県指定 多坐弥志理都比古神社本殿

県指定文化財 多坐弥志理都比古神社本殿について

 多坐弥志理都比古神社(おおいますみしりつひこじんじゃ。通称「多神社」。)は、奈良県磯城郡田原本町多に所在、創立は天平元年(729)以前に遡ります。

 多宮郷30ヶ村の郷宮として、尊崇を集めています。多神社では、古事記や太安万侶にちなんだ祭りも催されており人々で賑わいます。(いかす・ならHPより抜粋)

 境内は森に囲まれ、本殿は境内北端に石垣を築いて一段高くしたところに大型の社殿4棟が東西に並んでいます。祭神は第一殿に神武天皇、第二殿に神八井耳命(かんやいみみのみこと)、第三殿に神渟名川耳命(かんぬなかわみみのみこと)、第四殿に玉依姫命(たまよりひめのみこと)がまつられています。このうち神八井耳命は、多を根拠地とし、古事記編纂に関わった太安万侶(おおのやすまろ)をはじめとする古代氏族多氏の祖とされています。

 また、平成10年(1998)に田原本町教育委員会が行った発掘調査によって、現在の拝殿の位置に現本殿より奥行が短い旧本殿が存在したことが明らかとなりました。古文書から正~慶長年間(15731615造営が行われたことが知られ、旧本殿はこの時に造営された可能性が高いと考えられています。(田原本町教育委員会多遺跡発掘調査報告-第18次調査-より)。

 修理は奈良県が多坐弥志理都比古神社より受託し、文化財保存事務所人材育成係が直営にて実施します。

 

 多神社 

基本情報

指定概要(県指定文化財 )

○建立

第一・二殿は享保20年(1735)、第三・四殿は18世紀中頃

○構造

 第一殿より第四殿にいたる四棟から成る、各一間社春日造、銅板葺

修理期間

 令和3年(2021)11 月~令和9年(2027)3月

修理方針

 本殿は建立後約290年が経過し、その間の平成11年に応急的な補強処置を行っているものの、土台の腐朽も著しく、台風被害等により傾斜した建物を支柱で支持している状況でした。そのため、「解体修理」により建物の全ての部材を解体して、柱や梁など主要構造部の各部材の補修を行い、建造物を健全な状態に回復させます

 解体は建設時と逆に、屋根葺材、壁、天井、床などの仕上材を先に取り外し、その後、小屋組、軸組、基礎などの骨組を解体しますが、再用可能なものは極力復すので、仕上材を先に部材を傷つけないよう注意深く作業します。また、解体作業と並行して実測調査や痕跡調査など各種調査を行い、実測図、調書、写真などの記録を作成します。

 

令和5年度の主な工事

文化財建造物修復工房

 天理市にある「なら歴史芸術文化村」は、歴史、芸術、食と農など、奈良県の誇る文化に触れることができる施設です。同施設の文化財修復展示棟の中に、文化財保存事務所が運営する「文化財建造物修復工房」があります。文化財建造物修復工房には、解体された多神社本殿の部材が順次運び込まれています。1つずつ番号を付けて運び込まれた部材は、補修する前に、樹種や加工方法・修理の痕跡などについて詳細な調査や撮影を行います。修理工房はガラス張りになっており、作業の様子を見学することができます。5月には、上皇・上皇后両陛下も御覧になりました。

文化村公開修復1文化村公開修復2

多神社修理

↑天理市にあるなら歴史芸術文化村で修理の様子を見ることができます

←田原本町の多神社でも解体作業等を行っております

 

令和4年度の主な工事

彩色の剥落止め

 多神社本殿の柱や貫(ぬき)には、彩色(さいしき)が施されています。また、貫の先端には、彫刻も施されています。4つの本殿では、それぞれ違う意匠が施されており、第一殿は「象(ぞう)」、第二殿は「獏(ばく)」、第三殿は「唐獅子(からじし)」、第四殿は「麒麟(きりん)」となっています。象は地上最大の動物として聖域を守護するもの、唐獅子も象と同様に聖域の守護獣、獏は実在する動物のバクとは直接の関係はなく、邪気を避けるとされている霊獣、麒麟は有徳の王者の治世にのみ姿を現すと言われている霊獣です。多神社本殿は解体修理を行う予定であるため、工事中に彩色がはがれないように、事前に保存処置を行っています(「剥落止め」といいます)。

象獏

左が象、右が獏

唐獅子麒麟

左が唐獅子、右が麒麟

彩色が残っている様子がわかります

建物の解体

 建物の解体は、屋根、壁、天井、床などの一般に目に触れる部材(「仕上材(しあげざい)」といいます)を先に取り外し、小屋組(天井裏で屋根を支える部分)、軸組(建物を支える柱など)、基礎などの骨組みに当たる部材を後から解体していきます。文化財建造物の修理においては、元の部材が使用できる場合には、できるだけ再度使用するという方針があります。そのため、各部材を傷つけないように細心の注意を払って外していきます。

解体

建物の調査

 文化財建造物の修理工事では、必ず建物の調査を行います。調査によって、過去の姿や技法、修理の痕跡などが分かるため、非常に重要な作業となります。多神社本殿の場合は、第四殿に置かれていた銘札(文字を書いた木の札)から、昭和52年に檜皮葺から銅板葺に屋根の素材が変更されたことが知られていましたが、屋根の解体中に現れた屋根の板に墨で書かれた文字や、高さ調節のために挟まれていた新聞紙からも、そのことが確認できました。また、現在の屋根の下に、昔の屋根の板が残っている部分があり、そこには檜皮を固定していた竹釘(竹を細かく割いて作った釘)が刺さった状態で見つかりました。

板竹釘

調査をしているとこのようなものが見つかります

令和3年度の主な工事

解体工事

 多神社本殿は、土台が腐ってきていると共に、台風被害などにより傾斜した建物を支柱でかろうじて支えている状態です。そのため、解体修理を行うことになりました。解体修理とは、柱や梁など建物を支える重要な構造の部分にまで破損が及んだ場合に、いったんすべての部材を解体して補修し、再度健全な状態に組み直す工事です。なお、多神社本殿の場合、解体した部材は「なら歴史芸術文化村」(天理市杣之内町)に運び、同施設の建造物修復工房内で修理を行う予定です。


素屋根建設

 文化財建造物の工事を行う際には、まず建物全体を覆う仮設の屋根を建設します。これは、工事のために建物を守っている銅板などを外してしまうと、雨や風で建物が傷んでしまうおそれがあるからです。多神社本殿は4棟あるため、4棟全体を覆う素屋根を建設しました。しばらく本殿が見えない状態になりますが、御理解の程よろしくお願いいたします。

素屋根1素屋根2

素屋根の中

素屋根の中はこのようになってます