古代を創った人びと

【古代を創った人びとテキストの刊行について】

 文化資源活用課では、「奈良らしい歴史展示」事業の一つとして、古代奈良の歴史の中心となる人物を選定し、映像や冊子など様々なツールに活用可能な基本テキストを紹介しています。
 テキストは、歴史の専門家によって構成された歴史展示企画会議(座長:千田図書情報館長)監修のもと、専門家や有識者に執筆していただきました。

天武天皇・持統天皇

古代を創った人びと「天武天皇・持統天皇」

 夫婦の関係であり、現在の日本の政治・文化の形成にあたり大きな役割を果たした天武天皇と持統天皇。
 初めての体系的な法律「律令」の編纂、中国の都にならった巨大な都・藤原京の造営、初めての貨幣の鋳造、国史の編纂の開始、官僚制の形成、これらは全て二人の時代の出来事です。
夫婦であり、同志でもあった二人の天皇の生涯を読んでみましょう。

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行基

古代を創った人びと「行基」

 行基は、朝廷が民衆への布教活動を禁じた奈良時代に、畿内(近畿)を中心に民衆に広く仏の教えを説き、各地で様々な社会事業を行い、人々より尊崇されました。
 その後、聖武天皇の大仏造営に協力し、日本で初めて大僧正に任命されました。
 行基菩薩と崇められた行基の生涯を読んでみましょう。

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不比等

古代を創った人びと「藤原不比等」

 奈良時代、当時の政治を主導し、大宝律令の制定や遷都にも関わり、さらにその後に続く藤原氏の繁栄をもたらした大政治家、藤原不比等。
 
不遇の幼少時代を経て、政界へと飛び込んだ不比等はその才能を発揮させ、天皇との信頼を築き上げていきます。
 
稀代の政治家、藤原不比等の生涯を読み解いていきましょう。

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推古・聖徳太子

古代を創った人びと「推古天皇・聖徳太子」

 日本史上初の女帝、推古天皇。夫である敏達天皇の後を継ぎ、国家の政治基盤を築いていきます。そして女帝を支えたのが彼女の甥である厩戸皇子(聖徳太子)。太子は冠位十二階の制定や憲法十七条を作成し、また遣隋使の派遣により外交関係の強化や国家基盤の増強にも務めました。
 複雑に絡み合う人間関係の渦中に身を置いていた推古天皇・聖徳太子。この二人の物語を読み説いていきましょう。

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聖武天皇

古代を創った人びと「聖武天皇・光明皇后」

 奈良時代、権勢を振るった藤原不比等。その娘である光明子(後の光明皇后)と不比等の孫である首皇子(後の聖武天皇)が夫婦となり、仏教を篤く信仰していた二人は、総国分寺として東大寺を、総国分尼寺として法華寺を建立します。
 そして僧・行基の協力を得て、東大寺に盧舎那仏を建立することになります。
 お互いを労り、支え合った二人の生涯を読み説いていきましょう。

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大化の改新

古代を創った人びと「中大兄皇子・中臣鎌足」

 中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)。二人が生きた時代は、国内の変革期でした。
 飛鳥寺槻の木の下での出会いから急接近した二人は、国の安泰と強化のため、天皇や王族への権力集中を目指して蘇我入鹿を暗殺し、繋がりのある有力者も次々排除しました。これにより、孝德朝の大化の改新へとつながります。
 律令国家の出発点における二人の活動や歴史的役割を読み説いていきましょう。

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