大化の改新コラム1「仏教伝来の地」タイトル
「仏教伝来之地」の石碑
金屋河川敷公園に立つ、高さ3.8mある「仏教伝来之地」の石碑
海石榴市
『万葉集』にも「海石榴市」の名が詠まれている
遣隋使の様子
飾騎の像
上/壁面には遣隋使の様子が描かれている
下/公園内には飾騎の像も

桜井市の三輪山の南麓に流れる初瀬川の畔に、「仏教伝来の地」の碑が立つ。
古代、この辺りには、「海石榴市(つばいち)」と呼ばれる、わが国最初の大きな市があったという。
山の辺の道をはじめ、いくつかの古道が交差する陸の交通の要衝であり、摂津の難波津(なにわつ)から大和川(初瀬川)を遡行する、舟運の終着地でもあった。ゆえに、多くの物資が集まり、交易の中心として栄えた。
近くには欽明天皇の磯城嶋金刺宮(しきしまのかなさしのみや)があったとされる。付近一帯は、外国の使節が発着する水上交通の要所としても利用されるなど、外国からの人、物、文化を迎え入れる玄関口だったようだ。

『日本書紀』によると、欽明天皇13(552)年(※)、百済(くだら)の聖明王の使者が、この地に釈迦仏の金銅像や経典を献上したとあり、それをもって日本に仏教が伝来したとされる。
また、聖徳太子に優れた才能を見いだされた遣隋使の小野妹子が帰国したのもこの地。隋からの使者である裴世清(はいせいせい)も下客(しもべ)12人とともに降り立ち、朝廷側は飾騎(かざりうま)を75匹用意し、盛大に迎えたそうだ。

※『上宮聖徳法王帝説』、『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』では538年と記されている

  • 桜井市金屋
  • 自由
■『日本書紀』(校注/坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 発行/岩波文庫)を参考にしました。
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