体験談 (本人・家族)

信じてよかった

奈良市断酒会
奈良中央支部 Y・T (家族)



 あれほどやめられなかったビールを、今、断酒会の皆さんのおかげで、夫が飲まずにいてくれていることに心から感謝している。
 夫が飲んでいたころ、私は毎日飲んでいる夫の姿を見るのが嫌で仕方がなかった。飲み出したら次から次へと飲まずにいられなくなる夫。適量でやめることができない。
 何でそこまでして飲まなくてはならないの。他の人は楽しそうに節度を持って飲んでいるのに、何で夫はこんな飲み方をするのだろう。
 私は、毎日カレンダーに飲んだ本数を書いたり、ビールを隠したり、捨てたり、夫の飲酒にばかり目が行き、本来の夫の姿を見ることができなくなっていた。私が何とかしなければと、いつも夫の傍で、夫のためにと先回りして、いろいろな問題を私が解決する日々が続き、日に日に夫をさげすむようになった。
 「じょうずに飲まさないあんたが悪い」と、酔っ払って暴言を吐いたり、物を投げたりする夫ではなく、私か悪いと言われた。誰もわかってくれない。情けなくてみじめで仕方がなかった。誰か何とかしてよ。助けてよーー。心の中ではそう叫んでいたがどうすることもできなかった。あきらめの感情に支配された。
 日に日に夫の様子がおかしくなっていく。失禁、下痢で布団を汚しても、私は夫と同じ布団で寝ていた。必死で世話を焼いた。けれど私には夫のアルコールを止めることはできなかった。
 専門病院に駆け込んだ。治療が始まっても、夫は平気で飲んでいた。医師からは「断酒会に行きなさい」と言われた。医師にも見放された。私はそう思った。けれど夫は飲み続けている。だまされたと思って、断酒会に行ってくると夫に伝えて医師の勧めてくれた断酒会に一人で出かけた。
 そこには「大変やったやろ。よく来たな」と私のことをわかってくれる人たちがいた。そこで私は涙を流し、心の中のものを吐き出した。この人たちの中なら何とかなるかも・・・。そう思いながら家に帰った。家にはビールを飲んでいる夫がいた。飲みながらでも夫は「どうやった?」と聞いた。この人も何とかしたかったのだ。断酒会につながったら何とかなるかも。
 そして次の週から夫と二人で断酒会に通った。しかし、三週間しか続かなかった。「あんな所に行っていたら、酒のやめ方を教えてくれるどころか、飲酒欲求が出てくるだけじゃ。金は払わないかんし」と退会届を出してしまった。私はやっと自分の気持ちを理解してくれる人と出会えたのに、もう行くことはできない。私の居場所はもうない。
 打ちひしがれていた時、会長や支部の方が、「一人ででも来ていたらいつかは旦那も来る。断酒できる日が来る」との連絡をくれた。この方たちを信じてみよう。そう決めてそれからは一人で断酒会に通った。通い続けた結果、現在夫と私は断酒会の方々に支えられ断酒会の輪の中にいる。そのおかげで夫の酒は止まり、今、命がある。
 その夫に一年前、私は命を救われた。くも膜下出血、水頭症で四回の手術。半年間の入院を余儀なくされた。夫が断酒していたから私の命は助かった。飲んでいたら、倒れた私のことなど気づきもしなかっただろう。半年間、私の世話をしながら励まし続けてくれた。今も週に四回の通院リハビリ中の私を支え励ましてくれている。断酒してくれているおかげだ。
 アルコール依存症の夫に、してはいけないことを良かれと思ってやり続けてきた私。クリニックの家族ミーティングでのアルコールの勉強、そして断酒会の皆さんの体験談。そこでいろいろ気づかせてもらっている。
 大量飲酒によって病気になってしまった夫。その夫に巻き込まれて心がズタズタになった私。どうなっていくのか不安でいっぱいだった私たち夫婦。けれど、今、断酒会の皆さんのおかけで一滴のアルコールも口にしていない夫がいる。アルコール依存症は、完治しない病気であることを忘れず、自分自身をみつめ、振り返ることで、自分と夫の健康を取り戻していきたいと思って
いる。
 断酒し続けるためにこれからも断酒会の皆さんの中で生きていきたい。今、夫と私は断酒の喜びを感じている。
 夫を信じて、断酒会を信じて良かった。心から断酒会の皆さんに感謝している。
 断酒会の皆さん、本当にありがとうございます。


壊れた家族、そして修復途中
 
奈良市断酒会
富雄支部 M・H 


 いつの頃からか、何かに追われているような気がする。胸騒ぎがして落ち着かない。 胸が締めつけられる、人と接したくない。 そんな気持ちに苛まれてびくびくおどおどした日々が続いた。酒が飲みたくて、家内にうそをつく。暴力で脅す、家の金を盗む、子どもの貯金箱から盗む、サラ金から金を借りる、親の職場へ行って金をむさぼり取る。恥も外聞もなく、人として、親として、やってはいけないことと分かっていながら、しなくてはならない自分になっていた。もう、どうでもよかった。家族から捨てられようが、職場から追われようが構わない。ここまでくると私は自分だけしか見えず、とにかく酒を飲む行為しか頭には浮かんでこない。
 疲れた、動けない。誰か助けてほしい。 毎日のように繰り返し加えられる暴言と暴力で、生きる気力さえ失いかけている家内に、すがるように「病院へ連れて行ってくれ」と頼む。でも家内は首を立てに振るうとはせず、「お前なんか死んだらええねん」と言わんばかりの形相で私を睨みつけていた。傍らにいた長男が、「おかん、これが最後やからおとんを病院へ入れてやってくれ。頼むわ」「こんな奴、病院に入れる金ないわ」大切な大好きな母親をいつも苦しめ、そして自分の青春も無茶苦茶にした父親を、母親以上に憎いはずの長男が、弟にこれだけ出してくれ、妹はまだ学生やからこれだけでええから出してくれ、と言って頼んでくれていました。
 あのときの長男の一言で今の私かあります。長男は「地獄」の中で生きてきて、二度とあの頃には戻りたくない気持ちで、私たち夫婦を応援してくれています。弟、妹の結婚を見届けて結婚しました。その長男に子どもができました。長男が言ってました。「俺のような人生は俺だけでいい」と。