そして、豊かな心をもって人生を歩んでもらう。そういった子どもたちを作り上げる必要があるのです。それが私どもの今の任務であると思います。私は在任中に教育改革をいろいろなかたちで行いました。教員の資質についても、十分な指導力をもってない人は学校の現場から去っていただくというようなことも法制化をいたしましたし、初等・中等教育段階でも様々な改革をやらせていただきました。
 それらをとおして、私のなかで常に目標としたものは、子どもたちに、20世紀型の画一的で受け身の教育の仕方から、一人一人が自立をして創造的に生きることができる、そういった力をつけたいということでした。20世紀型の教育から21世紀型の教育に変えていく。それは一体なにか。そのキーワードが画一と受け身から自立と創造ということです。その大きな理念のもとにいくつかの理念を立てて、それに伴う政策を様々に展開をいたしました。その具体的な理念としては、一つは、これからは一人一人の子どもたちのもてる力を存分に伸ばすようにしようではないかという角度からの政策でございます。
 二番目は、子どもたちの心を豊かにしてもらいたい。先ほど申したような科学技術の発達、あるいは地球規模の問題化、そういったことを通じて、今、子どもたちの心のなかに必ずしも望ましくない、いじめとかあるいは傷つけあうというようなことも起きています。人間としてほんとに大事なのは、豊かな心をもつことでして、その豊かな心をもつということのために、様々な政策も展開をいたしました。
 その豊かな心というなかには、自分だけが満足するということではなくて、社会のことを考える公共性ですとか、本当の意味での豊かな教養という角度からは、国際的な場において、しっかりと主張できるそういうことも含めたことを可能にするようないろんな手だてを初等中等教育段階から大学に至るまで、様々に手を打たせていただきました。
三つ目には、学校がこれまでのように画一的で、どこも皆同じということではなくして、それぞれの個性をもっていいものであって、地域の実情なり、子どもたちの実情に応じて自らの学校の特色を出していっていただきたい。そして、そこに通う人たちは、自ら学校を選ぶということができるようにする。規制緩和と選択ということを可能にしたシステムの改革であります。
そして、四つ目にはこれまで閉じた社会であった学校の存在をより開かれた組織にするべきであると。学校が学校の中ですべての問題を解決しようとする時代ではなくなり、いろんな情報を公開すべき時期に至っています。情報公開し、広く地域の方々と問題を共有しあいながら改善をしていく。公開と評価というようなことが、四つ目の具体的な理念でございました。そのような理念を立てながら、何十にも及ぶ改革を、法改正、予算措置、あるいは、プランニングというかたちで進めております。今、少しずつ各地でそれが実現にうつされているわけであります。

 そんななかで、今日は大事なこととして学校で取り組んでいただきたいこと、あるいは、保護者の方にご理解いただきたいということ、三つを申し上げておきたいと思います。
 一つは、そうした逞しい知力、確かな学力というものをもってもらうために何が大事かといいますと、一つは基礎基本というものをしっかりとするということであります。
私が就任した時はゆとり教育ということが、あまりにも強調され過ぎていまして、国民の間に学力低下が起きるのではないかという不安が満ち満ちていました。そんなこともあって、私は、2002年の1月に「学びのすすめ」といアピールを出させていただきました。学習指導要領がその4月から変わる直前でありましたけれど、各学校なり先生方というのは、本当に子どもたちに伝えるべきもの、教えるべきものをいろんな工夫をしてしっかりとやってくださいというメッセージであります。これを一つの転機として、今、ある程度、本来あるべき教育の姿になりつつあるのではないかと思います。
 そこで、なぜ、基礎基本かということでございますが、私は西洋美術館の館長もいたしておりまして、その時、ピカソの展覧会をやったことがございます。 ピカソといいますと、20世紀の偉大なる芸術家ですね。自由闊達と申しますか、最後の作品あたりになりますと、「うーん、よく分からないな」と思うぐらいですが、ともあれ、新しい芸術創造をやった方ですが、そのピカソが小さい時に書いた絵は、本当に細密なデッサンでありまして、これはもうラファエロも超えるのではないかと言われたようです。そうした基礎があってこそ、自由闊達な創造に結びついていくのですね。
 有名なピアニストたちにも、自在な表現の背後には子どもの頃からの絶え間ないものすごい訓練と精神力の鍛練というものがあるわけですね。私は大臣の時に北島選手に会う機会がございました。彼は水泳平泳ぎで世界記録を作った人ですけれども、あの飛び込みの角度をどうするか、それを科学的にきちんと見て、空気抵抗を最小限にしながら、遠くへ飛び出す。その0.何秒の違いというものが、優勝するかどうかに関わるんですね。彼はその科学的な成果を難なく自分のものにしたかのようでございますけれども、実は大変な努力をしてそこに到達しているわけです。
 イチロー選手もそうです。松井選手もそうです。今日、その輝ける成果を上げている若者たちもやはり、小さい時からそれを一生懸命やって、集中をして、常に自分を磨き、技を磨き、人の教えも入れながら続けてきたそうした努力の結果、輝ける存在になっていくんですね。
 基礎基本というものがあることによって、普通の我々のような人間にとってもいろいろなことを考えることができるし、理解することができるわけです。基礎基本は先生が黒板に書いて一度教えたから、覚えられるようなものではございません。繰り返し、繰り返し、いろんな角度から教えることによって、はじめて基礎基本が身につくわけですね。そういった教育を非常に大事にしていく必要があります。それをベースにした上で、一人一人の能力に応じて、グループ分けをしてやっていく。習熟度別の指導というのが今、実施されていまして、かなり効果を上げつつあります。これは子どもたちを差別するのではなくて、それぞれの個性とか能力というもので区分をした上で、一人一人が達成感をもつためのものです。勉強を身につけるのにもゆっくりのタイプがございますね。そういう子どもたちには、先生が何人かできちんと教えて分からなるようにしてあげる。伸びる子にはより高次の問題を与えて伸びてもらう。それぞれが達成感をもつことができる、そのための習熟度別指導であります。導入の時には、いろいろ議論がされましたけれども、やってみたら、実は親御さんたちからも大変評価をいただいています。今は日本の学校の七割を超えるところで習熟度別指導が行われていますが、私はこれは21世紀型の教育に非常に重要な方途であると思っています。それに必要な教員の定数なども予算措置をいたしていますが、一人一人が自立をし、創造的に生きるための基盤を与えているんだという信念をもって、習熟度別指導のような方法論も取り入れていただきたいものだと思います。
 それから今、大変有効なのが、朝の読書運動ですね。これは千葉県のある高校の先生が始めた運動ですけれども、私も大臣の時に聞きまして、これは素晴らしいと思って、全国に広めるようにお願いしたわけです。朝の10分間、10分早く来て、子どもたちが一斉に本を読む。どんな本を読んでもよろしい。読んだ後でいちいち感想などは聞きません。でも10分間、先生も子どもたちも一緒になってシーンとして集中して読むということは、大変な成果が出ますね。
 私も小さい時から本を読むというのが、好きな方でございましたけれども、本を一冊書くということは著者にとっては大変な努力です。私も何冊か書きましたけれども、例えば、「トルコ 世紀のはざまで」。これはトルコ人も大変喜んでくれて、今、トルコ語に翻訳されて読まれておりますけれども、この本を書くには、3年余の間の大使の時のいろんな経験というものを反芻しながら、いかにしてあの国の文化の特色、そして、地勢学的な意味というものを日本の皆さんに伝えるかということを考えながら書きました。大臣になってから最後の部分を書いたものですから、非常に忙しい思いをいたしました。
 それから最近の「こう変わる学校 こう変わる大学」については、大臣を辞めてから、そのやってきた教育改革の中身を一人でも多くの方に理解していただいて、共に日本の未来に向かって歩みたいという信念で書いたのですが、やはり何ヶ月かかかりました。著者が心を込めて、何ヶ月間かかけて書いたものを、読む方の側ではせいぜい3時間とか5時間で読みこなすことができます。かなり集中した努力の成果を読むことができる。それは私のような平凡な人間が書いたような本ではなくて、漱石でありますとか、森鴎外とか、そういう人たち、あるいは、カントであり、ヘーゲルであり、ゲーテであり、そういう本当に優れた人たちが書いた本を垣間見るだけでも、私どもの世界は一気に広がります。読書の素晴らしさを小さい時に経験させるということは、その子どもたちの人生を本当に豊かにするし、ものを考えることができるようになるのは言うまでもないことです。そういった基礎基本をしっかりとというのが、第一点でございます。
 第二点は自分で考える力をつけてやっていただきたい。つまり、「学んで思わざるは、即ち罔(くら)し」という論語の言葉がございますけれども、学ぶだけではなくて自分で考えることを学校時代に習慣づけてやっていただきたい。これまでの日本の教育というのは、一定時間内にできるだけ多くのことを詰め込むという傾向がなきにしもあらずでしたけれども、これからの教育というものは、基礎基本をしっかり身につけさせた上で、さらに自分で考えるチャンスを与える。今の制度としては「総合的な学習の時間」などがございます。これは各学校で計画を立てて、何学年のときのいつにどういうふうなことを取り入れようかというような工夫をされますと、子どもたちは、例えば、村の古老に話を聞くということをとおして文化を学びます。自分でテーマを考えさせて、自分で調べさせ、そして、自分で分析をし、表現をし、そのうえ、ディスカッションもできる。そこまでの総合的な力をつけさせるようになれば、「総合的な学習の時間」というものは最も生きるわけです。そういうことがそれぞれの学校、それぞれの先生の工夫でできるように制度改正をいたしたところです。
 新しいものを創造するということは、そんなに楽なことではございません。しかし、それにはチャレンジする精神、勇気をもつこと、そして、あらゆる問題について新たな視点を自分で考えだすこと、そして、遊び心をもつことが必要です。これは実は、ノーベル財団の博物館長のリンドクヴィストさんがおっしゃった九つの項目のうちの三つですが、そんなことを考えると、小学校段階から、あるいは中学校段階からでも、そういった片鱗を子どもたちに経験させることができると思います。
 さて、三つ目ですけれども、やはり大事なことは、これからの教育には体験をさせるということがとても大事だと思います。これまでの教育は、クラスの中で先生が生徒に抽象的な知識の伝達をするということが主だったかと思いますけれども、今の学習指導要領は体験学習ということに大変重きを置いています。これは実は私が大臣に就任いたしました直後の教育改革三法、その三法の中には、教員の資質向上のための指導力のない先生には、学校現場からは去っていただくとかを含めた難しい法律でございましたけれども、そのなかの一つに学校で体験学習を取り入れるように法改正をいたしました。学校教育法を改正したり、あるいは、社会教育法を改正して、体験学習と奉仕のようなことをモデルにしたような体験というような法文にもなっておりますけれども、こういったものを正式に学校の中で取り入れていただくように制度改革をしたものでございます。
 体験というものは知識を本物にしていく、本当に力をつけるという意味でとても有効です。同時に単に知識を本物にするいうだけではなくて、心の豊かさにつながっていく、そういう教育ができるのであります。

 体験学習のなかで、私が特に勧めたいことが三つございます。一つは自然体験です。これは奈良県のように本当の自然に恵まれた域では、自然のことについて特別のカリキュラムなり、特別の工夫はいらないのかもしれませんけれども、それでも市街地に住む子どもたちには自然に触れる機会を大いに作っていただきたいと。これは、東京のある市の市長さんと教育長さんが大変努力をされて、子どもたちを一週間、長野県の山村に連れて行くという「総合的な学習の時間」の取組ですが、一週間、子どもたちは山登りをしたり、あるいは農家の手伝いをしたりして身体を動かす。そうしますと、山登りや勤労をした後で、食べるご飯のおいしさは、おむすびのおいしさ、これは生まれてからはじめて味わうんだそうです。それまでは、お母さんに「食べなさい」と言われて、食べさせられているという気持ちでいたけれども、こういう中で食事をいただくということではじめて、食事をいただけることに感謝をするという気持ちが芽生える。それから夜には満天の星を仰ぎ、生物の成長を見、そういったことから、人智を超えた素晴らしいもの、崇高なものがあるということを学ぶ。それからもっと大事なのは、いろんなことを仲間とやるなかで、お互いにルールを守らないと集団というものは成り立たないし、助け合うという気持ちはわかない。それらは、いくら「友達と仲良くしなさい」「人間の世界だけではなくて、実に素晴らしい感動の自然というものがありますよ」と抽象的に言っても、なかなか子どもたちには分からないわけですが、思い切って一週間、子どもたちに合宿をさせると、子どもたちは本当に変わるそうですね。奈良のようなところでも、ぜひそんなような試みをやっていただきたいと思います。最初は、先生たちも反対して、親御さんたちも塾にやらなきゃいけないのに、どうして一週間もという反対が多かったようなんですけれども、実際にやってみると、子どもたちが本当に変わっていった。そして、勉強の意欲も、学ぶことの意味も分からなくなってきているということのようなんです。私はそんなお話を聞きながら、自然体験の大事さということを納得したわけです。
二つ目は職業体験ですね。これは先ほどの教育長のお話にもございましたけれども、これからは子どもたちを、神聖なところに囲って、実社会とは違ったことを教え込むという教育の在り方ではなくて、人間として意義ある人生を送るための基盤を与えるという角度からいうと、職業体験というのは、とても大事であります。いろんな体験のさせ方というものがあると思いますけれども、友達が真剣になって働いているところを見に行く、あるいは、自分たちでいろいろと職業体験をやってみるというようなことも必要ではないでしょうか。
 いろんな例がございます。ある県の高校では、1年生の時に、自分がなりたい職業を選ばせる。例えば、医者になりたい、弁護士になりたい、あるいは、企業の経営をやりたい、そういったことを選ばせて、1学年をそういうグループに分解して、そのグループごとに、大学の先生とか専門家の指導者をつけて、学ばせる。自分でそのために必要な知識とは一体何なんだろうか、そのための勉強の仕方とはどういうことなんだろうか、実際にはどういう仕事なんだろうかということを体験させている。夢を描かせているだけではなくて、夢を現実にするための方途というものを生徒たちに3年間で勉強させるということが現実に行われていて、大変な成果を上げているようです。
 それから、これは関東地方のテレビで見ておりましたら、小学生たちに商店を経営させるというものがありました。疑似の銀行の銀行マンがいまして、お金を5000円貸してください、それを元手にして子どもたちが一生懸命手作りのものを作って、そして売りに出すと。そうして、生活のために収益を上げるためにどれだけ努力が必要か、どれだけ工夫が必要か、どれだけ創造的にいろんなことを考えなければいけないかというようなことを子どもたちが学んでいます。小さいときにはいろんなことを学ぶ必要がございますけれども、職業というものについても、働くこと、仕事を通じて自己実現をしていくということを体験をとおして教えていくということも大変有効ではないかと思います。
 それともう一つの体験として、奉仕体験です。あの新潟で起きている惨事、大変でございますけれども、全国各地から今や若者が馳せ参じている。そういう良さも今の若者にはあるわけです。子どものときに近くの老人の施設に行ったり、病院に行ったりして、子どもたちは人から感謝されるということを体験する。これによって、人間というのは、自分のことだけではなくて、他者のことを考えることが大事だということを学ぶのです。今申しましたような様々な体験というものも取り込んでいただきたい。基礎基本をしっかり、これはもう本当に学校で、大事な原理原則、漢字、計算、そういったものを教えていく。それから自分で考えさせるチャンスをつくっていく。そして、体験させる。今、申し上げましたようなことは、一つの例でございますけれども、そういったことがそれぞれの地域でできるように、大きな制度改正をいたしております。それぞれの地域で大いに工夫をされて、子どもたちが本当に自立した真の力、体力と精神力をもてるような子どもたちにするんだという気持ちをもって教育に当たっていただき、親御さんたちもそういう今の学校の在り方を存分に理解していただきたい。習熟度別授業をやると差別になるなどという単純な平等論ではなくて、本当に力をつけるには、これが大事なんだという確信をもってやっていただきたいと思うのであります。
 そのように今、大事な教育改革を初等中等教育でやっております。そんな時に、義務教育費国庫負担制度は堅持をしなければならないと私は思っています。義務教育費国庫負担制度というのは、世界各国が垂涎の的にしている素晴らしい制度ですね。どこにいても国民は一定の水準の教育を受けられる。その上で自在に考えていただくための地方分権は大いにやったわけです。カリキュラムの作り方、学級編成の仕方、あるいは、補充授業の在り方から、それぞれの地域でどうぞやってください。でも、基盤としての最低限のことは国が責任をもつ。私はこの制度は守らねばならない。もしそれをやめようとするならば、私は国家としての土台を削り取ることになると思っております。

 さて、いろいろ申し上げてまいりましたけれども、学校や親御さんにお願いしたいことを話してまいりましたが、大切なこととして、あえて二つほど申し上げたいと思います。
 一つは、人間としていろんなチャレンジをしていくときに失敗を恐れてはならないということです。新しいものに挑戦する時には勇気がいります。先ほどのノーベル財団の館長さんのお話として、新しいものを作り出すのに一番大事なのは、勇気であり、挑戦する心であると申しましたが、それは必ず、失敗も伴うんですね。子どもたちがいろいろ考えて、いろんなことを発想して答えを出していく時に、我々はそれを温かく見守ってやる必要があると思います。大人同士もそう、会社の中でもそうだと思います。いろんな発想をした時にみんなでこれは普通じゃないと排除するのではなくて、それを温かく見守って、同時に失敗をしたと思った人もそれでめげてはいけないと思いますね。それを乗り越えていかなくてはならない。
 これは、私も大臣としてもなかなか大変な時期でございましたけれども、いいこともいくつかございまして、実は私の在任中に、日本人の中で3人のノーベル賞受賞者が出ました。こんなことは歴代の大臣でかつてなかったことでして、おかげさまでスウェーデンまで行って、ノーベル賞の授賞式にも参列いたしました。その中の一人に田中耕一さんがおられました。あの方はほんとに謙虚で素晴らしい方です。これからの科学技術の中で、生命科学の発達というのが大変大事なんですが、例えば先ほどもゲノムの話をいたしましたけれども、それを本当に実際に人間のためになるようにするには、タンパク質の質量分析というのが大変大事なんですね。その質量分析のための機器を作っていく、そのことをこつこつと田中さんは研究をしてたんだそうです。質量分析の装置を作るのに分子が壊れないように緩衝材を使わなくてはならない。その緩衝材というのは、大体決まりきったものを使っていたんですが、ある時、間違えてグリセリンを使ってしまったんだそうですね。「大失敗」と彼は言うんですが、後に「人生最大の失敗」という本をだされました。それを読んだ私も大変感心したのは、普通でしたら、失敗してしまった、もうこれはだめだと捨ててしまう、あるいはもうほんとに自分はだめだなと思ってしまうんですが、そこが違うんですね。失敗したけれども、その資料がもったいないからというので、分析を続けていたら、それがかつてない素晴らしい、その機器につながっていった。その間違えて使った緩衝剤が今、広く使われて、世界の生命科学の研究のために必要な設備になってきている。その理論の最初のものを世界ではじめて彼が発見したんですね。失敗を失敗としてあきらめてしまったりしないで、何とかそれが生かせないかというその執念と、そしてそれをこう乗り越えようとするそういう気持ちがノーベル賞につながったんですね。
 小柴先生は、ニュートリノという新たな宇宙からの物質をきちっととらえた最初の人なんです。ノーベル賞というのは人類のエースの中で誰が最初に一番新しいことを考えたかということに賞を出す極めて優れた賞だと思いますけれども、それに日本人も何人も選ばれていますね。大事なのは、失敗をした時にひるんではならないということです。それを乗り越えていかなくてはならない、周りの者もそれを温かく見守っていく。ということが大事だと思います。小柴さんも、「人間にとって大事なことというのは失敗をし続けていると、なにかひらめくものがある」というようなこともおっしゃっています。
 ノーベル賞受賞者の話というのは、我々と違うかのようにお思いかもしれませんけれども、私どもの日常の中にも常にいろんな失敗がございます。でも、それもやはり意志力と英知を働かせて乗り越えていく。そういう失敗をしても、子どもたちにもそういうことは当たり前で、それを乗り越えてこそ人間は成長するんだという自信をもたせてやっていただきたいと思います。
 それからもう一点、私は強調しておきたいことがございます。これもトルコの大使の時に経験したことですけれども、実は私は学校時代なり自分の勉強の中で、ギリシャ哲学を始めとするヨーロッパ的な知識の体験しかもってなかったんですね。でも突然、トルコ大使になれと言われて最初は驚愕をいたしました。トルコの人たちは99パーセントがイスラムの教徒です。しかし、トルコの国というのは脈々といろんな文明を発達させてきた国民です。人類ではじめて鉄を使ったヒッタイトの民族というのも、今のアンカラのすぐ東のあたりに王国を作っておりました。これが四千年も前の出来事なんですね。そういった文明とかいろんな文明を得て、今日はイスラムのオスマン帝国の末裔として繁栄をしていますけれども、自分の知識体験の中ではじめてそのイスラムというのが入ってまいりました。そのなかで人々といろんな意見を交換をしたり、生活の状況をみたり、あるいはリーダーたちと話し合ったりしているうちに、私はようやくイスラムというものがわかってきました。今、原理主義者たちがテロなどをやっておりますが、トルコの人たちの大部分はこれ、原理主義とはまったく関係がありません。それどころか、イスラムのその思想というのは、断食をするとか、祈りをするとか、メッカに行くとかいくつかの戒律がございます。でも、それを守るかどうかは、トルコにおいては個人の自由になっております。そのなかで、私がつくづく感心をしましたのは、人々の見知らぬ人に対する親切さというか、非常に大事にするんですね。日本人もかつてもっていたそういう気持ちをあの人たちはもっているんです。どこの国の大使か、一般人は知らない。見知らぬ人に対する親切心というものが本当にあふれておりまして、普通の市民の方とも会い、交流もできました。
 それと、自分たちには優れた歴史、文明を経験してきた国であるという誇りがあります。そして、若い子どもたちも本当に国を愛していますね。トルコのためなら自分は身を犠牲にしてもいいと、本当に小さい子どもたちも言います。そして、自分たちの国に大いに誇りをもって、見知らぬ第三者に対して親切なんですね。それを見ながら、私ははるかに日本を思い出しました。当時は本当にいろんな事件が起きておりました。今日も起きております。でも人間にとって一番大事なことは、知力も大事です。創造力ももちろん大事ですが、本当に大事なことは、心の豊かさをもつことだと思います。自立と創造と言いましたけれども、一人一人が自立をしていくためには、自分のことだけを考えていてはいけないのであります。自立ということは、他者も自立しなければならない。ということは、意義ある人生を生きていく時に、自らが一体、他者に何ができるかということを常に考えていかなくては、本当の優れた素晴らしい人格ではないと思います。子どもたちにそのようなことを言ってもなかなか分かりません。この会場にいらっしゃる大人自身がそういう生き方をしていただきたい。自分だけが快楽を求めたり、自分だけが楽なようにというのではなくて、他者もまた、優れた力をもっている、そういう人たちと共にこの社会を形成し、そして日本国を成り立たせる。日本国を豊かにしていくだけではなくて、人類の英知にも寄与し、そして、より貧しい人々にも目をかけていく。そういった心情を何とかもち続けたいものでございます。子どもたちに意義ある人生を目指してくれと言うのであれば、大人自身が本当に自分に対して厳しく、他者に対して優しく、他者の自立も助ける、そのような心情をぜひとももち続けたいものでございます。

 奈良県は先ほど申しましたように、私にとっていい印象の、言わば心のふるさとでございます。この県の皆様がどうぞお元気で、素晴らしい次世代の教育をしていただきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。
 
 教育委員会 > 教育企画課 > 「奈良県教育の日」 > 「奈良県民教育フォーラム」フォトニュース
   
 奈良県教育委員会 教育企画課