特別対談 06 現代の「ハレ」と「ケ」

田中:
トレイルランニングでの現代的な山への入り方、そして我々のように1000年も前から同じような方法での入り方、時代と共に人間は変わっていくと思うのですけれども、日本人にとって、山に入ることにはひとつとても大事なことがあります。
それは日常と非日常を行き来する知恵です。日常というのは日本人にとってはケなんです。ケガレのケです。毎日の生活って疲れますよね。疲れると気が枯れて、ケがつく。それに対してハレというのがある。ハレとは、日常とは違うことをすることで、汚れた気や疲れた気が元に戻って“元気”になる。元気になるためにおこなうことを、一般にハレというのです。日常のケと非日常のハレの行き来です。しかし現代、都会の生活というのはなかなかハレがないんですね。信仰もありませんしね。

山へ行くのはハレなんですよ。こんなハレは実はなかなか今はない。天気が晴れてるんじゃなくて、日常を離れて聖なるものに近づくことがハレ。そこで、身心脱落する。そういう山との関わり方があるんです。弘法大師が、いろんな想いを持ってあの山に入られて高野に至られた。それは弘法大師にとって、ひとつのハレの場所が高野だった。そして高野をハレの場所として確立させたかった。そういう、今の人たちにいちばん必要なものが山の修行の中にはあるし、今回の高野に至る道のような取り組みの中にあるように思います。日本人のDNAの中には昔からのハレとケを行き来するようなそういう知恵があって、それがすんなりと自分の心を満たしてくれるものがあると思うので、ぜひDNAに出逢うくらいのつもりであの山に入ってもらいたいなと思いますね。

鏑木:
現代に生きている人たちというのはいろんな意味で疲れている。体力的な疲れもあるし、心の疲れ、だと思います、いちばん大きいのはね。
僕はトレイルランニングをやっていてすごくいいなあと思うのは、そういった日常を一切切り捨てて非日常の世界に入る。そうするといろんなわだかまりを山を駈け抜けることによってすべて解消できるんですね。
山の持つエネルギーによって解消される。その中で自分自身が一体何者なのかというのがわかるんですね。
山という空間はいろんな意味で自分自身を見つめるには最高の空間だと思います。
ぜひみなさんにも弘法大師さんと同じようにこの道を通っていただいて、自分自身が何者なのか、そういった答えを探してもらえるひとつのいい機会になればいいなあと思います。
ぜひこの地を訪れてください。

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