自分のお店で、頑張りすぎない「身の丈の働き方」を。
基本情報
昭和初期に建てられた納屋をリノベーションしたカフェ
2014年、奈良県の東北端にある曽爾村で、「カフェねころん」をオープンしました。国の天然記念物に指定されている「鎧岳」のふもとにある、昭和初期に建てられた古民家の納屋を改装しました。
メニューはコーヒーや焼き菓子のほか、ランチも提供しています。焼き菓子もランチも、数は限られますが私の手づくりです。村内は飲食店が少ないものの、客層は曽爾村に観光に来た家族連れやカップル、ツーリングの途中で寄ってくださる男性、地元の若い方やシニアの方、一人できてくれる女性の常連さんなど、とても幅広いです。
曽爾村への引っ越しとカフェ開店を同時に決意
石川県金沢市出身で、曽爾村に来る前は奈良市に8年間住んでいました。その頃は大阪や奈良にある会社で派遣社員として事務の仕事をしたり、アルバイトをしたりしていました。
子どもの頃から、みんなでチームを組んで共同作業をしたり、何かを共に進めたりするのが苦手で、「一人でやれることをやりたい」と思っていたのです。 社会人になってからは、仕事に対して「何かを販売してお金をいただく、シンプルな生業をしたい。いつかカフェができたら」と考えていましたが、「でもそれは夢だろうな」と思っていました。
転機は、結婚直後にライターの夫が独立したことです。 彼の働く姿を見て「自営業でやれるんだ」と思いました。その後、増えていく機材や資料の置き場に困るようになり「広い事務所スペースがほしい」「涼しいところへ引っ越そうか」と話しました。
夫は曽爾村に母方の実家がありました。彼にとっては馴染みのある村で、かつ高原地帯だったので、候補地になりました。私は訪れたことがなかったものの、観光地で人の出入りがあることや、夫が仕事で大阪まで行っても日帰りできる距離であることを知って、「いいところが見つかれば引っ越そう。そして、曽爾村に引っ越すならカフェを開こう!」と決めたのです。
それは運良く「空き家バンク」の制度がスタートした年で、すぐに空き家を紹介してもらえました。それが今のお店です。
曽爾高原を見下ろせる景色が気に入って、自宅スペースの隣にある納屋をカフェにできたらと考えました。賃貸ではあるものの、家主さんが「すべて(改修などを)ご自分でするんやったらいいですよ」と言ってくださり、2010年に引っ越しました。
改修や挨拶回りなど、4年をかけた開店準備
引っ越しからオープンまでには約4年かかりました。はじめは村内でアルバイトをやらせていただいていたのですが、そのうち「ずっとこのお仕事でいいかな」という気持ちにもなってしまって。「ちょっと待てよ(笑)」と考え直し、お店の設計を建築事務所さんにお願いしました。カフェ開店のために貯めておいたお金を、納屋の改修費や準備資金にして。
工事前には近所にご挨拶に行き、お店を開くことや工事の車両が行き来する旨を伝えました。納屋は、牛小屋だった部分をエントランスギャラリーにし、土間と板の間をカフェスペースに。外壁の解体時に出てきた昔の建具を活かし、元の雰囲気を尊重したデザインにしていただきました。
2013年8月に竣工したものの、そこからオープンまで約1年かかりました。税務署に届けを出し、食品衛生責任者の資格を取得。ネットで調べてお店のことを考えたり、小物を買い集めたり、さまざまな準備を淡々と進めていきました。
「“ほどほど”のスタンスでいい」と思えたときに楽になった
2014年、ついにお店をオープンできました。そのときに夫と決めた約束事が4つあります。それは「家のお金は一切使わない」「営業していくうえで家からの持ち出しはしない」「夫はお店を手伝わない」「借金をしない」というもの。
カフェは週末3日間の営業にし、私が一人でできる範囲でやるとハッキリ決めました。週3日のパート代わりだと思っています。
メニューは、凝ったものはつくれませんが、ふだん家でつくる料理よりも少し丁寧なものにしています。例えば、乾物を使ったり、豆を水で戻してからゆでたり、「誰でもつくれるけれど、いつもそれをするのは面倒」という料理です。
オープンしたばかりの頃は、あれもしよう、これもしようと、こだわりがありました。楽をする自分が許せず、全力でないのはお客さんに失礼だからと自分を追い込んで、がむしゃらにやっていたのです。でもあるとき 「このこだわりはお客さんのためなのか、自分のためなのか」と考え、「こだわりを押しつけたくはない。私がもっと楽にしていたほうがお客さんも楽でいられるんじゃないかな」と思い至りました。こだわったものを提供しているお店は、自分でこだわりをアピールし続けなくてはならず、「私はそういうタイプではないな」と改めて感じたのです。
そうやって肩の力が少しずつ抜けていきました。曽爾村でがんばっている若い世代と交流したことも、無理をしなくなったきっかけの一つになりました。若い人たちを見て、「今の私には、体力的にも精神的にもパワフルに動くことはできない」と自らの年齢を自覚したのです。 40代は「できること」「できないこと」が見えてくる年齢なのかもしれません。そんな自分を認められるようになるまでは焦燥感があり、つらかったです。
今は、決して後ろ向きなのではなく、折り合いをつけ“ほどほど”のスタンスがいいと思えるようになりました。心地いい身の丈のサイズ感を探りながら、長く低空飛行をしていきたいと思っています。 日常の風景のなかにある普通のお店。肩肘を張らない、誰が来てもまったりできる雰囲気を目指すようになりました。
憧れの本屋業で、人と人をつないでいく
2019年、店内で小さな本屋「ねころん書店」も始めました。曽爾村には本屋がなく、私は本が好きで古本屋という職業への憧れもあり、もう一つの好きなこともやっておこうと始めたのです。本を売りたい人に木箱1つを貸し出し、その中に古本を入れてもらってお店に並べる委託販売型で運営しています。一冊ずつ値段もつけてもらい、その本へのコメントも書いてもらっています。
また、購入した人には値札の裏面にメッセージを書いてもらいます。 売り手の気持ちをもらって買い手の気持ちを返すという、一方通行ではない販売の形で、人と人をつないでいきたいです。
自分が続けられる「出力」でスタートを
お店など、何かを始めたい人には「やり続けられる『出力』でやること」を強くお勧めします。例えば、カフェをオープンすることは目的ではありません。オープンして力尽きることのないよう、力を出し続けられる「出力」のボリュームをぜひ自分で定めましょう。お店はオープンした後に、徐々にできていくものです 。「この収入なら何年続けていける」など、自分がコツコツと続けられるレベルを見つけて、スタートしたらいいと思います。
(10月23日 取材)
印刷用PDF(前川さん記事)(pdf 525KB)