薬と薬草

奈良県の薬と薬草



はじめに
奈良県は世界的に有名な古都であり、古くは古墳の時代より、シルクロードの旅人に運ばれた文化がこの地に流れ込み、日本文化の源泉となりました。
医薬も例外ではなく、主に中国から輸入された知識やくすりが医療の中心となり、病に苦しむ人々を助けました。
奈良県でも、民衆を救済するため、多くの寺院などにおいて、施薬と呼ばれるくすりの施しが行われました。
有名な東大寺の正倉院には、当時のくすりが納められています。
いくつかの寺院では、それぞれ秘伝の処方による薬が作られ、施薬が行われました。
修験道で有名な大峰山の「陀羅尼助」がその一例です。
当時のくすりは、その原料の大部分が天産物であったため、薬用植物の確保が重要な問題でした。
中国などから、種苗の輸入に努める一方、日本国内に自生する薬草の調査と栽培に大きな力が注がれました。
そのような状況の中で、奈良県ではいくつかの薬草園が造られ、優良な薬用植物の種苗研究と栽培が行われました。
それらは「大和物」と品種が良いことで、現在でも全国で有名です。
また、優良な生薬を利用した置き薬の産業が興りました。
「大和売薬」として確立し、現在でも医薬品の製造と配置販売が重要な地場産業となっています。

生薬栽培の伝統
日本最古の朝廷がおかれた奈良県は、古来からのくすりの原料である生薬とも深い関わりをもっています。
疫病に備え、大和を中心とする近畿地方で薬用植物が栽培されたほか、中国等の諸外国から渡来の生薬も、大和に集まりました。
また歴史的な要因だけではなく、地質的に恵まれた奈良県は、種々の生薬の栽培に適した環境にありました。
周囲を産地に囲まれ、十分な降水、夏期の暑さと冬期の寒冷、積雪の少なさなどです。
江戸時代に入って漢薬の需要は高まり、日本国内における自給自足対策として、中国産の薬用植物の種苗を輸入する一方、山野に自生する薬草、薬木の類を調査、採集し、それらを栽培化する試みが盛んにおこなわれました。
特に、八代将軍吉宗は諸国に薬草栽培を奨励しました。
そういった状況において、古くから薬用植物の栽培が行われてきた大和地方(奈良県)は、重要な一地域となりました。
そして、より日本人の体質にあった、優良な生薬の種苗が育てられ、栽培されました。
明治時代になると、他の地域で薬用植物の大規模な栽培化が行われ、生産量の面ではそれほど目立った存在でなくなりました。
しかし、伝統ある優良な種苗が維持されていることで現在でも全国的に有名です。
以下に、代表的な大和の生薬と歴史ある薬草園を紹介します。



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